第21話 エリシュタル(4)

 アーチ型の玄関ポーチを彩るのは、オレンジ色の月と太陽が連なるガーランド。扉を開ければ、風船に囲まれた緑帽子の小人が出迎える。祈念祭グリュクスブリンガーの陽気な飾り付けが施された円形の玄関ホールには、ボルサリーノ、ポークパイ、クローシェ、女優のようなつば広、ドットレースのオーガンジー……色とりどりの帽子たちがひしめいた。


「ようこそクライノート・ギムナジウムへ! ご来賓の皆さまはこちらにお名前をどうぞ!」


 祝祭の一般開放日。受付係を買って出たエルは、来校者に愛想よく名簿を差し出した。


「きみ……もしかして、高等文官に食ってかかった女の子じゃないか?」


 たくましい胸板に話しかけられ、記された名前を確認していた赤毛頭は顔を上げた。眩しいほどの男前に級友たちがざわめく。


 ダークブロンドに、温かな胡桃色の瞳。型落ちのフライトジャケットが飾らない精悍さを際立たせる青年は、栄えあるブレイクの隊長にして併合民にも優しいクープの英雄、ユージン・キースリング。


 顔をボコボコにされた誕生日、気の毒がって自動車を使う許可を出してくれた彼こそが、駐屯地前の掲示板で兵役志願を呼びかけるポスターのハンサムガイだと気づいたのは、事件から半月も経ったころのことだった。


「よかった! 嘘みたいに綺麗に治っているな」


 ユージンは指先でエルの鼻にトンと触れると無邪気に笑った。銀幕スターのような仕草に、あちこちから獣じみた黄色い絶叫がほとばしる。


「こんな美人だと知っていたら、わたしが病院に連れて行ったのに」


「まあ、隊長さんってばお上手!」


 エルはニコニコとパンフレットを差し出した。


「もうすぐホールでハンドベルの上演があります。二階ではプラネタリウムを常時放映中。カフェテリアではあたしたちが腕によりをかけたキッシュが待ってます。学長先生はジンジャークッキーが目玉だっていうんですが、シェフのひとりとしてはキルシュトルテがオススメだって言わざるを得ないわ。だってあのレシピ、一年ちまちま食べることを見越した古式ゆかしい旧世紀版で、ちょっと現代人には硬すぎるんだもの。校庭ではあったかいハニーエールを配ってます。白ヴルストはひとつ百ターラーなんですが、聖典なぞなぞの全問正解者には無料提供です」


 よく回る口が繰り出すパンフいらずの学祭紹介に、「きみと一緒に回れば退屈しなさそうだ!」とユージンは噴き出した。


「その係はいつまでやるんだ? よかったら案内してくれないか」


 光栄なお誘いだったが、エルは眉を下げた。わざわざ受付を買って出た目的があるのだ。


「ごめんなさい! 今日はずっと立ちっぱなしで」


「はいはいはい代わりまーす!」


 横から現れたクラスメイトが名簿を取り上げる。耳元に接近した顔から、さほど隠す気のない小声で叱られた。


「何してんのエル! あんたがお求めのハイスペイケメンじゃない!」


「キアーラありがと、でも今日はいいの。あと声がデカいわ」


「なるほどね……」ツリ気味の緑目が光る。「いい、言わなくていい。つまり、おもしれー女作戦ってわけでしょ? ふだん女をはべり散らかしてるモテ男相手に、あえて興味がない素振りを見せることで一味違う感を醸し出す。ちょっと古臭い手だけどま、見た目がタイプなら刺さるかもしれないわね。さてこの勝負! ノるかソるか⁉」


「事実無根だけど作戦遂行中ならいま失敗したわ」


「失礼。来校者は名簿に名前を書けと言われたのだが」


 ざわめきを屈服させるのは、温度のない声。


 来た。


 キアーラから笑顔が消え、他の生徒たちも頬を強張らせた。


「クライノートへようこそ! こちらへどうぞ!」


 小さな女王だけは満面の笑みで鋼鉄の副隊長を歓迎した。


「珍しいな、ロス。お前が休日に射撃場以外にいるなんて」


 ユージンは目を丸くしながら自分の副官に親しげに話しかけたが、「不穏分子がいないか調査を」と答える銀髪の青年のほうはまるで打ち解けた様子がない。


「相変わらずクソ真面目だな」


 ポケットに手を突っ込んで苦笑する飴色の革ジャンの後ろで、エルは黒手袋が握る小さなカードを見てニッコリした。


 お堅い言い訳は全部嘘。実際は口が回るクイーンから招待状を押し付けられて、律儀にも休日を潰してやってきてくれたのだ。


 左手が、名簿にサラサラと名前を書きつけていく。ロス・キースリング……。


「見つけた」


 ペリドットがキラリと光った。


「ああーっ! なんてこと!」


 突然腕の制御を失った受付係の粗相によって、長机に置かれた花瓶が倒れた。万年筆を持つ青年の袖口に飛沫がかかり、机を滴り落ちる水がスラックスの裾を濡らした。


 名簿の文字もみるみるうちに滲んでいったが、それはどうでもいい。どうせあとでフェルディナントがゴマすりの電話をかける程度の用途しかない。


「申し訳ありません副隊長さま! どんなおとがめも受けます!」


「い、いや。構わなくていい。それよりも来賓名簿を」


 青年はわずかな動揺を見せたものの、すぐに名簿の救出にかかった。生真面目である。だが水たまりから持ち上げようとしたバインダーを反対側から叩き落されて、信じがたいものを見る顔をした。


「まあ、なんてお心が広いの!」


 キラキラとした大きな瞳は、獲物を捕捉した輝き。


「こちらにタオルがあります! せめてお召し物の水だけでも取らせてください! さあさあさあ、染みになる前に!」


「え、ちょっと、あの……!」


 目を丸くしたユージンや級友たちを尻目に、エルはブレイク部隊の副隊長を面接室に連れ込むと、間髪入れずにスコン! と鍵をかけた。


「……レディが密室で男とふたりきりになるなど、許されることではない。ただちに学長に報告しなくては」


 青年はここに至っても、知らないフリを通そうと努力していた。身体を斜に構え、横顔のまま冷たく尋ねる。「きみ、名前と学年を言いなさい」


「カンパニュラの花、お好きなんですか?」


 メガネの奥の瞳が見開かれ、エルはしてやったりの顔で微笑んだ。


「このあたしが、あの筆跡を見逃すはずないでしょ?」


 ブレイク副隊長の真の姿を暴け。


 さすれば、黄金の武器の秘密を明かそう。


 反逆の地下街で謎めいた青年将校に課された謎解きは、このクソッタレな箱庭で掴めそうな唯一の明るいきざし。


 手がかりらしい手がかりはまるで与えられなかったが、自分のことを一方的に知っている誰かについてなら、たったひとつだけ心当たりがあった。そうして導き出した答えは、胸がはやる期待をいったん脇に置いてしまえるほどの、大地を揺るがす一大事だったのだ。


 少なくとも、エルという少女にとっては。


「いつか会えたら伝えたいと、ずっと思ってました。誕生日に忘れずに届くあの贈り物がどれだけ、あたしを支えてくれていたか」


 小麦色の手が胸元のシャツを握り込む。数年来の待ち人を見つけて頬は薔薇色に染まり、瞳は潤んで輝いた。


 視線が指先のように形を持ったなら、きっと擦り切れて消えてしまうくらい、何度だって読み返してきたのだ。


 いつもたった二言だけの、シンプルなおめでとうを。


「ありがとう、毎年お祝いしてくれて。ありがとう、ずっと見守ってくれて……! やっと会えた、あたしのあしながおじさん!」


 やけに自分について詳しい青年の正体は、サフランイエローのバースデーカードの送り主。


 万感の感謝を込めた笑顔は直視しがく、途方に暮れた青年は唇を噛み、しばらく顔を覆って天を仰いだ。


「……やっぱりおれよりもあなたのほうが、何枚も上手うわてですよね」


 ため息混じりの銀眼は少女を映し、眩しげに微笑んだ。


「お見事です、エルさん」


 鉄面皮が温度を取り戻すさまは、厚く張り付いた雪が剥がれ落ちるがごとく鮮やかだった。

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