第10話 魔獣アヴァンク

「やって来ませんね……」


 茂みにひそむアルールの隣で、エルスカがぽつりとつぶやいた。

 前方には、岩の上で素足を水につけた第七王女ティルトが、退屈そうに空を見上げている。


 怪物がいる場所でこのようなことをするのは狂気の沙汰さただが、これがシン・シオンで古くから行われてきた、乙女による〝釣り〟であった。


 開始からすでに三十分。これが魚狙いならまだまだ辛抱強く耐えなければならないが、村長によれば、アヴァンクはすぐにやってくるという話だった。

 以前に手伝ったエルスカのときなど、ものの数分で三匹もやってきて大変だったそうだ。


「あのおなご、なかなか頑張るのう」


「あの子はまさに男勝りな娘でして、女性の色気などというものは持ち合わせていないのです」


「ぜんぶ聞こえてるわよ!」


 フウィートルと従者カティナの言葉に反応するティルトだが、決してその場から動こうとはしない。

 どうやら失敗を認めたくないようだ。


 兄であるアルールは、妹の尊厳を傷つけずに釣りを成功させてやらねばと考えた。

 風向きは現在、湖の奥からゆっくりとこちらへ吹きつけている。

 もしかしたら匂いに反応するかもしれないと思い、そっと三人の女性たちの背後にまわる。


 人間にフェロモンがあるかどうかはさておき、くだんの魔獣はおそらく偶然にも、別種の生物が発する女性的な何かを感じ取っているに違いない。


 アルールは声を出さずに呪文を唱える。

 ことを省略する無詠唱とは異なり、音の発生そのものを抑える技能、【静寂タウェルフ】。

 そこに微弱の魔法を重ね、風の精霊に匂いを拡散してもらう算段だ。


 どうせならいろいろ試したいという魔術師的な欲は、思いもよらぬ結果を招くことになる。


『きゃあああ!?』


 ――しまった!


 即座に横を向いて、軽く口笛を吹く。

 うっかりさじ加減を間違えて、三人のスカートをめくってしまった。

 風の精霊はしばしばイタズラ者が多いのを完全に失念していたのだ。

 子供ではあるまいし、よわい二百を超える転生者が意図してやるわけがない。


「まあ、風の仕業しわざでしょうか?」

「まったくもう、しょうがない奴じゃのう~」

「アルールどの……」


 三者三様。ひらひらとした腰巻きの下に無骨なよろいしか見えなかった人物が、なぜか一番怒っている。

 肩を震わせるカティナは鬼の形相ぎょうそうで帯剣に手を掛けた。


「ま、待て、抜くな! これは兄のささやかな優しさが生んだ悲劇だ!」


「何をわけのわからぬことを! 第七王子だろうと何だろうと、このカティナ、破廉恥はれんちは許しません! お覚悟!」


 秘技、真剣白刃取しんけんしらはどり。

 アルールはすんでのところで、ひらめく刃を受け止めた。

 彼女と無駄な攻防をしていると、妹ティルトが姫らしからぬ大あくびをして言い放つ。


「ふぁ~あ~あ~……。あー、もうやめやめ。この湖に怪物なんて最初からいなかったのよ。はあ、くっだらない、かーえろっと――」


 彼女が岸へと振り返る、その瞬間だった。


 突然、水面に無数の水柱みずばしらき上がる。

 激しくまき散らされた水しぶきが収まるとともに、それらは一斉に姿を現した。


 頭部の上半分はワニのようであり、それ以外は極めてビーバーに近い。

 立ち上がった高さは大の男並みだが、ずんぐりむっくりとしてくまのようである。


「おお! 出たぞ、あれがアヴァンクじゃ!」

「危険です! ティルトさま、逃げて!」

「姫! 今すぐこちらへ!」

「いや、多すぎよ! 兄さま早くー!」


 逃げた少女を追って、茶色い毛皮の四足獣が続々と岸にい上がる。

 どうやら作戦は成功のようだ。


 しゅの生存争いに敗れた末、他種族のメスにつられておびき寄せられるとは哀れなり。

 数は多いが根こそぎ駆逐くちくしてやろう。アルールはほくそ笑みながら詠唱を開始する。


なんじつちに打たれる金床かなとことなれ。【思考撹拌イスグウィド・イメニズ】!」


 脳を小刻みに震わせて気絶させる危険な呪文だ。

 即死させてもよかったが、心臓を破裂させると身質が悪化するおそれがある。


 必死な顔で追いすがる最前列の一匹が崩れ落ちた。

 威力を落として範囲を拡大する手もあるが、仕留められなければ意味がない。

 時間はかかるものの、おとりには頑張ってもらうほかないだろう。


「なんでわらわを追ってくるんじゃ〜!」


 散開した四人のうち、ひとりが集中して狙われていた。

 アヴァンクたちは甘えるように「ん」を連呼しながら、逃げるフウィートルに群がっていく。


 哺乳類と爬虫類はちゅうるいが合わさったような生き物ゆえに、竜の放つフェロモンにかれるものがあるのかもしれない。


 妹に女性的な魅力がなかったわけではないと安堵あんどしたアルールは、次の対象に手を差し向ける。

 直後、何かを破壊する音とともに、野太い「ん」が辺り一帯に響きわたった。


「何事だ? あ、あれは……!?」


 枝で作られたダムを突き破って現れたのは、ほかとはまるで比べものにならないほど巨体のアヴァンク。

 眼光は鋭く、青黒い毛皮は傷だらけで、二本の前歯が下向きに突き出ている。

 まさしくボスと呼ぶにふさわしき存在だ。


「なんてデカさだ。勇者の伝説が残るにしてはチンケな魔物と思っていたが、まだあんな化け物が潜んでいたか……」


 巨獣は二足歩行で上陸すると、前脚を地に下ろして鈍重な音を響かせる。

 ボスと入れ代わるようにして、雑魚たちは一斉に湖へ戻っていく。


「それにしてもオレンジできったない歯だな。樹皮のタンニンが染み付いているのか。どれ、【元素解析ダダンソッディ】」


 アルールは左目を細め、右の手のひらを敵に向けた。一種の透視であり、肉体を構成する物質を大まかに分析する呪文である。


「ほほう、あの歯には鉄分が多く含まれているのか。もはや金属の刃ではないか」


 平たい尾に、後ろ脚には水かき。前頭部から背中にかけてうろこがあり、やはりビーバーとワニが混じった怪物のようだ。

 継ぎ目が自然なことから、野生化した合成獣キメラなどではなく、カモノハシに近い原始的な生物なのだろう。


「二種類の毛皮が採れるなんて、じつにお得だな……」


 先ほど妹に注意されたにもかかわらず、つい脳内の図鑑埋めに夢中となってしまう。

 記念すべき、この世界で最初の一ページ。できれば耐性の項目も埋めておきたい。

 そんなアルールを叱咤しったする大声がした。


「何をしとるんじゃ小僧! 早くわらわを助けんかー!」


 フウィートルはUターンして戻ってくると、こちらの背後にまわった。

 興奮状態のボスアヴァンクが唾液だえきをまき散らしながら立ち上がる。

 そのとき唐突に視界に入ってきたものを見て、アルールは驚愕きょうがくした。


「珍味もでっか!」


「珍味いうなー! おぬし、あんなモノ食べる気か! もう付き合いきれん、わらわは逃げるぞ!」


 白竜は本来の姿に変化して空へと飛び立った。

 すると巨獣は追うのをあきらめ、こちらへと矛先ほこさきを変える。


「うげ、なんでこっちに来るんだ! まさか、白竜の出汁だしがきいた湯にかったせいか? さほど気にしていなかったが、なんだか複雑な気分だ……」


 岸辺を全力で走りながら、今朝の出来事を振り返る。

 抱き枕にされた挙句、二番風呂に入った。

 汚いとまではいわないが、全身にフウィートルの匂いが染み付いてしまったようだ。


 逃げていても始まらない。筋力不足で早くも脚が悲鳴をあげている。

 アルールは湖を横目に見ながら、ひとまず敵から距離をとることにした。


水霊ウンディーネよ、わがうつし身を虚空こくうへと映し出せ。【水影鏡像デルウィズ・ドリーフ】!」


 体から切り離されるように少年の幻が出現した。それは徐々に岸へと移動し、水面を走り始める。

 と同時に、本体を不可視ふかしにする機能をそなえていた。


 視覚に頼る生物ならば、知能が高くても一時的にだまされてくれる便利な呪文である。

 しかしアヴァンクは、まったく変わらずにアルールをとらえて追い続ける。


「くっ、嗅覚感知か。【浮遊アルノヴィオ】!」


 空中に浮き上がって突進をひらりとかわすと、足元にあった岩が粉々に砕け散った。

 すぐさま着地し、先ほど雑魚を倒した脳震盪のうしんとうの呪文を振り向きざまにたたき込む。

 だが、ぶ厚い頭蓋骨ずがいこつによっていとも簡単にはね返されてしまう。


 おまけにそれを攻撃と認識したか、相手は立ち上がって、これまでとは異なるおたけびを発する。

 腹を見せたすきをつき、アルールはすかさず大地の破壊呪文を唱えた。


地霊ノームよ、わが前に立ちふさがる城壁を微塵みじんに打ち砕け。【地爆壊フリドラッド・ダイアル】!」


 強烈な衝撃波が敵のふくれた腹を大きくへこませる。

 が、ふかふかの毛と分厚い皮下脂肪によってはじかれ、地面を深々とえぐった。


「なにぃ!? 地味な見た目のくせに、いきなり強すぎるぞ! やむを得ん。毛皮が傷つくおそれがあるが、あれを使うか……」


 余裕のなくなったアルールは、ついに即死級の呪文を解禁した。

 敵の恐るべき魔法耐性を考えれば、的確に弱点をつかねばなるまい。

 となれば選択肢はひとつ。古来より、水生動物には雷と相場が決まっているのだ。


「陽光よ、もっと輝け。汝、小さき旅人よ、再び天へと舞い昇れ。【乱雲招来クムロニンブス】!」


 先に起点となる雲を作り、そこから次の一手を発動させる。

 多少回りくどくても、消耗を抑えながら確実な方法で仕留める判断だ。

 水を大量に使う大掛かりな魔法だが、これだけの湖ならば問題はないだろう。


 もくもくと立ち昇った水蒸気は敵の頭上に集結し、たちまち小さな積乱雲せきらんうんが生まれた。

 急に辺りが暗くなったことで、アヴァンクは不思議そうに空を見上げる。


 そんな時、苦戦する兄に見かねたティルトが駆け寄ってきた。


「兄さま、私も手を貸すわ! 出てきたばかりで無茶しないで! いくらなんでもこんな化け物は想定外よ!」


「危ないから離れているんだ! それよりも、この地の雷神の名を教えてくれ!」


「え、いきなり何のこと? 神々なんてもうとっくにいないけど、雷をつかさどっていたのはタラニスよ」


「そうか、ありがとう。さあ、危険な呪文を使うから、距離をとってくれ!」


 妹は困惑しながら兄のもとを去っていく。

 アルールは穏やかな声で、攻撃体制に入る怪物に語りかけた。


「歴戦の猛者もさのようだが、そんななりでは相手もいなかろう。お前も長いあいだ、恋人を求めてさまよってきたのか?」


 ボスアヴァンクは大口を開けて、するどきばを見せつけた。

 どうやら友達にはなれそうにない。幾度も攻撃を加えたことで、怒りが頂点に達している。

 駆け出した姿を寂しそうに見据え、アルールは詠唱を開始した。


「大地に恵みをもたらす偉大なるタラニスよ、我にちからを与えたまえ。輪転せよ、曇天どんてんに潜む断罪だんざい戦鎚せんつい。ここにせつの一閃を振り下ろさん。はたたけ、【雷神撃タランヴォスト】!!」


 眼前にまで迫った怪物が立ち上がると同時に視界が明滅する。

 すさまじいまでの神解かみとけ。

 ジグザグに走った黄色い閃光は、一瞬にして敵の脳天に達した。


 本来、神の名を直接唱えるのは避けるべき行為だ。

 しかし雷神タラニスタラン――いかなる者か知らぬ存在と、辞書を紐解ひもといて知った単語につながりを見出した時、そこに確かな神力しんりきが加わるのを感じた。


 開かれたあぎとから最期の吐息がもれ出る。

 青黒い体がゆっくりと前のめりに倒れ、大地を重く震わす。

 伝説にもその名を残す巨大な魔獣アヴァンクは、幽閉されていた第七王子の前に屈した。

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