第22話 タルイス・テーグの隠れ里

 小さな泉から始まった水中の旅は、間もなく終わりを迎えようとしていた。

 陸地が近づくにつれて辺りは明るさを増していき、生物や植物もすっかり様変わりしている。


 最後に襲撃してきた存在は気にかかるが、やがて全員が無事に上陸できた。

 冥界の神に仕えし妖精族と聞いて陰鬱いんうつな場所を想像していたが、一面が色彩豊かで、極楽浄土といっても過言ではない。


 初めて訪れた少女たちから感嘆の声がもれる。

 その気分をぶち壊すように、ひとりずぶ濡れの少年は大きなくしゃみをした。


「んも〜、兄さまったら雰囲気が台無しじゃないの。ほんとに軟弱なんだから」


「大丈夫ですか、アルールさま。風邪をひいてしまわぬよう、お衣を脱いだほうがよろしいかと」


「うぅ……き火にでもあたりたい気分だ。この辺りは森のようだが、地上か洞窟なのかはさっぱりわからないな」


 天を見上げれば一面が明るくて、光源は太陽ではなかった。

 入ってきた泉の外とは完全に別世界のようである。


「妖精の森で焚き火なんて無理に決まってるでしょ。減るもんじゃないんだし、ぜんぶ脱いじゃいなさいよ」


「乙女の前で殿方が肌を見せるなど、言語道断です。どうかご遠慮ください」


「上着だけ脱いで我慢するよ……」


 たしかに火事でも起きたら一大事である。

 どうやら目的地は近いようなので、軽く水を払ってそのまま向かうことにした。


 エルスカによればここは異空間となっており、タルイス・テーグが築いた理想郷だった。

 彼らは部族ごとに分散して暮らし、滅多に移動することはないという。

 訪れた集落は女性を中心とした一族で、特に華やかさで知られるようだ。


 程なくして極彩色の木々の狭間に、半球状の屋根をもつ白亜の宮殿が見えてくる。

 神々や動物の彫像で飾られていて、自然を愛する妖精とは程遠い暮らしぶりに思われた。


 伝承では、みにくい容姿を改善するために美しい子供さらっていたとされるが、のちに取り戻した逸話の存在を考えると、ひょっとしたら身代金が目当てだったのかもしれない。

 神族に仕える彼らが、わざわざ人間の血に近づくというのもおかしな話である。


 門のそばに、見張りらしき金髪の女性が立っていた。

 牛乳好きなだけあって背が高く、健康的な体つきをしている。

 こちらの姿を認めるなり目を輝かせ、ものすごい勢いで駆け寄ってきた。


「エルスカじゃないの! この子供たちはっ!?」


「お久しぶりでございます、ベンティス・ア・ママイ。このたびは頼み事があって参上しました。女王陛下にお目通り願えますか?」


「わかったわ。今すぐ伝えてくるから、中で待ってて!」


 守るべき場所をがら空きにして、彼女はあっという間に奥へと去っていった。

 妖精らしからぬその様子に唖然としながら、アルールが尋ねる。


「とんとん拍子に話が進みそうで一安心だな。呼びかけた言葉は名前なのか?」


「いえ、『ベンティス・ア・ママイ』とは『母なる祝福』を意味し、敬称として用います。人間を好意的に受け入れてきたとはいえ、結局は気まぐれな妖精族。くれぐれも機嫌を損ねぬようにお願いします」


「なるほど、気をつけるとしよう。それにしても金髪好きというのはどうやら本当のようだな。ずいぶん鼻息を荒くしていた……」


「あたしのことは見向きもしなかったけどね。なんだか感じ悪い」


「ヴェルナさま、どうかお気になさらないでください。わたくしも最初はそうでした。彼女たちの価値観では金色こそが至上であり、それ以外はすべて興味がないのです。でも大丈夫。そのためにグラゲズ・アンヌン特製のミルクを用意したのですから」


 その話を聞いて、共に輝かしい髪をもつティルトとカティナは顔を見合わせた。


「金髪なんて北部のアルバではみ嫌われているのに、所変わればって感じね」


「ですね。ののしられたり追い払われたり、この髪のせいで露骨にひどい扱いを受けました。今回は道具を譲ってもらうのが目的ですし、下手したてに出るのが得策です」


 黒から始まってさまざまな髪色を経験した転生者は、ありがたく現在の容姿を利用することにした。

 結局は稀少な鉱物の価値に起因し、老いればみな白くなるのだから、何が良いというわけでもない。


 敷地内に入ると、若い金髪の女性たちばかりが、遠巻きにこちらを見つめて話し合っていた。

 目が合うとたちまち黄色い歓声があがり、確認するまでもなく歓迎されているのがわかる。


「ははは、女の子に人気な有名人となった気分だ。良い所だな、ここは」


「俗っぽくて人間くさい。さてはあたしたちと同じ転生者じゃないでしょうね。妖精に生まれ変わるほうが多いって聞くし……」


「彼女たちは母である前女王から巣立ち、ここを新天地とした若い方々です。完全なる母系社会で、男性は見たことがありません」


「ふうん、なんだか蜜蜂みたいだな。今は何をして生計をたてているのやら」


 戻ってきた衛兵に案内されて宮殿の扉をくぐり、中庭の噴水横を抜けていく。

 神話の一場面を切り取ったと思われる美術品が至る所に飾られ、人間の王族に近い価値観がうかがえる。


 やがて立派な一室に到着し、玉座に浅く腰かけた人物が現れた。

 総じて美しい金髪をもつタルイス・テーグだが、その若き女王はとりわけ美貌びぼうに優れていた。

 やや露出の多い衣装を身にまとい、組んだひざに片ひじをつき、だらしのない格好でくつろいでいる。


「お久しぶりでございます、ベンティス・ア・ママイ。麗しきヘイルウェンさま。此度のお目通り、たいへん感謝いたします」


 エルスカが丁寧にひざまずくと、ほかの者もそれにならう。

 一行を眺めていた女王はアルールと目が合うと急に姿勢を正し、胸元に手を当てて叫んだ。


「やーん! 金髪! 白皙はくせき! 美少年ー! よくやったエルスカ、褒美をつかわす! なんでも持っていっていいぞ!」


『はや!』


 あっという間の展開に一同は口を揃えた。

 世にここまで軽い妖精の女王もいるまい。

 いや、むしろそれが本来の姿なのだろうか。


 彼女はさすがに威厳を損ねたと感じたか、咳払いをひとつし、急に口調を変えて尋ねた。


「そこなる少年よ、名はなんと申す。水のしたたるいい男とはまさにそなたのことよ」


「アルールにございます、ベンティス・ア・ママイ。ご尊顔を拝しまして恐悦至極きょうえつしごくに存じます。道中、何者かに襲われて術が解けてしまいました。このようなお見苦しい姿で参上し、誠に申し訳ございません」


「ほう。それはおそらくプーカの仕業だな。大層ないたずら者で困っておるのだ。可哀想に、そんな格好では風邪をひいてしまうぞ。ほれ、もっとちこう寄れ」


 手招きされたアルールはなんの疑いももたず、言われたとおりに従った。

 女王ヘイルウェンは、そんな少年の上衣に無言で手を掛ける。


「ちょっと、やめて、脱がさないで! いやー、えっち! ふうぇーっくっしょん!」


 危うく顔面に向けるところだった。

 身ぐるみをがされるも、侍女じじょに持ってこさせた柔らかいタオルをかぶせてくれる。


 彼女は満足そうな笑顔を浮かべてアルールを右手にはべらせると、今度はその妹に呼びかけた。


「そこなる少女よ。名はなんと申す。どことなく見たような面影をしているな」


「世直し旅をしてまわる正義の味方、ティルトにございます、ベンティス・ア・ママイ」


 ヘイルウェンは再び手招きをして、なんと彼女をひざ上に乗せた。

 愛おしむように顔を近づけたかと思うと、態度が豹変ひょうへんする。


「まだ幼さの残る顔立ち! きゃわわ! きゃわたん! きゃわてぃすと! ああーん、柔らかくて弾力のあるほっぺた! すりすり、すりすり……」


「きゃああ! ちょっと、何するのよ、助けてぇ!」


 女王はひとしきりほおをすり合わせて満足すると「ふう」と言って、ティルトを抱いたままその従者に呼びかける。


「そこなる乙女。名はなんと申す。この娘の親族か? 姉妹のような雰囲気を感じるな」


「お初にお目にかかります、ベンティス・ア・ママイ。自分はカティナ。まさしくティルトの従姉妹いとこにあたり、世話役をしております」


 例によってヘイルウェンは三たび手招きする。

 さすがにためらう女騎士だが、死地におもむくような毅然きぜんとした態度で歩み寄った。


「若いのになんと凛々りりしい顔立ち! 美しい、じつに美しい! 気高き心を感じるぞ! 日々のうれいが洗われるようだ!」


 左腕で抱き寄せて幸せそうな面持ちとなったヘイルウェンは、グッと拳を握って力強く述べる。


「感謝するぞ、エルスカ。じつにすばらしい贈り物だ。美しき人の子を三人も献上するとは、殊勝しゅしょうな心がけである。そなたに目をかけてきて正解であった」


 いろいろと誤解をとく前に、完全にいないものとされた赤毛の少女がおずおずと言葉を投げかけた。


「あのう……あたしはヴェルナと申します。戦士として異界を渡り歩いてきました」


「あ、うん、そうなんだ……。出口はあっちであるぞ。帰り道は魔物に気をつけるがよい」


「いや、いま来たばかりなんですけど! さすがに失礼すぎない!?」


 ここまであからさまでは、気を悪くするのも無理はない。

 エルスカはそんな少女の袖を引き、耳元に口を寄せる。


「ヴェルナさま、ヴェルナさま、ここはどうかお抑えください。ほら、例のあれを……」


「そうだった、忘れてた。ご機嫌うるわしゅうございます、ベンティス・ア・ママイ。此度は挨拶代わりにある物を持参いたしました。どうぞこちらをお納めください」


 そう言って荷物から取り出した瓶を女王の御前おんまえへ献上する。

 冷ややかな態度をとっていたヘイルウェンは、それを見て目の色が変わった。


「こ、この白い牛さんマークはまさか!? 失われた聖牛のミルクではないか! やだあ、もう! 早くそれを言うのだ! そなたのような子は大歓迎であるぞ!」


 すっかり上機嫌となった相手を見て、アルールはとうとう肝心な話を切り出すことにした。


「偉大なるヘイルウェンさま、大切なお話がございます。どうかお聴きください。じつは我々は、ここに長居するわけにはいかないのです」


「えっ!? そなたらは贈り物じゃないのか? なあんだ、がっかり……」


「わたしは長きにわたり幽閉されてきました。どうしても復讐ふくしゅうを果たしたい宿敵がいるのです。敵の勢力は強大で、こちらも力をつけねばなりません。そのために飛竜が、それを使役する道具が必要なのございます」


「我らは人間の争いに加担する気などないぞ。そなたらは短い命にもかかわらず、常にいがみ合っておる。ようやく統一したかと思えばあっさり分裂し、一向に収まる気配がない。悪いがさっきの話はなしだ。巻き込まれてはかなわん」


 誘拐や泥棒をしてきた妖精族の若き女王は、すっかり気が変わってしまったようだ。

 引き下がるわけにはいかないアルールは、ズボンに隠し持っていたある物を取り出した。


「そこをなんとか。こちらのミルクキャンディーもお譲りしますから。甘くて特別なんです!」


「成体を従えるつもりなら足輪も必要であろうし、それで釣り合うとも思えんな」


「そんな、あなたを頼ってはるばるやって来たのに……!」


 情に訴えかけるが、ヘイルウェンは口をとがらせてそっぽを向いてしまう。

 ティルトはこのままではらちが明かないとごうを煮やしたか、カティナと共に加勢した。


「お願い、ママ。私たちはどうしても先に進まないといけないの」


「自分からもお願いいたします、お母さま」


「うっ! そんな愛らしい顔で迫られたら断りづらいではないか。……やれやれ、仕方がない。それでは、ある条件を成し遂げられたら考えてやるとしようか」


「本当ですか! 何です、教えてください!」


 アルールが目を輝かせると、ヘイルウェンは渋々とした表情で語り始める。


「この異界には海とつながった方面があるのだが、近ごろケフィル・ドゥールという怪物が住み着いて困っておるのだ。見事そいつを倒したら、特別に道具をくれてやるとしよう」


「たしか凶暴な水馬のことですね。わかりました。ぜひ、やらせてください!」


 行きに襲ってきたのは別種のようだが、水を克服したいと思っていたアルールは即答する。

 しかしあっさり了承したのが良くなかった。彼女はもう少し引き出せると判断してしまったのだ。


「……もうひとつ条件がある。今宵こよいはわが相手をいたせ」


「相手とは?」


「我らは人の子と離れ離れになって久しい。今日ぐらいでるぐらいは許されよう」


 ティルトを抱いた女王が立ち上がると、控えの者たちがすかさずアルールとカティナの両腕を押さえた。


「な、何を言ってるんだ? 助けてくれ、エルスカ!」


「アルールさま、これも試練です。どうか耐え忍びください……」


 タルイス・テーグたちは、悲鳴をあげる金髪の子供たちを担ぎ上げ、奥の部屋へと去っていく。


 彼らによる〝かわいがり〟は朝まで続いた。

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