第21話 水中の旅路
今日は朝から大忙し。なにしろ次は、泉の底からタルイス・テーグの住まう世界へと行くのだから。
妖精に鉄がご
置いていくという選択肢は、彼女たちによってあっさりと却下された。
アルールは、体力づくりという名目で荷物持ちをする羽目になった。
魔術師といえどそれなりに健康を管理する必要はあるが、正直いい迷惑である。
向かう先は、アヴァンク狩りで関わったシン・シオンの集落。
ここの住民は普段、
防具づくりもそれなりの発注を請け負っており、きっと在庫があるに違いない。
エルスカだけは別行動することになった。
昨夜に鏡占いをしたアルールに頼まれ、乳母シアナについて、竜人の知り合いへ尋ねに行ったのである。
同族から距離をおいて人里で暮らす変わり者で、人々の動きをなんでも把握しているという。
〝石ころ姫〟と自称する以外、本人の出自は誰にも明かさない徹底した秘密主義。
付き合いが長いエルスカにとっても謎多き女性らしい。
襲撃された翌日に単独行動は不安だが、彼女は心配無用と言って小屋をあとにした。
アルールはシン・シオンのほとりにつくと、防具が必要な三人を待つあいだ、顔馴染みの男と会話をしていた。
横には人に化けた白竜と飛竜の姿もある。
「――竜選びのコツ? そりゃお前、
「も、もげ!?」
「そうだ。なめてかかった竜騎士のダチに、大変な目に遭ったやつがいる。そうそう、それで思い出した。これは知り合いに聞いた話なんだが――」
元は行商をしていて、いつしかここで暮らすようになった彼は、いろいろと面白い話を知っていた。
「ここからずっと東に行った地に、エナレスという占い師がいるそうだ。女神の神殿で
熱心に話を聞くアルール。フウィートルと手をつなぐメステン・メリンは首をかしげている。
「彼らは乗馬の達人で、広い土地を支配した騎馬民族の一員なんだ。話のキモはここだ。まあ、平たく言うと、乗りすぎてあそこをダメにしたのさ。魔女にも男がいるが、女が多いのはホウキに長時間またがるからだろうな。だからアルール、お前さんも竜に乗るなら、そこんとこ気をつけるこった」
とそこへ、
小柄で合うものがなかったと思われるティルトが尋ねる。
「兄さま、どうして内股になって震えてるの?」
「ちょっとあなた、まさかまたアルールどのによからぬことを吹き込んだのではないでしょうね? 横に小さな子もいるのですよ!」
「ま、待て! 誤解だ! 早まるなー!」
抜刀して男を追いまわすカティナを眺めて、実家のような安心感をいだく。
かたわらのヴェルナは、あきれながらも穏やかな口調でつぶやいた。
「……なんだか楽しそうね。いったいどんな話をしていたの? フウィートル」
「おのこには大切なことじゃ。さて、準備も整ったようだし、次へ参るとしようかの。行くぞ、メリン」
一向は速やかに山小屋へと帰還した。
すでにエルスカは戻ってきており、例の人物に話は通しておいたと語る。
さすがに敵の領土ゆえ、しばらく時間を要するようだ。
防具を用意できなかったティルトだが、さいわいカティナがドレスを持ち歩いていた。
黙っていれば愛らしい妹を眺め、兄の顔も思わずほころんだ。
こうして準備を終えた一行は、鉄製の武具を小屋に残して、タルイス・テーグの住まう泉に向けて出発した。
装備を手放すことに不安はあったが、かの妖精はさほど攻撃的ではないらしい。
身軽になったぶん、手土産としてグラゲズ・アンヌンから
たとえチーズになっても、その魔力は損なわれるどころか、逆に特殊な効能が加わる例もあるそうだ。
南に向かって数刻。目的の泉は森の中にひっそりとたたずんでいた。
水面に緑を映して美しいものの、周囲に目印のようなものは何もなく、妖精郷に続いているとはとても思えない。
日中には間に合ったが、今日も曇り空で肌寒く、水の冷たさが容易に想像できた。
この島は暖流がもたらす南西風の影響で、冬でも雪が降るのは稀とされている。
だが一年を通して雨が多く、決して温暖とはいいがたい。風邪をひかないよう気をつける必要があった。
ほとりまでは無事にたどり着くも、ここでひとつ問題が起きた。
魔法で空気をまとっていく算段であったが、メステン・メリンが水に触れるのをいやがったのだ。
飛竜のなかには
仕方がないので、フウィートルと外で帰りを待つことになった。
ティルトは残念がったが、妖精に会う好奇心に負けてしまった。
「ごめんね。いい子で待ってるのよ」
「気にせず行っておいで。連中もそこまで悪い奴らではないから、皆で楽しんでくるがよい。念のため、わらわはしばらくここで待っていよう。浮かんできたら人工呼吸をしてやるぞ」
「縁起でもない。そのときは魔法で助けてくださいよ」
準備運動をして別れの挨拶を済ませると、いよいよ泉に入る。
アルールはエルスカと分担して皆に魔法をかけた。
異なる呪文だが似たような原理らしい。
風の精霊を連れていき、彼らと友好的な水の精霊にはたらきかけて、水中の酸素を取り込むエラの役割を担わせるのだ。
肉体を変質させる方法は副作用も多く、これが最も安全と思われた。
精霊といっても集合体のような存在で、その大きさは可変である。
しかし浮力の都合上、表面を覆う程度の頼りないものになってしまう。
必然的に時間制限があり、水中には魔物が潜んでいる可能性があるため油断はできない。
一行は覚悟を決めて、道を知るエルスカを先頭に潜行を開始した。
その後ろをティルトとカティナ、ヴェルナとアルールが二人一組になって続く。
湧水地だけあって極めて透明度が高い。
底には所々に藻の生えた岩があり、水草が平和に揺らめいていた。
小魚の多い豊かな泉で、小さなエビや大きな貝の姿も見える。
興醒めさせるような人工物は皆無で、どこまでも自然のものだ。
魔術を極めたとはいえ水にトラウマがあるアルールは、心に不安が渦巻いていた。
美しい景色を楽しむ少女たちとは違い、否が応でも海での出来事――最初の死を思い出す。
幾度も転生を経ようと、その恐怖が消え去ることはない。
ときおり不安げな視線をよこす幼馴染に大丈夫と示しながら、奥へ奥へと進んでいく。
水中洞窟に入った。
周囲は徐々に暗くなっていき、エルスカは手に魔法の光を
道のりはゆっくりと降下しており、地上からは想像もできないほど深くて広大だ。
これならば、この地の妖精王が冥界の神を兼ねているのもうなずける。
その
いつまでもたどり着かないので、呪文が効いているとはいえ、体温や水圧が心配になってくる。
ちょうどそんな折、道が上向きになり、エルスカは唐突に光を消した。
しかし真っ暗にはならず、前方は次第に明るくなっていく。
その原因は岩肌に付着した
進むにつれ輝きが増すことから、それ自体が発光しているのではなく、遠くの光を反射しているようだ。
さながら水中回廊のようで、恐れを忘れて幻想的な光景に胸をおどらせる。
ようやくあの先に、タルイス・テーグの住まう異界が待っている。そう思った矢先のことだった。
突然、アルールは何者かによって足をつかまれる。
急激に深場に戻され、四人が遠ざかっていく。
――水馬か!
事前に聞かされていた魔物の一種で、人を
暗闇の中、必死に
攻撃呪文を使おうものなら、自らの足まで巻き込みかねない。
急激な変化によって、まとっていた風の精霊力が急速に失われていく。このままではまずい。
苦肉の策で、目をつむって強烈な光を足元に向けて生み出す。
すると一瞬で相手の力がゆるみ、ようやく解放された。
しかし今度は、空気がすべて体からほどけてしまった。
たちまちパニックとなり、完全に思考が停止する。
息を止めてこらえるも、どうすればよいかわからない。
耐えきれずに口を開けるとともに、水の代わりに空気が入ってきた。
逆ではない。
不思議に思って見開くと、すぐ目の前にヴェルナの顔があった。
「大丈夫?」
「ああ、なんとか。助かった……。何かに足をつかまれ、引きずり込まれたんだ」
「あたしも何か小さな影を見たわ」
「小さい? 下半身が魚みたいな馬ではなくて?」
「ううん、そんなんじゃなかった。子供みたいなやつよ。とにかくみんなの所まで急ぎましょう」
「ああ、そうしよう。助けてくれてありがとう。襲われたのが逆じゃなくてよかった。やはり水は苦手だ……」
「あたしも、今回は救えてよかった」
死に様が定められた者は、決してほかの理由では死なないとされる。
目と鼻の先の幼馴染を意識しないよう努めながら、空気を借りて呪文を復活させる。
ほとんど光を感じない深場だが、藻が生み出す酸素がわずかに存在するようだ。
やがて、異変に気づいて引き返してきた三人と合流し、再び上を目指す。
動転して上手く対処できなかったアルールは、自らが追い求める〝完全〟が崩れ去ったと感じて、すっかり意気消沈してしまった。
生まれて初めて十五歳になった少年が大人になるには、まだまだ長い道のりが待っているのだった。
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