第9話 シン・シオンのほとり

 無事……ではなかったが、アルールはなんとか妹のティルトと合流できた。

 彼女がけ負った怪物退治をするために、五人は連れ立ってシン・シオンへ向かう。


 極めて凶暴だが、女性にひざまくらされるのを好むという魔獣アヴァンク。

 この集落では、おとりとなる女性を定期的につのり、安全のために間引いているようだ。

 その肉は滋養強壮じようきょうそうに優れ、尾は肌の健康にいいとされる。


 こうして捕らえられる個体はすべてオスであり、おそらくはメスの奪い合いに敗れてあぶれた存在であるらしい。そのため、継続性のあるじつに合理的な狩りといえた。


「妹の心を傷つけたばつとして、兄さまがひとりで討伐するのよ。魔術に優れた者として幽閉されていたんだから、その実力を示して見せて。じゃないと、手伝う話はナシなんだから。私、ほかの兄さまたち全員と仲が良いけど、抱きとめてくれなかったのはアルール兄さまだけよ」


 第七王女ティルトはぷりぷりとした表情を浮かべて言った。

 竜の返り血を浴びた人間は特別な能力がそなわり、その子供もなんらかの才に恵まれるという。

 彼女は華奢きゃしゃな見た目でありながら、すさまじい怪力を有しているようだ。


 アルールのもつ魔術の知識は長き転生でつちかったものだが、イェイアンという器自体もやはり魔力の受け皿として優れた逸材だった。

 十四年ものあいだ空っぽであったが、一度の睡眠で回復しきれないほどの容量があるのだ。


 転生者が求めていたものと王子に欠けていたものが見事にかみ合った結果、敵の思惑は外れ、予言どおりに〝七番目の息子の七番目の息子〟が爆誕したのである。


「なるほど、汚名返上というわけか。いいだろう、望むところだ。実戦で試してみたい呪文が山ほどある。肩慣らしにはもってこいだ」


 左右の腕を回すアルールに対し、姫の従者カティナが不思議そうに尋ねた。


「以前、ストラスクライドにて、ある高貴な人物がとらわれていると耳にしたことがあります。今にして思えば、それが貴殿だったのですね。隔離された地下牢で魔力を完全に枯渇こかつさせ、食事からも徹底的にエッセンスを抜いたとか。それなのにどうして魔術をお使いになられるのですか?」


「ん……。まあ、暇だから自ら編み出したという感じかな。閉鎖された環境でも空想の自由はある。机上の空論だから、どこまで通用するかは定かではないがな」


 信用に値しそうな人物ではあるが、話がややこしくなりそうなので、転生者であることはとりあえず伏せておく。


 各世界の雑多な魔法に触れ合ってきたアルールは、極めて整理された考えで呪文を記憶していた。

 頭のなかに独自の魔道書をつくり、属性によって分類し、関連項目を張りめぐらせて、即座に最善の選択肢をとれるようにしているのだ。


 塔を脱出する際、風を司るエアロマンシーは機能した。

 この世界を統べる神的存在の知識こそないが、高威力の【神嵐ティメストル】が発動したのなら、神力しんりきの一部を引き出せたことになる。


 次は何を試そうかと考えていると、横からフウィートルがくぎをさした。


「よいか小僧、決して肉は傷つけるなよ。お肌によいとされる尻尾は特にじゃ。頭部は淡白だから多少は許せるが、わらわはちゃんとした料理が食べたいのじゃ」


「また難しい注文を。となれば精神的なものになるか……。効くかどうかはわかりませんが、努力はしましょう」


 膨大ぼうだいな知識からひとつの呪文を無作為に選ぶのは意外と難しい。

 紙の本ならばパラパラとめくることができるが、因果関係を重視するアルールには向いていないのだ。図らずも選択肢が絞られたことに、心のなかで感謝する。


 湖のそばでは、手に槍をたずさえた男たちが集結していた。その中心に立つ老人が、こちらに向けて手を振ってくる。


「いよいよ準備ができたのですな、ティルトどの」


「みんな、待たせてごめんね。安易に引き受けたものの、今さら怖気おじけづいちゃって……」


「よいよい、それが普通だろう。アヴァンクは決して乙女に危害を加えることはないが、命の危険を感じれば話は別だ。こやつらを茂みにひそませておくから、上手うまいこと誘導してもらいたい」


「それなんだけど、村長。今回はこの兄……いえ、アルールが仕留めてくれるそうよ。魔法には自信があるんだって。怪我けがをしても治してくれる人がいるから、気にせず任せてほしいの」


 村人たちは顔を見合わせた。おそらく村長は、アルールが手伝うと申し出たのは冗談と思っていたのだろう。


「ふむ……。じつをいえばいつも負傷者が出るから、たいへんありがたい話ではあるが、本当に大丈夫なのかね? 過去には命を落とした者もいる、極めて凶悪な怪物だ。なによりティルトどのの安全が最優先で、何かあっても責任はとれぬぞ、少年よ」


「問題ありません。ですが村長。アヴァンクにはどういう逸話いつわがあるのか教えていただけませんか? 興味があるんです」


「ほほう、逸話とな。やつは神話の時代から存在し、英雄が倒した伝説も残っているほどだ。水中にとても立派な巣を作るのだが、木々を切り倒してしまうので厄介者やっかいものと思われていた。だから一時期、熱心に狩りをして減った時期があるのだが、かえって洪水こうずいが増えたそうな。以来、わが先祖は、今の手法を用いてりすぎないようにしてきたのだよ」


 どうやらビーバーに近い生物のようだ。

 真面目に聞き入るアルールを見て、村長のそばにいた男が「面白い話があるぜ」とニヤけた顔で話しかけてきた。


寓話ぐうわなんだが、赤毛の北方民族に伝わるものが元となっているらしい。彼らはあるモノが目当てで、よくアヴァンク狩りをしたんだ。そのせいで、連中はちん○んを自切して逃げるようになったんだとさ」


「ちん○んを自切!?」


「うわははは! 男なら絶対、そう反応するよな。金目当てで襲われたら素直に出せっつう教訓なんだが、じつはちょっと違うのさ。人間の狙いは肛門近くの香嚢こうのうという器官で、性別に関わらず存在するんだ。それを乾燥させたものが海狸香カストリウムで、レザーの匂いがする香料となる。殺菌効果があり、くことで蜜蜂を守ったりしたそうだ。で、そいつとアルコールを混ぜたものが――」


 そう言って、ふところから液状の薬品を取り出す。


「チンクチャーだ」


「チンクチャー!?」


「おいおい、こっちはそんな珍しいもんじゃないぜ。よく効く消毒薬だ。というわけで、怪我をしたらこいつをってやるから、安心して男になってこい」


 男は親指を突き立てウインクした。

 アルールは村長と彼に感謝し、新しい見識をさっそく脳内の書物に記すことにする。

 辞書占いビブロマンシー野獣占いセリオマンシーを組み合わせたもので、いわゆる怪獣図鑑を魔術的に作成しているのだ。


「たとえカネ目当てで襲われても、キンは差し出しちゃいけねっつう話だな。連中だって恋の季節以外は内側にしまってるんだぜ。まあ、そっちはそっちで珍味なんだがなぁ。うわははは!」


 男が最後にそう付け加えると、それまでうつむいて拳を震わせていた従者カティナが突然、抜刀ばっとうした。


「は、破廉恥はれんち! 破廉恥は成敗いたします! ティルトさまの御前おんまえでなんたる無礼! 教育上よろしくありません!」


「うわー! 剣を振り回すなー!」


 全員でなだめてなんとか騒ぎが収まると、五人は村人を安全のために残し、ようやく水辺へと向かった。


 シン・シオン――緑豊かな自然に囲まれた、じつに風光明媚ふうこうめいびな湖である。

 透明度が高く、木々の陰となっている場所に大きな魚影が見えた。

 幽閉中では想像だにしなかった光景に、アルールの心は感動に打ち震える。


 あらためて展望すれば、到着した際は気にも留めていなかったが、下流方面に枝で作られたダムがあった。

 最初の世界では、毛皮目的の乱獲で数を減らしたビーバーだが、似たような生物がほかの惑星にもいるとは大宇宙の神秘だ。


 転生者アルールは、彼らが環境保全の一翼いちよくになっていると理解でき、深々とうなずく。

 第七王女ティルトは、そんな兄をあきれるように見つめた。


「おびき寄せる、倒す、食べるでいいじゃない。時間かけすぎよ。アルール兄さまは随分としょうね」


「おっと、つい悪いくせが出てしまったな、申し訳ない。わたしの名前には完全という意味もあるのだ。敵の生態、弱点などを知れば、戦いが有利にはたらくこともあるだろう。さてティルト、わが妹よ。君の度胸を見せてもらおうか」


「まっかせない! 女の色気でケダモノをおびき寄せてやるわ!」


 ふふんと鼻を鳴らし、自信満々に胸をたたいてみせる。乙女というには、まだいろいろと足りていない。

 アルールは心のなかで、この子では餌にならないとつぶやいた。

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