第二章 仲間探しの旅

第7話 湖を目指して

 転生者アルールと竜人の娘エルスカは白竜フウィートルの背にまたがり、シン・シオンを目指して飛び立った。


 シンとはカムリ語で湖を意味する。

 他民族の言語が浸透した今も、ダムや貯水池などの人工湖と区別して、天然湖を指す言葉として使われ続けている。


 眼下には深い森が広がり、一夜を明かした山小屋はたちまち見えなくなった。

 白竜はゆっくりと羽ばたきながら、少年に向けて笑うような鳴き声を発する。


〝まさか本当におぶられるとは思わなかったぞ。人の子の十五とは、まだまだ子供よのう〟


「ノってやったのだ。かわいがられたら応えるのが子の役目。おふざけで腰を痛めなかったかね、ご老体?」


〝わらわは竜のなかでも古代種である。人間でいえば、まだ二十にも達しておらぬ。というやつじゃ〟


「へえ、どうせ人に化けるときは、見た目も年齢も自由自在なのだろう。まあ、ばあさんじゃなくてよかったよ。いろんな意味で」


 軽口をたたき合いながら、アルールは己の容姿が年齢よりも未熟であると思い知る。

 まぶしい陽光を片手でさえぎり、長き幽閉生活をあらためて呪った。暗い地下室で待ち望んでいたものが、こうも身にこたえるとは。


 太陽はどうやらひとつで、魔法の存在や文化の発展状況を除けば、最初の惑星に近しい環境のように思われた。

 知識を有したまま生まれ変わるとはつまり、価値観や美的感覚も引きずることを意味する。

 その点において、この世界はまだ当たりを引いたともいえた。


「……ところでエルスカ。君は竜人らしいが、人と大差ないように見えるのはなぜだ?」


「身をひそめるために、今は角と尾羽を隠していますが、もともと人に近い容姿をしております。われわれマドライグは、力で竜に、知恵で人に敗れた結果、双方に化けて同化する道を選びました。それゆえ、相手に合わせるのは得意なのでございます」


 本当はトカゲのような姿なのではないかと危惧きぐしたアルールは、ほっと胸をなでおろす。


「敗北を認めて人に仕えるとは、なかなか控えめな種族だな。わたしの器にも竜の血が流れているとのことだが、それはどういう意味なのだ?」


「あなたさまの父にして先王であらせられるグリンドゥールさまは、伝説の赤き竜と戦って力量をお示しになられた際、その返り血を浴びて竜のちからがそなわったのでございます。ですがどのようなものかは、わたくしは存じておりません」


「ほう、赤き竜とな」


「王が最初に統一した王国カムリの守護竜にございます。白き竜と戦って打ち勝ち、現在は第一王子グリフィズさまにご加護をたまわっていらっしゃいます」


「フウィートルと戦ったのか?」


 敵方の背に乗っていると思ったアルールが驚くと、白竜は心外そうに口をはさむ。


〝わらわではない。わが種族は、誇り高き北方の古代種ドレーティなり。毒竜たるグイベルとは別物じゃ〟


「ふうん、いろいろあるんだな。そういえば塔から脱出する際、兵士の胸に竜の紋章が刻まれているのを見た」


「はい、あれこそが『ドラゴン・パサント』。カムリ王国の象徴にして、あなたさまにこそふさわしき紋章にございます。本来はあのような禍々まがまがしい黒ではなく、赤であるべきなのです」


 パサントとは紋章学において、左を向いた魔獣が右前足を上げた図柄である。危機的状況だったにもかかわらず、目が自然と吸い寄せられ、しかと脳裏に刻まれていた。


「そうか? 黒はかっこいいと思うが」


「いいえ。偽王子イルールが制定したものはすべからく廃すべきです。現在は各王子がそれぞれの色をお使いになられています。アルールさまが復位した暁には、別の色に変えるようお願いいたします」


「そ、そうか。紫にでもしようかな……」


 エルスカに気圧けおされて、おそらく使われていないであろう色を選ぶ。

 紫は高貴と同時に葬儀の印象があるが、魔術にふさわしくも感じた。

 贈られた衣装を思えば、この世界でもさほど変わらないようだ。


 会話が途切れたのを機に、空から見下ろす雄大な風景を堪能たんのうする。

 これまで見てきた星々のなかでも特に美しい自然だ。


 魔法の存在しなかった最初の世界は、ゆっくりと荒廃の道をたどっていくのが感じられた。

 至る所で目にした、自浄作用の限界を超えたけがれ。あれでは精霊のちからを借りれないのも無理はなかった。


 二百年前に想いをはせていると、やがてはるか先に小さな青い点が現れ始め、フウィートルが口を開く。


〝さて、見えてきたぞ。あれがシン・シオンである。美しい場所だが、古来よりアヴァンクと呼ばれる怪物が巣食っているのだ。凶暴なうえにいやらしい獣で、人のメスになつく習性がある。ゆえに娘をおとりにして狩りをしているようだが、わらわに言わせれば臭くて食えたものではない〟


「あら、ちゃんと下処理をすればおいしいのよ。どうせ頭から丸ごと食べたんでしょう」


 エルスカは料理に一過言いっかげんあるようだ。

 彼女によれば、上半身は淡白だが下腹部はあぶらっこく、特徴的な尾はコラーゲンがたっぷりだという。

 哺乳類と爬虫類はちゅうるいの中間にある怪物で、身質によって調理方法を変える必要があるらしい。


「南部ではアーヴァンクと語頭を伸ばすようですね。この北部山岳地帯はエラリといい、カムリの首都イニス・タウェスから南東にあたります。偽王子イルールが支配するストラスクライドは、北の内海を挟んだすぐ向かいあり、油断なりません」


 カムリは伝統的に白竜に対する当たりが強いため、フウィートルは普段、人の姿になるか、なるべく上空にいると愚痴ぐちる。

 アヴァンクがそこまで美味うまいなら食べてみたいと彼女が言い出すと、まだ満腹感の残るアルールは腹をさすりながら言った。


「先ほどすばらしい料理をたらふくご馳走ちそうになったばかりだが、ご当地グルメも悪くないな。しかし、わが妹のミヴァンウィーとやらは、なんだってそんな危険な役目を引き受けたのか。権力に興味がないのは理解できるが、姫の身で世直し旅をしてまわるとは、ひょっとして助ける必要はないのだろうか」


「とても勇敢でたいそう元気なお方とうかがっております。きっと心強い味方となっていただけるでしょう」


「お目付け役の騎士がいるとのことだが、それも君の一族なのか?」


「いいえ、その方は人間であるようです。じつはわたくし、『七番目の娘の七番目の娘』でございまして、姉妹でそれぞれの王子にお仕えしているのです」


 おそらく重大な情報であるのにかかわらず、自分のことはついでのように言うエルスカに、アルールはあきれかえった。


「……流行はやっているのか、それは? なんとなく子沢山の世界だとはわかるが、連続して同性が続くなど滅多にないと思うのだが」


「はい、とても珍しいことでございます。それゆえわたくしは癒やしのちからを期待され、フウィートルのもとで日々修行しております。ですからアルールさま、お怪我けがをされたらなんなりとお申しつけください。首さえつながっていれば、必ずや治してみせましょう」


 さらりと恐ろしいことを言われ、少年はすくみ上がった。まるで治療してやるから無謀な特攻をしろと言わんばかりである。


 とはいえ回復の魔術はいざ必要となったとき、自身にほどこすのは困難な場合がある。

 献身的な彼女になら安心して後ろを任せられるだろう。前に出る気などさらさらないが、大きな安心を得ることができた。


 気づけば、緑の樹海にぽっかりと浮かぶ青い湖が真下にあった。

 そばには小さな集落が確認でき、竜の影に驚いた人物が慌てて駆け出していくのが見える。

 フウィートルは旋回しながらゆっくりと高度を下げ、つばを飲み込む音とともに言った。


〝さあ、到着だ。意外と早かったな。わらわも降り立って肉を食うぞ。ご当地グルメこんぷりぃとの旅、始まり始まりじゃ〟


 そんなのんきなものであればいいが、とアルールはひそかに思う。

 魔術にはそれなりの自信があるが、どうにも嫌な予感がする。

 不安をかき立てたエルスカの背を見つめながら、純白のうろこにしがみついた。

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