12月22日【おわかれの予感】


 柱時計が朝を告げます。宇宙の果てで迎える、二日目の朝です。

 ゆみこさんは、宇宙の果ての暗さにも、もう慣れてしまいましたが、驚いたのはヨシオさんです。

「今日は、やけに暗いなあ。曇ってるのかな」

 そう言って、窓から空を覗き込みましたので、お庭のクリスマスツリーは慌てて、常識的な大きさに縮みます。

 ここは宇宙の果てですから、お空には太陽も月も雲も何もなく、真っ暗闇しか広がっていません。それが、ヨシオさんの目にどう映ったのかは分かりませんが、ヨシオさんは取り敢えず「雲が厚いな。雪が降るかも知れない」ということで、納得したのでした。



 さて、宇宙の果ての空模様は、本日も暗闇です。ですが、北風だけはしっかりびゅうびゅう、吹き付けています。冬らしくて、良い北風です。

 今日やることといったら、決まっています。再配達の準備です。

 ゆみこさんのお家には、クリスマスパーティを目当てにやってきたお手紙たちが、今やこんもりと山積みになっています。これを、石炭の局員さん一人で配達するのは大変です。

 ゆみこさんは、宇宙の果てから元の町まで帰るついでに、再配達もお手伝いしようと、決めたのでした。ですから、まず、お手紙の仕分けをしなければなりません。


 石炭の局員さんいわく、ゆみこさんの住んでいる町は、五つの配達エリアに分けられているそうです。「海がわ」「山がわ」「川ぞい」「町なか」「どこでも」です。最初の四つは分かりますが、「どこでも」エリアというのは、どういうことなのでしょうか。

「たとえば、町に住む皆さんに宛てた手紙などが、どこでもエリアに区分されますね。季節の便りや星々の便りなんかは、どこでもエリアに分けておいてください」


 局員さんの指示に従って、ゆみこさんたちは、封筒を分類していきます。ヨシオさんも、何がなんだか分からないふうですが、手伝ってくれています。


「ゆみこさんのボランティアは、ずいぶん変わっているんですね」

 封筒を束にして、トントンと叩いて角を揃えながら、ヨシオさんは言いました。

「どの封筒にも、宛先も送り主も書いていない。でもこの若草色の封筒は、たぶん、山がわエリアだと思いますね」

 ヨシオさんの勘は大当たりで、それは暖冬を春と間違って芽吹いてしまった、タラノメのお手紙なのでした。その後もヨシオさんは、素晴らしく冴えわたった勘に基づいて、テキパキと封筒を仕分けていきます。ゆみこさんより、ずっと上手です。


「すごいのね、ヨシオさん。何かコツがあるのかしら」

 真っ白な封筒を手に持ったまま、ゆみこさんが言いました。真っ白な封筒を手にするのは、今日でもう六度目です。

 それらはそれぞれ、初雪のお手紙、兎のお手紙、道路の白線のお手紙、ショートケーキのお手紙、湯気のお手紙と、全く異なる種類のお手紙でした。

 この真っ白なお手紙も、きっと、また別の白いもののお手紙なのでしょう。それが何なのか、ゆみこさんにはさっぱり分からないのです。唯一のヒントと言ったら、封筒の端っこがちょっとだけ灰色をしていることと、封蝋が黄色であることくらいです。


 ヨシオさんは、悩むゆみこさんから封筒を受け取って、じっくりと眺めました。そして「これは、きっとカモメのお手紙でしょうね」と、いとも簡単に当ててみせたのです。

「カモメですから、海がわエリアですよ」

 当ててもらったことが嬉しかったのか、カモメのお手紙は「クアー」と鳴きました。相変わらず、ヨシオさんには、聞こえていないようでしたが。



 みんなの手伝いもあり、封筒は、順調に仕分けられていきます。それでも、あとひと山もふた山も、仕分け前の封筒が残っています。きっと今日は、この作業をしていて一日が終わってしまうでしょう。

 あんまり根を詰めると、目や肩が痛くなってしまいますから、ちょうどいいところで休憩を入れて、体を休めなくてはいけません。


 休憩時間には、温かい飲み物を出しましょう。何がいいかしら。ゆみこさんはそんなことを考えながら、心の隅に、何か引っかかるものがあることに気が付きました。その正体を探っているうちに、ふと、子供たちの姿が目に入ります。

 男の子は、二通の赤い封筒を見比べて、何のお手紙なのか悩んでいるようです。そこに、みーちゃんが横から、ああでもないこうでもないと口を出しています。


 そうだわ。と、ゆみこさんは、引っかかりの正体に思い当たりました。

 もう何日も一緒に過ごしていたので、すっかり忘れていました。そういえば、あの子たちもまた、お手紙なのです。行く宛てのない、迷子のお手紙。受け取りを拒否されているお手紙です。

 あの子たちも、届けられなければなりません。正しい宛先へ届けられて、そして、伝えたいことを伝えなければならないのです。

(ああ、でも……)

 ゆみこさんの胸が、ぎゅっと締め付けられます。



 ゆみこさんの苦しげな表情に、気が付いたのでしょう。石炭の局員さんが、ゆみこさんの肩にそっと手を置き、優しく叩きました。ゆみこさんはそれで、なにか救われるような気持ちになりました。


 ゆみこさんは、寂しい、と思ってしまったのです。あの子たちがいなくなってしまうことが、寂しい。ずっとうちにいてくれれば良いのに。

 ずっとゆみこさんのお家にいるということが、あの子たちにとってどういうことなのか、ゆみこさんは分かっているはずです。それは、ずっと迷子でい続けるということ。ずっと拒絶され続けるということです。

 それなのにゆみこさんは、思ってしまったのでした。寂しい。ずっとうちにいてくれれば良いのに、と。


 そのことを、石炭の局員さんは、何もかも分かっているのでした。そして、寂しいと思ってしまった気持ちを、寂しいと思ってしまったゆみこさんを、赦してくれたのです。



「さあ、もうひとがんばりですよ」

 石炭の局員さんは、優しい声で、ゆみこさんを励まします。ゆみこさんは、目尻に滲んだ涙を、カーデガンの袖でそっとぬぐいました。

 そうです。もうひとがんばり。もうすぐクリスマスなのですから、こんな気持ちでいてはいけません。頑張って、迷子のお手紙たちに、素敵なクリスマスをお届けしなければならないのです。それが、ゆみこさんに出来ることなのですから。


 気持ちを切り替えて、ゆみこさんは、封筒の山の中から、薄い翡翠色の一通を手に取りました。さあ、もうひと頑張り。この封筒は、いったいどのエリア宛てのものでしょう。

 封筒をつまんでいる指が、じんわり温かくなってきます。ふんわりと漂ってくるのは、石鹸の匂いです。


「あ、もしかして、お風呂のお手紙かしら」

 ゆみこさんが呟くと、石炭の局員さんが「大正解」と微笑みました。町なかエリアの山に、薄い翡翠色の封筒が追加されます。仕分け前の封筒の山は、少しずつ低くなっていきます。

 もうひとがんばり。クリスマスまで、あと少しです。




 何度か休憩を挟んで、温かいものや甘いものをいただいて、夕方を迎えるころには、仕分けはずいぶん進みました。そのころです。キンコーン。と、玄関のチャイムが鳴りました。


 まさか、また新しい迷子のお手紙が来たのでしょうか。

「はい、はい。今行きますよ」

 ゆみこさんが玄関を開けますと、ぱっと、目の前が明るくなりました。光そのものはそれほど強くはないのですが、あんまり近くにありますので、目がくらんだようになったのです。


 ゆみこさんはぱちぱちと目をしばたたかせて、改めて、目の前の光たちを見ました。その青白い光に、見覚えがあります。

「こんばんは、ゆみこさん」

「こんばんは、お久しぶりです」

 そこにあったのは、六つの光です。全く同じ顔をした少年たちが六人、ゆみこさんを見上げています。いつか出会ったすばるの子らが、こんな宇宙の果てまで、やって来たのです。


 顔見知りの訪問は、ゆみこさんには嬉しいことなのですが、良いのでしょうか。すばるが、勝手に宇宙を移動してきて。ゆみこさんがそう言いますと、

「大丈夫、大丈夫」

 すばるの子らは、あっけらかんと笑います。

「広い宇宙でちょっと動くくらい、平気ですよ」

「今夜すばるを観測したひとは、あれって思うかも」

「いつもと居場所が違うな、ってね」

「でも、明日には戻っているから、見間違いだったんだって思ってくれるよ」

 彼らがそう言うなら、きっと大丈夫なのでしょう。


「ぼくたちはね、ゆみこさんたちが、なんだか楽しそうなことをしているから、見に来たんだ」

「本当は、昨日来たかったんだよね。パーティをやっていたでしょう。楽しそうな音楽も聞こえたし」

「そうそう。それでパーティに行こうと思ったのに、ここまで来るのに時間がかかっちゃって」

 それで今日、ようやく到着したというわけです。


 すばる御一行は、パーティが終わってしまっていることにがっかりしたようでしたが、それでも、ゆみこさんのお家の中を見て、わあっと歓声を上げました。

 お家の中は、まだまだたいへん賑やかです。パーティの名残の飾り付けに、まだまだたくさん残っているご馳走に、そして何より、たくさんの封筒の山。


「お手紙が、こんなにたくさん! これ、今から届けに行くんですか?」

 すばるの子らは喜んで、封筒の山の周りを跳びまわりました。すると、すばるの子らの足元から光の粉が舞い上がって、封筒の山に降りかかります。星の煌めきを帯びて、封筒たちはどこか誇らしげなのでした。



「わあ、驚いた。この子たちも、ゆみこさんのお友達ですか?」

 リビングを駆け回っているすばるの子らを見て、ヨシオさんが目をまんまるくします。六つ子だなんて、ヨシオさんは初めて見たのです。

 ヨシオさんは六つ子たち一人ひとりに挨拶をします。すばるの子らは、表に停まっていたヨシオさんの配達トラックに興味を示しまして、ヨシオさんに頼んで、運転席に座らせてもらったり、荷台に乗せてもらったりしました。


「このトラックで、配達に行くんでしょう。ぼくたちも、途中までついて行っちゃおうかな」

 すばるの子らはそう言って、トラックの運転席の窓を開けて、身を乗り出しました。そして、冷たい北風の吹く先へ、細い人差し指を向けました。

 するとどうでしょう。すばるの子の指差す方へ、青白く仄光る、星雲の道が出来たではありませんか。光の道はまっすぐに、暗闇の向こうへ伸びています。この道の先に、きっと、ゆみこさんの住む町があるのです。



 ああ、いよいよだ。星雲の道の先を見つめながら、ゆみこさんは唇をきゅっと引き結びました。今日が終わり、明日が来れば、さよならがまた近付きます。

 目を細めて、彼方の暗闇を見ているゆみこさんのそばに、音もなく、みーちゃんが寄ってきました。そして、にゃーんと鳴いて、ゆみこさんに尻尾をすり寄せました。

 ゆみこさんは微笑んで、みーちゃんを抱き上げます。


「もうすぐ、クリスマスだね」

 みーちゃんが、喉をごろごろ鳴らしながら、言いました。

「ゆみこさん。クリスマスに、いちばんに欲しいもの、なーに?」

 みーちゃんの質問に、ゆみこさんは、答えられませんでした。

 子供のころは、何が欲しいかと訊かれたら、すぐに答えられていたような気がします。欲しいものはたくさんありましたし、それらはほとんど、なんとかすれば手に入るようなものばかりだったのです。


 でも、今のゆみこさんが欲しいものは、きっと、どうしても手に入らないものです。この時間が永遠に続いてほしいなんて、どだい、無理な願いなのです。


 ですからゆみこさんは、いちばんに欲しいものではなく、その次に欲しいものを口にします。

「私は、楽しいクリスマスが欲しいかな。みんなが楽しくて、みんなが幸せな、そんなクリスマスが来ればいいなあって、思うわねえ」

 そして、みーちゃんのふわふわの頭を、精一杯の慈しみを込めて撫でました。撫でながら、抱きしめて、柔らかな三角のお耳に頬を寄せます。くすぐったいのか、照れくさいのか、みーちゃんが「えへへ」と笑いました。


「みーちゃん。私のお家に来てくれて、ありがとう。私を頼ってくれて、ありがとう」

 ゆみこさんの声には涙が混じっており、みーちゃんは、それには気が付かないようでした。ただ、小さな子猫の女の子は、小さな両腕をいっぱいに伸ばしてゆみこさんに抱き着いて、

「ゆみこさん、だーいすき」

 と、言ったのでした。


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