第5話 十五の朝

 愛らしい小鳥の鳴き声が聞こえる。

 いつもは冷たい寝床が温かく感じて、アルールは気持ちのいい朝を迎えた。

 柔らかくて、なんだか息苦しい……。


「ん……んん! んんー?? んがもー!!」


 顔面を何かが覆っている。

 弾力があって毛布などではない。


 ハッとして、昨夜の出来事を思い出す。

 少女に助けられて地下室から脱出し、竜に乗って山小屋へとやってきた。

 聞けば、自分は命を狙われる王子という。

 早くも刺客しかくが……!?

 ようやく迎えた十五の朝に殺されることになろうとは――。


 と思ったその時、聞き覚えのある女性の声がした。


「なんじゃ、うるさいのう。抱き枕がしゃべるでない」


「ぷっはぁ! 何すんだ、殺す気かー!!」


 己を苦しめていた存在をようやく引きがすと、アルールはその姿を確かめる。


 抱きしめ殺そうとしていたのは、白髪で白装束の女性であった。

 半眼で青い瞳をのぞかせ、迷惑そうな表情を浮かべる美しい細面ほそおもて。こちらよりも体つきは大きく、その凶器もじつに暴力的。

 角とベッドからはみ出た尾を見れば、人間でないのは明白だ。


 初対面であれど即座に誰かを理解したアルールは、白い腕をすり抜けてベッドのわきに立ち、相手を見下ろして怒鳴った。


「フウィートル!」


「さむい〜。急に離れるでない、小僧。わらわは寒さが苦手なのじゃ〜」


 そう言って、剥がされた毛布をかぶって丸くなる。

 すると、大声で目を覚ました少女がおずおずと尋ねてきた。


「いったいなんの騒ぎですか?」


「エルスカ! どうしてここが竜の寝床だと教えなかった!」


「おはようございます、アルールさま。お気に召さらなかったでしょうか……」


「あやうく窒息死ちっそくしさせられるところだった。この竜、人を抱き枕などと!」


「フウィートルは人に化けれる竜であって、竜人とは異なり体温管理が苦手なのございます。わたくしも長らく抱き枕にされておりました。ですからアルールさま、どうかそのぐらいは我慢してくださいませ」


「いやいや、竜は火だって吐けるだろう! この世界の倫理観はいったいどうなってるんだ。こんな状況では眠れるわけがない!」


 声を張りあげる少年に対し、竜は布団の中からくぐもった声で反論する。


「さっきまでぐっすり眠っておったではないか。あんなとこやこんなとこを揉みしだき、わらわの胸元によだれまで垂らしおって」


 アルールは、文字での表現が困難な言葉でなにかを早口にまくしたてるが、やがて疲れたようにうなだれ、寝室をあとにした。


 風呂場に向かうと、木材で覆われた金属がまにきれいな水が張ってある。構造を見れば、どうすればよいかはすぐに理解できた。

 外のまき置き場に向かいながら、つい先日までの哀れな状況を思う。


 幽閉とはいえ、体を清めることはできた。

 しかし温水は日に一度きり。冬場はあっという間に冷たくなり、ほとんどを震えながら過ごした。


 なぜ生かされていたかは不明だが、おそらく竜人の長――今は行方知れずとなった、エルスカの父が関係しているように思われる。

 敵は報復を恐れ、言い逃れができるようにしていたのだろうか。


「【炸烈華グレイキオネン】」


 極小の火花を散らす呪文を発動させる。

 火口ほくちがパッと燃え上がり、やがて薪が炎に包まれていく。


 魔力が回復している。

 昨夜の食事や森の空気に含まれるエッセンスが、安らかな睡眠によって魔力へと変換され、空っぽだった器に満ちていく感覚があった。


 かまどから離れ、力強い金色の朝日に照らされた針葉樹の緑を眺める。

 赤褐色と白の翼が美しいアカトビが、ちょうど空へ羽ばたいていくのが見えた。


 肉体のみならず、魂が生まれてから初めて迎える十五の朝。あまりにも特別な至福のひと時である。


 暖かな陽光に〝火〟のちからを感じた。

 深呼吸をすれば、清々しい〝風〟が体の隅々にまで行きわたる。

 久方ぶりの湯船で〝水〟を全身に浴び、〝地〟がはぐくんだ食事を摂取すれば、四大しだいの魔力は完全に回復するだろう。


 森の景色を楽しみながら小屋の周囲をゆっくりと一周し、そろそろいい湯加減になっただろうと思って浴室へ向かってみると――。


「ふう〜、極楽、極楽。小僧、おぬしなかなか気が利くではないか」


 目に飛び込んできたのは、組んだ白い脚を出しながら湯船にかるフウィートルの姿であった。

 さいわい上半身はこちらからぎりぎり見えない。

 憐れな少年は唖然として、控えめに声をかける。


「あ、あの……?」


「なんじゃ、一緒に入りたいのか? あとひとりぐらいなら浸かれるぞえ」


「いえ、どうぞごゆっくり……」


「そうか? わらわは気にせんぞ、遠慮せんでもよいのに……。ではお言葉に甘えて、しばし楽しませてもらおう。ふんふん〜♪」


 アルールはかぶりを振る。朝から破廉恥はれんち続きだ。

 長い転生の旅でそのような卑猥ひわいな出来事はついぞ起きなかったというのに。

 ひたすら魔術を追い求め、長らく禁欲的な生活を過ごしてきた者には刺激が強すぎた。


 とはいえ相手は、よわい百九十七の娘を子供扱いする竜である。肉体が十五の少年など赤子も同然なのだろう。

 恩人のひとりが喜んでくれたのなら良かった。そう思い直して、とぼとぼと風呂場をあとにした。


 広間ではエルスカが手際よく朝食の準備を進めていた。

 昨夜はライ麦パンと牛乳、野菜スープを飲んだだけで満腹になってしまったが、食卓に並ぶたくさんの料理に目が釘づけになった。


「今朝の献立こんだてはアルールさまに精をつけていただこうと、保存しておいたベーコンとソーセージをおろしました。白パンのトーストに目玉焼き、カブと白ニンジンのポタージュ、いためたマッシュルームに、甘じょっぱく煮詰めた白いんげん豆もございます」


「おお、肉だ……。こんなに豪華なものは食べたことがない!」


 幽閉中はいつも味気ない野菜のポタージュのみで、肉など食べた記憶はなかった。

 生きるための養分を摂取している感覚で、食事の楽しみなどとうに忘れかけていた。


 口ぶりから、エルスカにとって貴重なものであるのがうかがい知れる。彼女も今日この日を心待ちにしていたのだ。


「質素ではありますが、十分に用意してございます。どうか遠慮なさらず、存分にお召し上がりください」


「フウィートルは待たなくていいのか?」


「あの方の食事は……いえ、なんでもございません。冷めないうちにどうぞ」


 アルールは席につくとエルスカに感謝し、一心不乱に食べた。

 マナーはほどほどに、伸ばす手が止まらない。まるで母親にさとされるかのごとく、ちゃんと噛むよう笑われてしまうほどに。


 どれも絶品であったが、特にポタージュが幽閉中とはまるで別物であると驚く。

 昨夜は気づかなかったが、手間暇と愛情が込められると、似たような素材でも雲泥うんでいの差があるようだ。


 やがて、目ではまだまだ物足りないが、今まで食べてこなかっただけに、すべての皿を空にする前に腹がふくれてしまう。

 向けられていた温かい視線に気づくとほおを赤らめて、昨夜だけでは語り尽くせなかった話の続きをすることにした。


「疑問に思っていたのだが、地下室から脱出した穴はいつからあったのだろうか? 最初からにしてはきれいすぎるし、近ごろ作られたのなら音が響きそうなものだが」


「わたくしは竜占い師ドラコマンサーでございます。夜中にこっそり忍び込み、手のひらに乗るほど小さな毒竜を用い、数日かけて溶かしました」


「そうだったのか。まったく気づかなかった。あと少し遅ければ、確実に死んでいたな……」


「ええ、なんとか間に合ってよかったです」


 そんな小型の竜までいるとは驚きだ。

 魔術を学ぶかたわらで幻獣にも興味をいだいていたアルールは、この世界の生き物に早く会ってみたくなった。


「それにしても、これほどの食糧をいったいどうやって? 君も追われる身だろうに、さぞや大変だったろう」


「さいわい親切な妖精には恵まれております。この白牛のミルクは、湖に住まうグラゲズ・アンヌンにたまわった希少なもの。人間が彼女たちを怒らせたことで、この地の牛は黒くなったとされています。それはそれで良いものですが、アルールさまにはエッセンスの優れたものをおりいただきたくて」


「妖精か……、会ってみたいものだ。おかげさまで、魔力が満たされていく実感があるよ。他者から奪うことも可能だが、やはり自然な回復に勝るものは無いからね」


 どの星でも魔力の源に関する理論は地域差が見られ、絶対的な真理は存在しなかった。

 アルールはそれらから気に入ったものを寄せ集め、独自の解釈をしていた。


 腹をさすっていた手を目の前に上げ、表と裏を確かめる。

 そんなこちらを興味深そうに眺めて、今度はエルスカが質問を投げかけた。


「出会ったとき、完全に魔力がからであるとわかりました。それなのにあのような強大な魔法を立て続けに……。いったいどのような技術を身につけているのです?」


「べつに大したことじゃない。状況に応じて応用が効くよう、あらかじめ呪文の構成を決めているんだ」


「というと?」


「ひとつの魔法を完成させる過程は、いくつかの段階に分けられる。すなわち、ちからを借りる呼びかけ、形づくる詠唱、明確に想いえがく名称だ。それぞれ飛ばすことも可能だが、使う魔力は上乗せされる。逆に威力を下げて消費を抑えることも可能だ。前もって呪文を変化させる技能を使用する感じかな」


「なるほど。それは我らにも可能な技術なのでしょうか? わたくしはフウィートルに教わったやしのちからか、小さな竜を呼び出す程度しかできません。あなたさまのお役に立ちたいのです」


「もちろん君にも可能だろう。魔道書を読ませてもらえなかった代わりに辞書はあったから、前世ぜんせつちかった知識をこの世界のことわりに変換することができた。おそらくここは、これまで渡り歩いた星々に引けをとらない魔術が発展しているように思う。そのぶん、わたしのちからがどこまで通用するかは怪しいものだが」


 相手を気遣いつつも得意げに語る。

 かつての人生では座学の授業が繰り返されたが、基本的な知識の反復に嫌気がさして抜け出すことも少なくなかった。

 なにしろ十四度も転生を繰り返しているのである。


 それゆえ、話も聞かれずに否定されることがしばしばあった。

 己の得意分野に耳をかたむけてくれる人物が現れるとは、ますます気持ちのいい朝だ。


 子供でもできる単純なものの組み合わせこそが、意外と実践で役立つのだと熱く語っていると、一番風呂を奪った竜が現れた。


「空いたぞ、小僧。じつに良い湯であった。おや、随分と美味うまそうなものを食らっておるな。顔色もだいぶ良くなったようじゃ」


「ええ、すみません、フウィートルさん。先に頂いておりました」


「よいよい。それより、おぬしも身を清めて体をしんから温めるといいだろう。ゆっくりとくつろげるのも今のうちだけじゃ。これから忙しくなるでな……」


 温かなほほ笑みを向けられ、水を差されたようにどっと冷や汗が流れた。

 その言葉の裏に潜む意味を考えて、束の間の安らぎだったと心のなかで嘆息たんそくする。


 アルールはあらためてエルスカに感謝の弁を述べると、白竜の出汁だしがきいた柔らかい湯に浸かるのであった。

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