第8話 第七王女ティルト

 湖のほとりへ降り立ったフウィートルは、すぐに人間の女性へと姿を変えた。アルールよりも頭ひとつ背の高い、はたから見れば絶世の美女である。

 民家に向かって歩き出すと、肉を連呼する彼女にエルスカが念を押す。


「いいですか、どんなにすすめられても、お酒だけは絶対に飲んではいけませんよ。あなたは酔うと、とても手がつけられないのですから」


「言われなくともわかっておるわい。まったく、小姑こじゅうとみたいに口うるさいのう。いったい誰に育てられたんじゃ」


「全部あなたの教えです。なによりもまず、危険を回避するのが竜占い師ドラコマンサーの役目ですから」


 白竜の変身が解けて暴れられたら目も当てられない事態だ。

 しかしアルールは、異世界の水事情に一抹いちまつの不安をいだいていた。


「なんとなくだが、水よりも酒のほうが安全なのではないか? わたしは幽閉中、日に一度だけ貰えるお湯を水瓶みずがめに溜めて、それだけを飲んでいた」


「ええ、そうですね。人間は水に当たるほうが怖いかもしれません。しかしアルールさまも竜の血が流れている以上、酒精しゅせいは飛ばしてもらいましょう」


「食べるのが前提になっていないか? 凶悪な怪物が住むと聞いているが……」


 木造の平屋が建ち並ぶ集落の中に入った。

 集まっていた数人の男性たちが、三人を見るなり気さくに手を振る。

 その中心に立つ長いひげの老人は、皆を代表してにこやかに語りかけてきた。


「ようこそおいでくださった、エルスカどの。ずいぶんとお久しぶりですな。もしや、またアヴァンクの乙女をしてくださるおつもりで? それならあいにく、ちょうど代わりが見つかったところですぞ」


「こちらこそお久しぶりでございます、村長。いえ今回は、まさにそのお方に会いにまいった次第でございます」


「ほほう、さすがに耳が早いですな。世直し旅とは感心な娘さんであります。ところで、そちらのお方は……?」


 老人はそう言って、ちらとこちらに目をやった。


「この子はアルールと申します。わたくしの遠い親戚で、かわいい弟のようなものでございます。どうしてもアヴァンクの肉を食べてみたいと駄々をこねたものですから……」


 よわい二百十一の転生者は、心のなかでかぶりを振った。そんな話は聞いていない。

 しかしここは全力で合わせるのが、自身の良いところである。


「初めまして、村長さん。アヴァンクのことを知って、どうしても味が気になってたんです。協力するので、どうか僕にも食べさせてもらえませんか? 魔法には自信があるんです!」


「ほほう、それはいい。なにしろアヴァンクの肉は精がつくでな。おかげでわしも、この歳でまだまだ現役なのだ、はっはっはっ! じゃが、くれぐれも気をつけてくだされ。あの魔物はオスには容赦ようしゃがないのだ。ユニコーンの次にけったいなやつじゃよ、まったく」


 上手いことその場を切り抜けた三人は、集落で最も立派な館へと案内された。

 ちょうどこれから、新しいアヴァンクの乙女と共に狩りに行くところだという。


 第七王女ミヴァンウィーとはいかなる人物か。十五歳にしてはじめて出会う妹に、兄イェイアンは想像をふくらませる。

 父王が暗殺されたのは自分が生まれる直前というから、彼女が十四歳なのは間違いない。

 支配を固めたころの子とあらば、おそらく容姿は良いはず。なぜなら自身の器に関しても、当たりを引いたと考えていたからだ。


「ティルトどのー! あなたに会いにいらした方がお見えですぞー!」


 村長は扉を開けて中へ入るなり、大声で叫ぶ。どうやら彼女も偽名を使っているらしい。

 やがて現れた少女と女騎士を見て、アルールは内心ほっとした。妹が己よりだいぶ小柄だったためである。


 容姿はおおかた予想どおりで、丁寧に編み込まれた金髪とくりくりとした碧眼へきがんをもち、物怖じしない活発そうな雰囲気をかもしている。

 異母妹とのことだが、おそらく父親似なのだろう。顔立ちはどことなく自身と似たなにかを感じた。


「だーれ、あなたたち?」


 およそ姫らしくない言葉遣い。

 よくよく見れば、派手なよろいドレスに身を包み、背負った剣が肩越しにのぞいている。胸元には黄金の飛竜をかたどった紋章が、燦然さんぜんと輝いていた。


「どちらさまでございましょう?」


 隣の従者が、帯剣の柄に手を掛けながら尋ねる。

 こちらはアルールよりも若干背の高い、くすんだ金髪を長く伸ばした女性だった。年頃は十六ぐらいで、地味な色合いの鎧を着込み、大盾を背負っている。

 りんとした顔立ちで、感情をあまり表に出さないタイプに見受けられた。


 一瞬、空気が張り詰めるも、村長は朗らかに場を和ませる。


「こちら、エルスカどのとお供の……えーと、なんだったかな? まあとにかく、昔からこの村でお世話になっている、とても信用できる方でございますぞ。なにやら事情がおありのようで、奥の部屋でお話しするがよかろう。わしは先に湖へ向かっているから、準備ができたら来てくだされ」


 気を使ったのか、そう言って館を出ていった。

 五人は無言で奥の部屋へと場所を移す。エルスカは扉を閉めるなり、第七王女に向き合って語りかけた。


「行ったようでございます。村長は信頼のおける方ですが、念のため。あらためて紹介いたします。わたくしはエルスカ、本当の名はサフィル。こちらはフウィートル。そしてこの方が、わたくしがお仕えするアルールさまにございます」


「サフィル? どこかで聞いたことあるような。フウィートルの名前は聞いたことあるわ。たしか癒やしのちからをもつ古代竜だったはず」


「はい、そのとおりでございます。単刀直入に申し上げます。そちらはミヴァンウィーさまと、お供のカティナさまでございますね?」


「む、どうしてそれを。やっぱりバレバレなのかなあ。ここは兄さまの領内だけど、一応お忍びだから、ティルトを名乗ってるの」


人伝ひとづてではなく、鳥たちの会話を耳にしたのです。それにその胸の紋章、グリンドゥールさまが用いた『黄金の竜ア・ズライグ・オーア』に間違いありません。よくおきください、第七王女殿下。じつはアルールさまはあなたさまの兄上、『七番目の息子の七番目の息子』――イェイアンさまにございます」


「なんですって!?」


 姫と従者は同時に目を丸くして、アルールを見つめた。

 それまで黙っていた少年は、初対面の妹に向き合って軽くうなずく。


「初めまして、ティルトにカティナ。どうやらそのようなのだ。わたしは十四年間、塔の地下室で幽閉されていた。外の世界については何も知らされていない。わが地位を奪った偽王子イルールとその母メルラッキを倒すため、君たちを頼ってここへ来た。すぐに信じるのは難しいだろうが、どうか手を貸してはもらえないだろうか」


「……うそじゃないってなんとなくわかるわ。似たような話は聞いたことがあるし、イルールはどこか違うと感じていたから」


「信じてくれるのかい?」


 アルールが意外に思うと、従者のカティナが口をはさんだ。


「ティルトさま、この方々のおっしゃることには真実味がございます。グリンドゥールさまと契約を交わした竜人王の娘たちには、それぞれに守護石があり、七番目はたしかサファイアだったはず。エルスカさまの青銀せいぎん色の髪が天然のものならば、かなり信憑性しんぴょうせいがあるかと……」


 今度はエルスカに視線が集まる。


「わたくし自身が証明となるならば、真実の姿を現しましょう。アルールさまも、どうかご覧くださいませ」


 そう言うと、こちらに不安げな視線を向けた。

 その感情を推し量ったアルールがうなずくと、彼女は胸に手を当て、目をつむって祈り始める。


 すると全身がまばゆく光り輝き、次の瞬間には、あおい角と尾羽の生えた竜人へと姿を変えた。


 しかしそれだけだった。体全体がうろこに覆われたわけでもなく、瞳もそのままだ。

 前もって聞いてはいたが、アルールもこれには安堵あんどする。


 第七王女ティルトはゆっくりとうなずくと、いちどフウィートルに視線をやってから、再びこちらの顔を見つめた。


「どうやら本当のようね。私だって竜の血を受け継ぐ王家の端くれ。古代竜や竜人が放つオーラぐらい見分けられる。そのふたりが一緒にいるのだから、偽者とはとても思えない。つまりあなたは、ずっと閉じ込められていた本当の『七番目の息子の七番目の息子』。私のお兄さまなのね……」


 少女は大きな瞳をうるませた。力強かった表情を崩し、悲劇の王子に対する哀れみと、失った肉親との邂逅かいこうに声を震わせる。


 半歩前に出た彼女を見て、アルールは思わず両腕を広げた。

 感動の瞬間だ。

 つらい幽閉生活を乗り越え、十五歳にして初めて出会う妹。生まれて初めて、自身がイェイアンであることに感謝した。


「お兄さまー!!」


「ああ、妹よ――」


 直後、まるで動物のサイが突進してきたような衝撃がアルールを襲った。

 細い少年の体は軽々と後方へ吹っ飛び、壁を一枚突き破って隣部屋の壁へとたたきつけられる。冗談抜きで。


「ぐっはっ……」


 壁からずりずりと落ちて、床に崩れ落ちる。

 ぶつかる直前、反射的に腹部へ障壁を張らなければ、内臓が破裂していたかもしれない。危うく殺されるところだった。


「アルールさま!?」

「小僧、大丈夫か!?」


 すぐにエルスカとフウィートルが駆けつけてきた。上体を起こされ、ふたりがかりで癒やしの術をほどこされる。


「な、なんだ今の力は。とても人間のものではない……」


 アルールの視線の先、破れた壁の向こうにたたずむ妹は憤慨ふんがいしたように言った。


「ひっどーい! 可憐な乙女になんてこと言うの! そのぐらい受け止められないでどうするのよ。よわっちいお兄さまね!」


 前カムリ王国の第七王女ミヴァンウィー、通称ティルト。赤き竜の返り血を浴びた覇王の娘。

 恐ろしく強い妹を手に入れて、転生者アルールはイェイアンとして生まれ落ちたことを後悔した。

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