第18話 偽王子イルール

 宿の狭い部屋からあふれ出たアルールは、女子たちの賑やかな声を耳にしながら、道具だらけの物置でひとり寂しく一夜を明かした。


 男女の比率が偏ればこのような悲劇もある。とはいえ、幽閉生活に比べればたいしてつらくもなかった。

 王子だなんだと言われても、すっかりみじめさに慣れてしまった己を自嘲じちょうする。


 朝日が昇りエルスカがやってくると、今後に備えて髪を整えてもらった。

 これまで切れ味の悪いナイフで自ら切っていたので、みすぼらしいと不評だったのだ。


 短くはしなかったが、随分と小綺麗になったものだと鏡をのぞく。生活環境が激変したことで、心なしか血色も良くなったようだ。


 美しい金色の髪をつまみ上げ、今後なにかしらの役に立ちはしないかと考える。

 いくつもの転生を経て、いつしか器を客観視する癖がついていた。


 偽王子イルールの演説には、エルスカとヴェルナの三人で行くと決まった。

 面が割れているティルトはほかの者と宿で待機し、すぐに飛び立てるようにしておく手筈だ。


 念には念を入れ、アルールはエルスカから特別な外套がいとうを借りた。他者に魔力を悟られないようにする不思議な代物だ。

 妖精と付き合いのある彼女は、このような神秘の道具をいくつも所持しているらしい。


 支度が整っていざ出発というとき、不意にヴェルナから声をかけられた。


「いい、アルール。よからぬ考えは起こさないでよ」


「……わかっている。余計なお世話だ」


 魂は二百年もの時を生きたとはいえ、所詮しょせんは十四歳を繰り返しただけ。

 意識の深層に眠る熱い闘志がきつけられれば、いったい何をしでかすかは自分でもわからない。

 最初の人生の大半を共に過ごした相手に心を見透かされ、いささか気分を害される。


 外に出てみると、今日も空は雲で覆われていた。村の至る所で、武装した兵士の姿が見られる。

 森方面も入念に調べられたようで、大所帯になったものの全員を連れてきて正解だったようだ。


 早めに出たにもかかわらず、壇上のそばはすでに人でごった返していた。

 観衆は戦闘員と一般人とで分けられ、武器こそ取り上げられなかったが、ピリピリとした空気をいやでも感じる。


 護衛たちのなかに、北方から傭兵としてやってきたハイランダーなる者たちがいた。

 クレイモアと呼ばれる巨大な両手剣を背負い、総じて筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとした体躯たいく

 顔や腕には刺青いれずみが施され、周囲に鋭い眼光を放っている。


 村の若者たちは、その勇ましい姿にすっかり委縮いしゅくした様子だった。

 アルールの右に立つヴェルナ越しに、男たちがひそひそと会話する声が耳に入ってくる。


「聞いたか。連中、スカートみたいなものをはいているが、あの下には何も着けていないそうだ」


「マジかよ。ってことは、戦場でフル○ンってことか?」


「そうなるな。あのバカでかいやつに加えて、もう一本クレイモアがあるってこった」


「す、すげぇ。勝てる気がしないぜ……」


 こちらに苛立った顔を向けて露骨にため息をつく幼馴染に苦笑する。

 どの世界でも血気盛んな若者は下品な言葉を口にするものだ。

 ましてやそれが戦士とあらば、魔術に励んできた永遠の少年には聞くに耐えないものばかり。


 左のエルスカは表情ひとつ変えず、達観しているのか理解していないのかは判別できない。

 ヴェルナがいつ爆発するかひやひやしていると、じきに兵士たちが慌ただしくなり、遠くの方から歓声があがり始める。何が起きたかは歴然だ。


「静まれー静まれ! 皆のもの、イルール殿下のお出ましであるぞ!」


 大声を張りあげた壇上の人物を見て、戦士たちに動揺が走る。


「ダークエルフだ!」

「初めて見た。なかなか強そうなオーラを放ってやがる」

「色っぽいなぁ。引き締まってるけど出るとこは出て、あんがい好みかも……」

「ふん、所詮はエルフね。針金みたいな手足しちゃって」


 漆黒の肌でとがった耳をもつ妖精族の女性だ。左目に黒い眼帯をし、長い白髪を後ろで束ねている。

 背が高く、腰には杖か剣か判断のつかない得物を携えていた。


「ええい、静かにせんか! うるさくて始められんではないか。これだから人間の若者は――」


「よいよい。活気に満ちていて、たいへん結構なことだ」


 奥から現れた人影を認めて、人々は一斉にイルール王だと騒ぎたてる。

 自らのまがい者と聞かされていた人物が一定の支持を得ている光景を見せつけられ、アルールは歯がゆい思いがした。

 恨みのこもった眼差しを向け、その姿がいかなるものかを確かめる。


 長い黒髪の少年。年齢は当然、十五であろう。整った顔立ちに浮かぶ瞳は不自然に赤く、異様な雰囲気をかもしている。

 王である以前に魔術師然とした出で立ちで、冠と錫杖しゃくじょうにはさまざまな色の宝石が燦然さんぜんと輝く。


 ――不健康そうなやつだ。アルールは意外に思った。


 肌は青白く、やぶにらみの目元にはくっきりとしたクマがある。わずかに前屈まえかがみで表情に陰があり、人相が悪く見えた。

 しかしそれがかえって、この者のいわれに拍車をかけたようだ。観衆はあっという間に静まり返り、物音ひとつ聞こえなくなった。


「ケア・ルエルに集いし、親愛なるカンバーランドの民よ。よくぞこの曇天どんてんのもと、わが呼びかけに駆けつけてくれた。がストラスクライドの正統なる王にして、『七番目の息子の七番目の息子』――イルールである。

 此度こたび、この地を訪れたのはほかでもない。王位を継ぐ者として、幾度となく戦乱に巻き込まれてきたことへの謝罪の念とともに、愛すべき諸君らの顔をじかに見届けに参った次第である」


 両腕を広げて朗々と語る。

 イルールがこの国の支配者となってから目立った争いは起きていない。自身に責任のない過去の統治、すなわち先王の行いをびているようだ。


 アルールが感じた違和感、それは彼が〝グリンドゥールの息子〟を名乗らなかった点である。

 苗字の存在しないカムリ王国では、父の名を添えることでその代替だいたいとしてきた。


 成り済ましたとはいえ、ボロが出ぬよううそは少ないほうがいい。肝心の部分をいつわっても、大方おおかたは真実を語っているように思えた。


 つまり、この地を支配したカムリ王国との決別を示しながら、まったく異なる血筋であると暗に示しているのではないか。

 父の名をほこりに感じているならば、その上書きだけはとうてい受け入れられなかったというわけだ。


 まがい者といえどまったくのつまらない存在ではなく、強力な後ろ盾をもった、ただならぬ気配をひしひしと感じる。


 そしてそれは、何も知らぬ観衆も同様だった。彼らは、イルールが〝七番目の息子の七番目の息子〟だと信じて疑わないようだ。

 みな吸い寄せられるように赤い瞳を見つめ、早くも心酔しんすいする気配すらある。


「現在、わがストラスクライドは、陸続きに三つ、海を挟んで三つ、計六つの勢力に囲まれている。敵の結びつきは強く、決して予断を許さない状況だ。

 ここカンバーランドは、古くから要衝ようしょうの地として知られてきた。幾度も支配者が入れ替わり、長きにわたり苦汁くじゅうを飲まされ続けてきた。ひとたびいくさが始まれば、この地は瞬く間に戦場となるであろう。

 そして今まさに、その兆候が各地で起き始めているのだ!」


 観衆がざわめく。若者は微動だにしないが、外周の老人たちはかぶりを振った。


「誇り高い若き戦士たちよ、栄えある未来の英雄よ。どうかこのイルールに、諸君らの力を貸してはもらえないだろうか。父祖ふそが成し得なかった真の平穏を築くのは、ほかならぬ君たちだ! 生まれてくる子供らに、この悲しみを引き継がせてはならない。負の輪廻りんねは、ここで断ち切らねばならない!」


 鬼気迫ききせまる王の訴えに人々は怖気おじけづく。

 しかしイルールは深々とうなずいて理解を示し、協力者を紹介し始めた。


 島の北部からやってきたハイランダーは、これまで他国家に屈したことのない力強い部族で、グリンドゥールの第二王子マドックとしのぎを削っているらしい。

 彼らが二メートル近い大剣を片手で掲げると、戦士たちから歓声があがった。


 続けて、ダークエルフの騎兵隊がちょうど到着したと告げる。

 悠然と闊歩かっぽしてくる黒き妖精の騎獣を見て、驚かない者はいなかった。


 骸骨の馬だ。

 髑髏どくろあぎとはまるで笑うかのように大きく開き、瞳は緑色に発光している。一歩進むごとに乾いた骨の音が響くが、弱々しさは微塵みじんもない。


 それにまたがる騎士たちの体は傷だらけで、四肢の欠損を銀色の義手や義足で補っていた。

 長命種ゆえに生死のサイクルが少ない彼らは、癒えぬ傷こそが名誉と考えているそうだ。


「うっひゃー、おっかねえ。うわさには聞いたことがあるが、あれがダークエルフの髑髏騎兵か……」

「奴らが味方になるっていうのか? まるで負ける気がしないぜ」

「ステキ。あんな騎士さまになら、さらわれちゃってもいいかも」


 村人は絶句しているが、若い戦士らには好評のようだ。強力な助っ人を得て、いつしか不安は高揚こうようへと変化したように見受けられる。


 イルールはさらに隠し玉があるとほのめかし、真紅しんくの瞳をらんらんと輝かせて彼らをあおった。


「痛みを知るのが己でなければよいのか? 争いを他者に任せ、平穏を享受きょうじゅし続ける者が賢いというのか?

 否! 自ら切り開く者にこそ、永遠とわの名声はふさわしい!

 カンバーランドの勇士たちよ、今ここに問おう。この中に、魔術を統べるこの王に付いてくる者はあるか?」


『おおっ!!』


 アルールと横のふたりを除くすべての戦士が高らかに呼応した。

 誰かが言い始めるや、たちまち『イルール王、万歳!!』の大合唱が会場にこだまし、平穏だったケア・ルエル村は異様な雰囲気に包まれていく。


 どうやら演説はこれで終わりのようだ。

 王が十五歳の少年であるゆえか、あるいは戦闘に従事する人々に向けたものであるためか、それは簡単で明確な内容だった。


 自身を十四年ものあいだ幽閉し、まんまと入れ替わった宿敵を前にして、アルールは慎重に様子をうかがった。

 護衛こそ多いが、声援に応えて手を振る相手に魔術を行使するのは簡単なように思える。


 そんな少年の手にエルスカが不意に触れ、耳元でそっとささやいた。


「いけません、アルールさま。今のあなたでは勝つことができません」


「なぜ止める、エルスカ。ここで奴を仕留めればすべてが終わる」


「敵は複数の加護を張りめぐらせ、いくつもの保険をかけています。どうかわたくしの予知を信じてください」


「他者の刻んだわだちに沿って生きるつもりはない。自分のことは自分が決める」


「お忘れですか、真なる相手はメルラッキ。彼女は第六王女の母でもあり、ここであの者をっても首が入れ替わるだけ。王都の守りもなおいっそう厳しくなるでしょう。どうかわたくしを、竜占い師ドラコマンサーを信じてくださいませ……」


 甘言かんげんで盛り上がる戦士たちを見まわし、彼らが死地に向かう未来がえた。

 わかりやすい言葉と恐ろしい助っ人、あるいは邪悪にも近いカリスマによって、簡単に丸め込まれた者たち。

 今ここであのまがい者を始末すれば、彼らが命を落とすのを止められるはずだ。


 勝てないと言われて苛立つアルールのそでをヴェルナが引く。

 促されて前を見た瞬間、まさにイルールと目が合った。

 彼は突然ほほ笑むと、思い出したように言葉を付け加える。


「そうそう。近ごろ、余の偽者が現れたとの報告があった。魔法を用いる金髪の男児だそうだ。情報を手に入れ次第、兵に連絡をくれたまえ。たとえ首がつながっていなくても構わない。連れてきた者にはたんまりと褒美ほうびをとらせようぞ」


 これまで目にして来た村人たちを思えば、金髪はそこまで珍しいものではなかった。観衆の反応を見るに、魔術師もさほど希少な存在ではないらしい。


 偽王子、いや、偽王ぎおうイルールはアルールにさほど気を留めず、最後に再び両腕を掲げて言った。


「それでは諸君、また会おう。カンバーランドに栄光あれ!」


 戦士たちは一斉に得物を掲げて応える。地響きを感じるほどの大熱狂。

 国の末端に王が現れ、滅多にお目にかかれない希少な戦力を見せつけたのだ。盛り上がらないわけがない。


 これはまだまだ始まりに過ぎず、期待しないほうが無理というもの。

 赤子で即位し、いまだ王子となめられてきたイルールの演説は大成功に終わったといえる。


 〝七番目の息子の七番目の息子〟をかたる人物がどの程度のものか見ておこうと軽い気持ちで訪れたアルールは、隙あらば一泡吹かせるつもりでいた。


 これまでさほど興味をいだいていなかった相手を目の当たりにした瞬間、その強大さを思い知るとともに、激しい感情がふつふつと湧き上がってきた。


 だがそれは怒りというよりも、魔術師としてどちらが上かを試したい貪欲な好奇心に近かった。

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