第11話 夜空の星

 シン・シオンに巣食う巨獣アヴァンクを討伐したアルールは、陰からそれを見守っていた男たちに胴上げされて宙を舞った。


 その後、村人総出で加工処理が行われ、一行も手伝いを申し出た。

 熟練の職人たちが手早く解体を終えると、内臓・肉・革の三班に分かれ、さっそく作業に取りかかる。


 生々しい現場に抵抗のあったアルールたちは、主になめし液の材料集めにまわされた。

 湖を往復して水を運び、がした樹皮をひたしていく。そこに毛皮を漬け込むまでが役目である。


 ボスの背を覆っていた皮はもともと傷だらけだったうえ、いかずちの跡がくっきりと残ってしまい、とても売り物にはなりそうになかった。

 だが柔らかな腹側は、加工しやすいものがたんまりと採れた。


 最初に倒した小型の個体はじつにきれいな状態だったため、特に念入りな処理がほどこされた。

 残った肉片を丁寧にぎ落として表に返すと、立派な革製品になると予感させた。


 村人はさすがに慣れた様子だが、幽閉王子たちにはなかなかの重労働。

 飲まず食わずでひたすら手足を動かし、日が暮れるころには皆くたくたになっていた。


 そしてその夜、小さな集落では、新たな英雄をたたえるささやかなうたげが開かれることになったのである。


「――アルール、お前は男の中の男だ。よって、珍味を真っ先に食らう権利がある」


「お肉を食べさせてください……」


 拷問ごうもんにも近い主役の儀式が終わると、集まった者たちは銘々めいめいにその場を楽しむ。


「やはりすぐに下処理をすると臭みもなく、味がまるで違いますね。こちらはプラムで煮込んだのですか? とても勉強になります」


「尻尾じゃ! コラーゲンたっぷりの尻尾をよこすのじゃ! お肌つやつやになるのじゃー!」


「このカルパッチョ、すごくおいしい! もっといっぱい持ってきて!」


「こら、先に口をきなさい。ああ、こんなに散らかして……」


 つい昨日までずっと孤独でいたアルールにとって、目の前に広がる光景はまるで夢のように思われた。

 明るい笑い声が響く大広間で、ただひとり幻を見るかのように呆然ぼうぜんと人々を眺める。


 その様子を見たエルスカは、沈痛な面持ちで手のひらをそっと重ねた。

 アルールは優しいぬくもりを感じながら、遠い昔に似たような思い出があった気がした。


 村長は皆を代表して演説をし、なにか聞きたい話はないかと問いかけてくる。

 そこでアルールは、自分は魔術一本で歴史は不勉強であると返し、この島の成り立ちについて尋ねたみた。


 最長老でもある彼は深くうなずくと、騒がしい仲間たちを鎮め、聞きやすい声でゆっくりと語り始めた。


 元々この世界は、神々の後継者たる妖精族が支配する領域であったという。

 そこに迷い込んだ人間たちは当初、その中でつつましく暮らしていた。

 やがて集落を形成し、国となり、他種族と軋轢あつれきを生むようになっていく。


 混乱に乗じて侵略してきたのが、魔界を統べる魔皇帝であり、圧倒的な戦力でたちまち島を支配した。

 しかし魔界で動乱が起きたことで帝国軍は撤退し、再び人間の王国が栄えることとなった。


 代わって現れたのが、海をへだてた大陸の異民族である。

 異教の神々を崇拝し、その眷族けんぞくたる妖精をともなって侵略を重ね、島中を混乱におとしいれた。


 諸侯しょこう離合集散りごうしゅうさんを繰り返し、やがて大きく七つの王国を形成する。

 同盟、裏切り、飛び交う権謀術数けんぼうじゅっすう。いったいどの国が覇権をにぎるのか……。


 そこから先はエルスカに聞いたとおり、アルールの父グリンドゥールが竜人王の助けを借りて島を統一し、死後、ふたたび分裂したのであった。


 シン・シオンのほとりに住む彼らは、第一王子グリフィズが支配する安定した領内にいることを感謝しつつ、いつわりの平和を終わらせる人物の到来を待ち望んでいると語った。


 一行はその後もおいしい料理を腹いっぱいご馳走ちそうになり、心ゆくまで宴会を楽しんだ。

 酒に酔った男の裸芸に立腹したカティナが抜刀する一幕もあったが、やがてつつがなく終了する。

 湖の水を利用した風呂に浸かったあとは、ここで一夜を明かすことになった。


「おやすみ、ティルトにカティナ。今日は君たちに会えて、とても幸せな一日だったよ」


「ふぁああ……。おやすみなさい、兄さま。一緒に寝てくれる?」


「なりません。本日はたいへんお疲れさまでございました。さあ、行きますよ」


 半分寝ていた第七王女が従者に引きずられていく。

 興奮で目が冴えていたアルールは、エルスカとフウィートルを部屋に残し、夜風に当たろうと外に出た。


 ここは長老の屋敷だ。

 結局、壊れた壁はそのままとなっている。

 妹と共に平謝りすると、穏やかなあるじは「元気で結構」と笑うだけだった。


 直せればいいのだが、修復の魔術を使うには事前に形状記憶を施さねばならない。

 神々が用いる奇跡とは異なり、人間の魔法には限界があるのだ。


 転生してまずやることのひとつに、夜空の観察がある。

 星占いアストロマンシーを行うことによって、生まれ落ちた惑星のおかれている状況を把握し、今後の備えとするためだ。


 人々は星を眺め、星もまた人の子を見守ってきた。どのように解釈をされてきたかは、その世界を知る大きな手掛かりとなる。


 今回は随分と遅れてしまったが、これでわかることは少なくない。今からでも充分に意味はあるだろう。


 アルールは枝を使って地面に〝地軸オンパロス〟を描くと、その中心で両手を開いて空を眺め、〝天軸アクソン〟を観測し始める。

 すると、人工の光が一切介入しない完璧な星々がそこにあった。


「ふむ、南の下に輝かしい星があるが、全体的に暗いな。天頂てんちょうは四角形となっていて、視点を広げれば逆さになったペガサスのようにも見える。その下には魚、左は牡羊おひつじ……」


 ふと、何か強い違和感を覚えた。


「ん? この配列、なんだか見覚えがあるぞ。別の惑星で同じ星空など、まさに天文学的確率。そんな偶然は起こりっこないが、疲れているのだろうか……」


 記憶を引き継ぐ転生といえど、膨大ぼうだいな知識のすべてを持ち越すわけにはいかない。

 特に文字や名前など、その世界でしか通用しないものは意図的に忘却してきた。


 必要なのは概念であり、わずかな思い出を除けば、新たな器に入れる情報は絞らなければならなかった。


 そんななか星々だけは例外であった。人の目で観測可能なものには限りがあり、際限なく増えるわけではない。

 それにひょっとすれば、宇宙空間を移動できる日が訪れた際に役立つかもしれない。


 物思いにふけっていたアルールは、やがて違和感の正体に気づいてハッとした。


「ば、馬鹿な……。この配列は、最初の惑星――地球だ! だが、そんなことはありえない。たった二百年でここまで変動するわけがない。まさかこの『妖精界』は、わたしが最初に生まれ落ちた世界の裏側とでもいうのか……!」


 人が存在する三次元に、移動可能な時間あるいは空間軸を加えた四次元、さらに無数の時間・空間――つまりはパラレルワールドを加えた五次元。

 魔法すら存在しない最初の世界では把握しきれなかった概念は、転生の旅で少しずつ理解可能となっていた。


「文字は記憶から消し去ったのに、なぜだか手に馴染んだのはそういうわけなのか? わかりやすい未熟な文明なのではなく、知っていたものの裏返しに過ぎなかったと……」


 しかし、だからなんだというのだ。

 やることはこれまでとなんら変わらない。魔道を極める旅を続け、想い人と幼馴染を探し出し、幸せな生涯を閉じる。

 それこそがアルール、すべてが完全な死である。


 それが不可能なのは自分でもわかっていた。

 しかし延々と続く輪廻転生りんねてんしょうは、何か目的がなければ続けることはできない。


 別人に生まれ変わるという、この不可解な事象について考えるのは無駄と諦めた。

 宇宙の果てを考えるのと同様、あまりに途方がない。

 ゆえに、完全なものなどありえない。だからこそ続けることができるのだ。


「――眠れないのですか?」


 不意に声をかけられて振り向けば、いつの間にかそばにエルスカが立っていた。


「起こしてしまったか、すまない。ここで星空を眺めていたんだ。そうしたら、以前に有していた記憶と重なるものがあってね。わたしはどうやら、始まりの世界の裏側に来てしまったようなのだ」


「……転生前の記憶ですか。あなたさまはとても長い旅を続けてこられたのですね。そのご苦労を推し量ることはできませんが、お気持ちはうっすらと理解できます。わたくしも、夜空を眺めるとなぜだか懐かしく感じるのです。不思議ですね。この世界で初めて生まれ落ちたというのに」


「君は優しいな。こんな突拍子とっぴょうしもない話を信じてくれるのだから。そもそも、始まりと思っていたものが、何かの続きであった可能性すらある。それでもわたしは、最初に好きになった少女を追い続けることでしか、魂を維持するすべを知らないのだ。それを手放した途端、すべてはバラバラとなり、わたしはわたしでなくなってしまう!」


 つい感情が入る。力なくため息をつくと、じっと視線を向ける少女に尋ねた。


「……哀れだろう? 君はどうして、こんな男に優しくしてくれるんだ。なんだか申し訳なくなってきたよ」


 アルールは顔を手で覆い、かぶりを振った。エルスカはその肩に優しく手を乗せると、穏やかな声で言った。


「いつかその方と会えるといいですね。わたくしも、ささやかながらお手伝いをさせていただきたく思います。さあ、今夜はもう遅いです。どうかお休みになってください」


 肉体は年上だが、魂は年下。互いに二百近いのであれば、それも誤差のようなもの。

 そう思うと疲れがどっと出て、急にまぶたが重くなってきた。


「ありがとう。君のおかげでようやく眠たくなってきた。今夜はもう寝るとしよう」


 子供のように背中を押されながら、アルールは館に戻っていく。

 こうして、地下室を慌ただしく脱出してから二日目の夜が終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る