第3話 竜占い師エルスカ

 転生者アルールは謎の少女エルスカと共に、彼女が呼び寄せた白竜フウィートルの背に乗って、星々が鮮やかな新月の夜空を飛行していた。

 長きにわたる幽閉生活は一夜にして一転し、脱出、戦闘、優雅な空の旅と目まぐるしく変化する。冷めやらぬ興奮はやがて風たちになだめられ、気力が尽きてぐったりと鱗にへばりついた。


「腹がへって死にそうだ。もう手に力が入らない。意識まで朦朧もうろうとしてきた……」


「あと少しの辛抱です、イェイアン陛下。たくさんのお食事をご用意しておりますから、今しばらくお待ちください」


 前方のエルスカはアルールの右手を優しくつかみながら答える。どこか懐かしみのある温かさに触れて、少年の飛びかけた意識がすぐに戻った。


「……ありがとう。ところで、いったいどこへ向かっているんだ?」


「山岳地帯に隠された小屋でございます。追っ手の気配はありませんし、そこまで行けばもう安全でしょう。フウィートルは白くて目立つので、雲が多くて助かりました」


 すると竜は、前を向いたまま心外そうに口をはさむ。


〝エルスカよ、それではわらわが足手まといのようではないか。おぬしが遅いから、凍えるような雲の中でじっと待っておったのだぞ。すっかり体が冷えてしまったわ〟


「まあ、そうは言っていないわ。想定より時間がかかったのは申し訳なく思うけれど、こちらにも事情があったのよ。それにあなたの背中、ちゃんと温かいじゃない」


 アルールは会話のなかに両者の関係性を垣間見た。おそらくだいぶ歳の差があり、竜は少女がかわいくて仕方ないのだろう。そんなことを思いながら、ゆっくりと羽ばたく翼を眺めて言った。


「青い瞳の白竜とは、きっと希少な種族に違いない。降り立ったときの美しさはじつに神々しく、目に焼きつけられてしまった」


〝ふふふ。小僧、おぬしはわかっているな。喰らうときは頭からにしてやろう〟


「はは、竜の冗談は笑えないな。しかし、どうして会話ができるのだろう? 意識でやり取りしているわけではないようだが」


〝それはおぬしに竜の血が流れているからだ〟


「何だって? 王子であるうえに、竜の血が? ああ、産まれてから丸々十四年も閉じ込められてきた。知りたいことがいっぱいだ」


〝降りてからゆっくり話すがよい。さあ、見えてきたぞ。あれが我らの慎ましき拠点である〟


 夜目がきかず、魔法を使う気力も残されていない少年には、その建物の姿をとらえることはできなかった。

 開けた場所に降り立ってみれば、周囲は深い森であるとうかがえる。フウィートルに礼を言って別れ、エルスカに手を引かれながら歩んでいくと、すぐに人工物らしき影が現れる。彼女は到着したと言って先に中へ入り、灯りをつけた。

 そこはさほど広くないログハウスだった。窓は閉ざされ、入り口以外から光は一切漏れていない。そこでアルールは、幽閉生活が逃亡生活に変わっただけだと思い知った。


「静かな場所だな。もしや、あの竜とふたりだけで暮らしているのか?」


「ええ、そうです。あちらで手を洗ったら、パンとミルクを召し上がりください。すぐにスープを温めますね」


「ありがたい。とにかく食べさせてもらうことにしよう」


 それからアルールは、香ばしいライ麦のパンをちぎっては、まろ味のある牛乳で口に流し込んだ。胃が縮んでいて多くは食べれなかったが、現生で初めての温かい食べ物が出てくると、自然と涙がこぼれ落ちる。

 たっぷりと野菜の溶けた、程よい塩味のスープ。サビついた節々に油が差されたように、こわばっていた体が一気に解きほぐされていくのを感じた。


 腹がふくれると、ようやく部屋の内部を気にかける余裕が出てくる。アルールは前のめりだった姿勢を正し、周囲を見まわす。

 燭台が照らし出すのは、質素で慎ましく、清潔で温かみのある空間だった。家具はみな木製で、必要なものは最低限揃っているように見受けられる。はりには乾いた薬草が吊るされていて、それなりの期間を過ごしている気配がうかがえた。


「とても美味しかった。すっかりお腹がふくれて満足したよ。本当に何から何までありがとう。君には感謝してもしきれない。しかしエルスカ、君はいったい何者なんだ? あのような竜を使役するとは、只者ではあるまい」


「わたくしは竜占い師ドラコマンサーのサフィル。ですが今は追われる身ゆえ、エルスカと名乗っております。フウィートルはわたくしにとって保護者のような存在で、師匠でもございます」


「なるほど、竜の占い師とはじつに興味深い。そちらにも込み入った事情があるようだ。ならばわたしのことも、イェイアンではなくアルールと呼んでほしい。それに似たような歳なのだから、敬語を使わないでくれないだろうか」


「アルール……? わかりました、アルールさま。ですが、言葉遣いはご容赦ください。というのも、わたくしは十五歳などではありません。人間ではなく竜人であり、今年で百九十七歳となるのです」


「ひゃ、百九十七だって!? それに竜人だと! な、ならばこちらが敬語を使わなければ。失礼いたしました、エルスカさま……」


 予想だにしない言葉に思わず頭を下げると、少女の姿をした占い師は首を横に振って答える。


「いいえ、陛下。いえ、アルールさま。こちらのほうが歳上なのですから、好きなように呼ばせてくださいませ。わたくしにはあなたが、愛らしい男の子にしか見えていないのですから」


 エルスカはまるで子供を見るような温かい眼差しで、優位をとろうとしてくる。

 そこでふとアルールは考えた。自分の魂は、これまで十四歳を十四度も経験し、さらに現世で十五が上乗せされた。冷静に考えれば、こちらのほうが年上ではないか。

 本来ならば、転生者だとあえて明かす必要はない。しかし今回は、彼女がいなければ終わっていた命。なぜだか彼女から子供扱いされるのもしゃくに障るし、お礼も兼ねて、ここはひとつ種明かしをしてもいいのではないか。

 咳払いをしてませた少年らしさを取り払うと、余裕ぶった口ぶりで語り始める。


「ふふん。そなたは、なぜわたしが魔法を使えるのか気になっておっただろう。じつはだな、わたしは幾度も生まれ変わり、数々の星を渡り歩いてきた転生者なのだ。そしてわが魂は、今日で二百十一歳となる。わかるかな、エルスカ。わたしはそなたよりも年上なのだ」


 エルスカはぽかんと口を開けた。おそらくすぐには信じないだろうと思われたが、彼女は合点したようにうなずいて答えた。


「なるほど、それで納得でございます。先程も申したとおり、あの地下室は完全に魔法から隔離された環境。食事からは魔力を徹底的に抜き去り、差し入れの書物も魔道書は除外されていました。ですからそのような突飛な事情でもなければ、魔法を使えるなど絶対にありえないのです」


「ほほう、そなたはなかなか物分かりが良いようだ。であるからして、わたしに敬語を使うのはやめたまえ」


「いいえ。わたくしと現世のあなたさまには、共に竜の血が流れてございます。竜人族の社会は年功序列。これからもそうさせていただきます」


「くっ、なかなか強情な娘だ……」


 どうやら意思は固いようだ。現在の器がイェイアンという名の王子らしきあることも相まって、エルスカの態度を今すぐ改めさせるのは難しいと悟る。そこでとうとう、謎に包まれた自らの出自について尋ねることにした。


「呼び方についてはまたおいおい話すとして、本題に入るとしよう。さて、聞かせてくれないか? どうしてわたしが、十四年ものあいだ地下室で幽閉されていたのかを。悲劇の王子イェイアン――『七番目の息子の七番目の息子』の正体とやらを」

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2024年11月30日 06:00

ドラゴン・パサント ~七番目の息子の七番目の息子~ かぐろば衽 @kaguroba

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