第20話 鏡占い
追っ手の竜騎士を撃退した一行は、エルスカの暮らす山小屋に来ていた。
すっかり夜も更け、ティルトとカティナは先に眠ってしまった。さすがに手狭なので、竜たちは外である。
アルールはひとり居間でくつろぎ、日中の出来事を振り返った。
イルールは自分に気づいていたのか、あるいは演説を聞いた何者かが密告したか。考えても答えは出ないが、危機は迫っている。
無事に切り抜けたとはいえ、飛行と攻撃の両立には神経を使った。
この世界では、空を飛ぶ大型生物に騎乗するのが当然のようだ。自分も利用しない手はない。
エルスカとヴェルナが風呂から上がってきた。ふたりはすっかり打ち解けていて、今夜はベッドを共有するらしい。
仲の良さに安堵しながら、考えていたことを伝える。
「決めた。わたしは飛竜を捕まえに行く」
「何を悩んでるのかと思ったらそれ? 卵から育てないと無理って妹ちゃんに言われたでしょ。気持ちはわかるけど、諦めなさいよ」
幼馴染にばっさり切られるも、何か方法があるはずだと食い下がる。
敵兵には通用しなかった魅了だが、異なる生物にも効果があると思い出したのだ。
「魔法が切れたらどうするの? たちまち振り落とされてガブリよ。野生の竜なんてそんなものでしょ」
「むう。たしかに維持し続けるのは至難の
がっくりと肩を落とすアルールに、タオルを頭に巻いたエルスカが口をひらく。
「まったく方法がないわけではございません。ひとつだけ、心当たりがあります」
「本当か? 教えてくれ、頼む!」
「はい。以前にもお話しした、このカムリに住まう妖精タルイス・テーグなら、竜を操る魔法の道具を譲ってくれるかもしれません。じつはわたくしの竜笛も、彼らに
「この島の神々に次ぐ存在と語っていた、高貴な妖精族だな。入植してきた人間やエルフに三方を囲まれ、カムリに追い詰められていったという」
「そのとおりにございます。妖精王にして冥界の神――『
「なるほど、空の次は水中の旅か……。いいね。よし、さっそく明日にでも行ってみよう!」
ぱっと表情を明るくした少年に対し、幼馴染は冷ややかに口をはさむ。
「ふうん。でもさ、いきなり行って手を貸してくれるもんなの? どうやって気に入られるつもりなのよ」
「行けばなんとかなるさ。わたしは意外とお行儀がいいからな」
「立場的にエルフみたいなものでしょう。そっちなら会ったことがあるけど、仕える神が滅んで実質トップだからって、ずいぶんお高くとまってたわよ。ダークエルフのほうがまだ話ができるほどにね」
しっかり者に水を差されて口をへの字にする。
転生前にもしばしば見られた光景だ。二百年の時を経て、人はまた同じことを繰り返す。
昔ならもうひとりの少女が優しく助言したものだが、今はエルスカがその役割を果たした。
「ご心配には及びません。アルールさまのことはすぐに気に入るはずでございます。なぜなら、タルイス・テーグとは『美しき家族』を意味し、金色の髪を至上としているからです。そのような人の子をさらって、帰さないことがあるぐらいなのです」
「いや、誘拐じゃないの! アウトすぎでしょ! アルールが戻ってこれなくなったら本末転倒よ。……でも、エルスカの髪は
すかさず突っ込んだ赤毛の少女に対し、エルスカは「ここだけの話ですよ」と、声を落として言った。
「じつはですね、彼らは牛のミルクに目がないのです。背が高いのはそのためかもしれませんね。かつては誘拐だけでなく、それが目当てで盗みもはたらいていたようなのです。だから今ではすっかり人間たちに縁を切られてしまいました。……ところでアルールさま。とある妖精から頂いた特別なミルクを覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、グラゲズ・アンヌンが育てた牛のものだな。空腹のせいで美味しかったのだと思っていたが、そうではなかった。味が優れているだけでなく、魔力が大きく回復したんだ」
「そうなんです。カムリには、ミルク好きの妖精と、ミルクを作る妖精が存在するのです。両者は異なる泉で暮らし、関わることはまずありません。つまり、もうおわかりですね? わたくし、密かに二者間を行き来して、それなりの財を蓄えてございまして……」
『妖精貿易!?』
アルールとヴェルナは同時に叫んだ。エルスカはすかさず口に指を添える。
「しー、くれぐれも内密にお願いします」
「す、すまない……」
「あなた、いいお嫁さんになるわ……」
永遠の十四歳をようやく卒業したばかりの少年は、エルスカの堅実さに恐れ入った。
と同時に、人と竜のあいだで辛酸をなめてきた竜人族のしたたかさを知る。
彼女は自分のために陰謀に巻き込まれ、フウィートルとここでひっそり暮らしてきた。
これまで、計り知れない数多くの苦労があったに違いない。
あらためて恩義を感じたアルールは、必ずや王位を取り戻すと心に誓い、明日に備えて眠ることにした。
ふたりが寝室へ去っていくと、居間で毛布にくるまり横になる。
ふと目についた手鏡を手に取り、自らの顔をのぞき込んだ。
以前に何気なく思った金髪を活かす機会が本当に訪れるなんて、直感とは不思議と当たるものだ。
そういえば――。
かつて
転生で渡り歩いてきた世界にそれぞれ師匠と呼ぶべき者がいて、彼らの下でさまざまな魔術を学んだ。
アルールはそれらを〝マンシー〟として体系化し、効率よく習得していった。
手元の鏡は、幼いころ世話になった乳母が残していったものだから、これで彼女を占うことも可能なのではないか。
少し眠いが、思いついたら今すぐにでも試してみたくなった。
生まれた直後は脳の準備が整っていないため、魂に蓄えた知識を引き出すのに限界がある。
自分を産んですぐに亡くなった実母の記憶が無い以上、彼女が母といえるだろう。
長い転生の旅で情をいだき続けるのは難しいが、今この世界の親ぐらいは知っておきたい。
空中での戦闘でいささか脳が疲れていたので、すべての呪文を省略して鏡にまじないをかけた。
すると鏡面はたちまち揺らめいて本来の機能を失い、これまでに映してきた景色を浮かび上がらせていく。
これを作った職人や商人に興味はない。時間を早めていくと、やがて亜麻色の髪をした幼い少女が現れる。
彼女は成長し、少しずつ大人びていく。
ある日、突然にお腹が大きくなり、若くして妊娠したようだ。記憶に残る顔であり、とても懐かしく思えた。
なぜだか涙を流す日々。
体は元に戻ったのに、彼女の子供は確認できなかった。ひょっとしたら不幸があったのかもしれない。
じきに見覚えのある場所へと移され、ついに自分――イェイアン王子らしき赤子が現れる。
自然とアルールの目が
乳母は名前を呼んではくれず、「坊や」と言ってかわいがってくれた想い出がよみがえる。
ぼんやり眺めていると、急に別の場所へ移動した。別れの時が近づくのを感じる。
使わなければこまめに布を掛けられる鏡だが、この際は失念したのか、ずっと部屋を映し続けていた。
あるとき、彼女が鏡を眺めていると、奥からひとりの女性が現れた。
白銀の髪と切れ長の目をもつ美女で、冷たい印象を受ける。
直前に動いた乳母の口の動きで、それが宿敵の母メルラッキとわかり、アルールの全身に寒気がおそった。
すぐさま
〝――シアナ、貴様いったいどういうわけだ? 子をなしておいて相手がいないなどと、ホラを吹くのも大概にせい! それではまるで聖女といわんばかりではないか。魔術を知らぬから雇ったというに、これでは話が違うぞ!〟
〝――なに、子を探す約束だと? とうに死んだと言っておろうに、しつこい奴よのう。食うに困っていた貴様に仕事をあてがってやったのは誰だと思っている。乳を出すしか能がないこの役立たずめが、なにが聖女だ。どうせ
〝――シアナよ、貴様には今の役目を終えてもらうことにする。あやつも今年で三つとなった。あれだけ育てば、もうひとりでなんとかやっていけるだろう。だがわかっているな。貴様には別の
……乳母の名はシアナというらしい。
当時はまだ十八程度だったようだ。
となれば、生きていれば現在は三十三かそこらである。
鏡占いでは、以下のことがわかった。
彼女は子供を何者かに奪われた。
行方不明となったわが子を探していた。
子供に生物学上の父はいないと主張していた。
イェイアン王子についてはなにも知らされていなかった、
そして最後に、別れたあと別の場所に監禁された、ということだ。
血のつながりこそないが、世話になっただけに心配である。
シアナは最後の別れを
おそらくこのことをメルラッキは気づいていないだろう。
彼女の意図は不明だが、赤子が魔術を極めた転生者アルールであると知るはずはない。
これも何かの因果である。
幽閉から解放されて以後、これまではただ流されるままに動いてきた。
イルールを見た瞬間に敵対心が芽生えたが、その後ろ盾にも怒りが湧き始める。
育ての母が生きていると願い、救い出す目標が加わった。
そのために今は何をすべきかを考え、悩ましいことは後回しにし、あらためて寝なければならないとの結論に至る。
身も心もくたくただ。今日はぐっすりと眠れるだろう。
大きなあくびをひとつすると、手鏡をしまって灯りを消す。意識が遠のくまで、そう長くはかからなかった。
その夜、アルールの夢に、一番最初の母親が現れた。
鍵を失くしたが、助言に従って見つけることができた。
これが何を意味するのかは定かでない。
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