11.その瞳に映るのが僕だけでありますように

 眠ってしまった彼女に服を羽織らせ、風邪をひかないようにと布団を掛けてから彼女の家を出た。外から鍵をかけて、それはポストへカタ、という音を立てて落ちていった。そうして彼女へ、鍵はポストへ入れた、という旨のメッセージを送信して、僕はそこをあとにする。


 バーで夕飯を摂っている時、彼女が入店してきたのには驚いた。隅の席に小さく、影を薄くして様子を伺っていると、彼女が声をかけた先の男性の、その表情の品の無さには眉をしかめるしかなく。


 なんとなく。


 なんとなく、彼女に対して腹立たしく思ってしまったのは、嘘ではない。


 これは所謂、嫉妬心。他の男と、バーで飲酒だなんて。それを許容できない器の小さな自分は、彼女にそれを伝えられるような立場ですらないけれどそれでも。気になってしまえば、聞き耳を立てるほか、なかったのだ。


 どうやら、相手の男は取引先の営業のようで、それについてきた女性も同様。そういえば、仕事関係の親睦会に行ってくる、と言っていた、それがこれか。


 一度、男と目が合った。その瞳の奥は、ぎらぎらとした、何か、悪いことを考えている、そんなような下品な思いが炎として柱となっているような感覚。気持ちが悪かった。同時に、彼女が心配でたまらなくなった。


 途中、男が手洗いに立つ。僕の席の奥に位置するそこへたどり着くには、僕の後ろを歩かなければならない。そんなに広い通路ではないため、僕が少し動けば簡単にその男の肩はぶつかるようにして、僕へと触れた。




「あ、すみません」


「ああいや、こちらこそ」




 ぶつかったことに腹を立てるような男ではなかったことに感心したものの、その腹の中の考えには、反吐が出そうなほどの気持ち悪さを感じた。そして沸々と湧き上がる、僕の中の怒り。


 男が考えていたのは『どちらの女も酔いつぶして今夜両方いただこう、難しいようであれば取引先のこの女をまずは』などという下衆な、どうしようもない、頭の悪い。去勢してしまった方が良いのではと思えるほど、男として許せるものではない、そんな思考。




「……アキ、あの男の酒、すげーアルコール度数高くして」


「なんだよ急に。……なんか変なの読めたのか」


「そ。あの男酔いつぶさないと、ナツさんが危ない」


「ナツさんて、例の」


「そう、あそこに座ってるのがナツさん。偶然すぎてびっくりだよね」


「そりゃまたなんとも奇妙な縁ってやつだな」




 そうして次に男へ運ばれたカクテルは、高いアルコール度数。そいつを、女性の前だからと恰好つけてぐいぐいと飲むものだから、男が潰れるまでそんなにかからなかった。


 しかしどうだろう。酔った勢いなのか、男は自らの下心を隠すのをやめたらしい。同僚の女性が席を立ったのと同時に、僕の大切な女性へと、男が言い寄る。下品に気持ち悪く、口説こうとしている。そして、彼女へ触れようと手を伸ばした。




「ちょっとおじさん、お姉さん嫌がってますよ」




 我慢ならなかった。彼女へと伸ばされたその腕を掴み、かばうようにして彼女の前に立つ。なるべく、にこやかに、表情は柔らかく。彼女に僕の醜い部分が見えないように、必死に優しさを表情へと貼り付けて。


 彼女は心底、驚いた顔をしていた。何故ここに居るのか、と言いたげな瞳で、僕を見ていた。そう。そうして、僕だけをそのまあるい瞳に映していてくれたら、それで良いんだ。なんて。


 僕は、存外欲張りらしい。

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夢現ツ スズキ @hansel0523

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