第14話 敵地潜入

 比較的安全な土地を経由した一行は、順調にストラスクライドの手前までやってきた。

 途中、バテてしまったアルールが、白竜に荷物をくくりつける交渉をしたりもしたが、休憩で地上に降りても危険は訪れなかった。


 しかしここから先は敵の領土。広大な土地ではあるが、いつどこで見つかるかはわからない。

 そのためしばらくは、高度二千メートルに浮かぶ層雲そううんの上を飛ぶことになる。


 白竜フウィートルは、ティルトたちを乗せた黄色い飛竜から距離をとって先行し、ぐんぐんと高度を上げていく。

 やがて濃霧を突き破り、海のように広がる白雲の上へ出た。


 アルールはようやく緊張から解放されて一息つくと、前に座るエルスカへ話しかける。


「魔法で空気をまとう選択肢もあったが、この程度ならなんとかなりそうだ。それにしても、よくこの地域の雲の様子がわかったね」


「鳥たちから話を聴いたのです。彼らによれば、謎の少女は、カンバーランド地方のケア・ルエルという村に滞在しているようです。見慣れぬ武器を持っているという話から、カティナさまがお話しされた異界の戦士にまず間違いないかと」


「へえ、鳥というのはなんでも知っているんだな。だがそれでは、お互い情報が筒抜けなんじゃないか?」


「いいえ、カンバーランドは幾度も支配者が変わってきた要衝ようしょうではありますが、敵の王都キャスレスからは遠く離れています。鳥に国境はありませんが、さすがにその地域の情報は入ってきません」


「そうか。敵地と聞いてはらはらしたが、そこまで危険ではなさそうだな」


「だといいのですが。メルラッキは魔術に優れた人物。ここまで情報が入ってこないとなると、いつどこで出くわすかわかりません。赤子だったアルールさまを異様に恐れたとはつまり、『七番目の息子の七番目の息子』がもつ意味をよく理解しているはず。警戒するに越したことはありません」


 エルスカは偽王子イルールよりもその母を恐れているようだ。

 予言を受けたイェイアン王子と入れ替わった以上、彼らも相当な魔術の使い手であると考えねばなるまい。

 アルールがまだ見ぬ相手に思考をめぐらせていると、不意に白竜が口を開く。


〝そろそろ着くぞ、準備いたせ。幻影をまとって近くの森に降りるとしよう〟


「背後の飛竜はどうする? 真っ黄色でとんでもなく目立つぞ」


〝わらわを誰だと思っている。他者に魔法をかけるなど造作もないわ。あの子は素直でかわゆい。おぬしの手を借りるまでもなく守ってやろう〟


「そりゃ失礼いたしました。フウィートルも長く生きてるだけあって、優れた魔法使いなのだな」


〝だが、おぬしらの争いに加担する気はないぞ。ここまで生き永らえたのも、わらわが臆病者だからじゃ。我ら古代種は減る一方。もう随分と知り合いも減ってしまった……〟


 白竜は魔力の衣をまとって雲に突っ込む。

 次の瞬間には視界が開け、眼下に緑の森が見えた。

 その先に大きな集落があり、おそらくあれがケア・ルエル村だ。


 開けた場所を選んで降り立つと、すぐに後続が到着した。

 変身を解いたフウィートルは、ティルトとカティナが荷を降ろすや、黄色い体にまじないをかける。

 するとたちまち稲妻の飛竜は、幼い金髪の少女へと変貌へんぼうげた。


「ええ、メステン・メリンが女の子になっちゃった!? 静電気で髪が爆発しちゃってる」


 飼い主とともに本人が一番驚いているようだ。自分の手のひらを見つめて言葉にならない声を発し、混乱したようにあどけない顔を上げる。

 白竜は腰をかがめてその頭をなでると、自身のそばに抱き寄せた。


「安心せい、ティルト。わらわはこの子とここで待っていよう。美味しい土産を期待しておるぞ」


「そうね、敵の領内だし、人里に連れて行くわけにもいかない。ありがとう、フウィートル。メステン・メリン、いい子にしてるのよ」


 そう言ってぷっくりとしたほおに触れると、幼女と化した飛竜は気持ちよさそうに目をつむった。


 ふたりの竜を残し、アルールたち四人は村に向かって歩き出す。

 ティルトは変装をしたと言うが、ぱっと見は変わった様子がない。

 兄がそれを指摘すると、妹は後ろ髪を結ったではないかと言い放った。


 ケア・ルエル村はシン・シオンの集落とは比べものにならない規模だった。

 エルスカが要衝と言っていたとおり、所々に戦闘用の備えが施されている。

 しかし国境を上空であっさり通過した一行は、意外とすんなり中に入ることができた。


 建物が密集する方へ行ってみると、そこは市場となっており、買い物をする人々がまばらに歩いている。

 彼らは見慣れぬアルールたちをじろじろと眺め、一定の距離を保つ。


 気にせず堂々と進んでいくと、不意に横から、店番をする中年の女性から声をかけられた。


「おや、女を三人も連れた貴公子さまのお通りだ。そんなせぽっちじゃ力も出んだろう。せっかくだから、ここで何か買っていっておくれよ」


「こんにちは、貴婦人。我らは旅の途中で立ち寄った者です。彼女たちはわたしの家族みたいなものですよ。初めての地で困っていましたが、お肉屋さんとはちょうどいい。よかったら、買い物ついでにお話を聞かせてください」


 お金を一銭も持っていないアルールは飄々ひょうひょうと言ってのけた。

 ちらと三人に振り向けば、エルスカとカティナが軽くうなずいて答える。

 商人は待ってましたとばかりに、一番大きな肉塊にくかいを示す。


「これは滅多に入ってこない代物しろものだよ。なんと水竜の畝須うねすと尾の身だ。王子が遠征で仕留めたってうわさだが、うちら庶民もおこぼれにあずかれるってわけさ」


「りゅ、竜肉だと……。申し訳ないが、それは結構。なにか別のものはありませんか?」


「そうかい、統一時代に生まれた子だと馴染みがないのかねぇ。ならイルカはどうだい? お貴族さまなら舌に合うだろう」


「いえ、もっと庶民的なものを……。ところで、この辺りの治安は良いのですか? あなたは現在の治世に不満はないようですが」


「そうさね。アルト・クルート王家の血が流れる今の王子ならいいが、先王やほかの王子たちはまっぴらごめんだよ。どこの馬の骨かも知らぬ連中が出張ってくるんだから」


「アルト・クルート?」


「おや、勉強不足だねえ。ストラスクライドの古い名前さ。ここカンバーランドは、何度も支配者と国名が変わって面倒でね。いい加減もう、いくさはこりごりだよ。イルールさまの代は長続きするといいんだが」


「ふうん。前のほうがかっこいいな」


 偽者を倒したあかつきには国名を戻そうとひそかに思う。

 まんまと入れ替わったうえに、意外と上手くやっている様子に苛立ちを覚えた。


 やがて商人は渋々と鹿肉を出してきて、話がまとまる。

 エルスカが支払おうとすると、カティナが「ここは自分が」と言ってさえぎった。


「ふふ、毎度あり〜。アンタたち、細いくせにずいぶん食べるんだねぇ。夜のためにたくさん精をつけるがいいさ。あははは……」


 アルールは女騎士が抜刀しないかとヒヤヒヤする。さいわい彼女はムスッとした表情で淡々と金を払うだけだった。

 商人に笑顔が浮かんだところで、本題を切り出す。


「そうそう、尋ねたいことがあったんでした。この近くで、異界の戦士を名乗る少女を見かけませんでしたか? なんでも、砲剣なる武器を振りまわしているとか」


「ああ、そりゃヴェルナだね。大したもんだよ、あの子は。細いなりで、屈強な戦士を打ち負かしたんだから」


「『守護ヴェルナ』……」


 なぜだか言葉の意味が理解できた。

 言語は転生の際に忘れることが多いが、わずかに残っているものもある。

 しかし、いつどこで覚えたのかまでさかのぼるのは難しかった。


「知り合いかい? まだこの村のどこかにいるはずだよ」


「いえ、興味深いので、ひと目でも見ておきたいと思いまして。ありがとうございました」


 骨付きのもも肉を二本、ティルトとカティナで分担して持つと、一行は大通りを歩き始める。

 買い物をしたことで、どことなく周囲の目も変わったようだ。

 緊張感は薄れ、まるで物見遊山ものみゆさんの気分である。


 アルールは偽者の評判が悪くないことを感じ取り、領民からすれば中身など誰でもよいのだと思い知った。


 指導者としての知識がない己と、どちらが王として優れているかを考える。

 十四年ものあいだ幽閉されたうらみはあれど、このままでは意思がぐらつきかねない。


「――アルールさま?」


「エルスカ。わたしはこの国のことを何も知らない。はたしてこんな者が良き王になれるのだろうか? 彼らが認めてくれる自信がなくなってきた」


「ご安心ください。これから一つひとつ取り戻していきましょう」


 すると、気落ちした兄を見かねた妹が、横からかつを入れてきた。


「兄さまは優しすぎよ。メルラッキが兄さまのお母上を殺した可能性もあるんでしょう? そんな奴に容赦ようしゃする必要なんてどこにもない。それに竜を食べるなんて野蛮すぎる。きっと腹いせで領民に思想を植えつけてるんだわ」


「ふむ。失踪したエルスカの父にも関わりがあるのは明白だ。支配の裏で暗殺を駆使しているのだろう。まだまだ知りたいことが山積みだ。幽閉は無知にするというのも狙いだったのだな。わたしが知っているのは、言葉とおとぎ話だけ……」


 物事を深く考える転生者が再び思考のふちに沈みかけたその時、前方から人々の喧騒けんそうが聞こえてきた。

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