12月20日【北風よ吹け】


 小さな、とても小さな鐘の音で、ゆみこさんは目を覚ましました。

 宇宙の果ては、永遠に暗く、静かで、寒いので、今が朝なのかまだ夜中なのか、ゆみこさんにはさっぱり分かりません。

 真っ暗なお部屋の中に、クリスマスツリーのイルミネーションが、ひっそりとまたたいているだけ。さっきの鐘の音は、どこから聞こえたのでしょうか。


 身を起こしまして、窓の外を見た時、ゆみこさんは音の正体を知りました。

 窓の外で、お星さまの形をした影が、タップダンスを踊っています。ゆみこさんちの柱時計が、お隣まで、朝を教えに来てくれたのです。


 ゆみこさんが起きたのを見て、柱時計の影は、もう一度だけ鐘を鳴らしました。そして、正確なリズムを刻みながら、ゆみこさんのお家へ帰っていきました。



 お外は、真っ暗。リビングも、真っ暗。みんな、まだぐっすり眠っています。

 ゆみこさんは、子供たちを起こしてしまわないよう立ち上がって、台所へ向かいました。

 クリスマスツリーから、白く輝くハクセキレイが飛び立って、ゆみこさんの前をちょこちょこ歩き、行く先を照らしてくれます。


 ゆみこさんは、まずいつものように、お湯を沸かしました。お湯が沸きましたら、適度に冷ましてマグカップに注ぎます。こくり。と、お湯をひと口飲みますと、お腹の奥底にぽわっと熱が灯りました。


 それから、ゆみこさんは朝ごはんの準備をします。ジャガイモのポタージュスープを温めながら、ゆみこさんは、昔のことを思い出していました。

 子供のころ、朝、食器の触れ合う音で目覚めることが、幸福だったのです。その音をずっと聞いていたくて、目が覚めてからもしばらく、お布団の中で目を瞑っていたものでした。

 ゆみこさんは、ポタージュスープに牛乳を加えながら、横目で、まだ眠っている子供たちを見やります。あの子たちも、同じ幸せを感じてくれれば良いと、そう思うのです。



 ポタージュスープが出来上がるころ、

「おはようございます、ゆみこさん。お早いですね」

 石炭の局員さんが、起きてきました。それから順番に、メレンゲの王様が起きてきて、男の子が起きてきて、みーちゃんが起きてきました。

「お馬さんは?」

 みーちゃんが、お馬さんのお布団に、様子を見に行きます。大きく、山のように盛り上がったお布団のそばに行って、にゃーんと控えめに鳴きますと、お布団がもぞもぞ動きました。


「ふああ……ああ、よく寝た。こんなによく眠ったのは、いつぶりだろう」

 お馬さんは、首をぐんと伸ばして、すっくと立ちあがりました。はずみで、みーちゃんがベッドから転げ落ち、床に転げる前に、男の子が受け止めました。

「あ、失礼」

 お馬さんは、みーちゃんに一言謝ってから、ぶるぶるとたてがみをふるわせます。


 その姿のたくましいことといったら、昨日と同じお馬さんとは思えないほどです。

 両のお耳はピンと立ち、黒真珠の瞳には生気が燃えています。体にはつやがあり、たてがみは真っ直ぐで、尻尾は柳のむちのようにしなやかです。そして足元には、ダイヤモンドよりも固く丈夫な、黒曜石の蹄が輝いているのです。

 誰がどう見ても、お馬さんの体調は、すっかり良くなったのでした。



 ゆみこさんが作った朝ごはんを、お馬さんは、ぺろりと平らげました。朝ごはんだけでなく、デザートの果物も、ヨーグルトも、誰よりもたくさん食べました。

 お馬さんには、具合が悪くて先延ばしにしていた大仕事がありますので、たくさん食べて、力をつけなければならないのです。

「力をつけるには、甘いものを食べると良い。甘いものを食べると、元気が出るからな」

 そう言って、メレンゲの王様は、お馬さんにメレンゲクッキーを勧めました。お馬さんは、もちろん、メレンゲクッキーもたくさん食べました。

 腹ごしらえをしましたら、いよいよお馬さんの体にはエネルギーが満ち溢れて、まるで、火の入った石炭のよう。


「もうすっかり元の調子です。ゆみこさん、皆さん、ありがとう。これで、私の仕事を全うできそうです。良かったら、扉を開くところを、見て行きませんか」

 お馬さんのお誘いに、真っ先に「見たい」と言ったのは、男の子でした。みーちゃんも「見たい」と言い、ゆみこさんも見たかったので、お言葉に甘えて、お仕事の様子を見学させてもらうことにします。

「では、皆さんコートを着て。外は寒いですから、暖かい格好でお出でなさい」

 悠々と歩き出したお馬さんに続いて、ゆみこさんたちは、玄関から外へ出て、お家の裏へ回りました。



 そこに何があったかと言いますと、お庭ではなく、大きな大きな扉です。どれくらい大きいかと言いますと、それはもう、見上げても扉のてっぺんが見えないくらい、大きいのです。この扉が、宇宙の果ての風穴を、閉じているのです。いったいこの扉を、どうやって開くというのでしょう。


 ゆみこさんたちは、息を潜めて見守ります。お馬さんは、扉にお尻を向けて立ちました。そして、天を仰いで、勇ましくいななきました。

 すると、お馬さんの周りの暗闇が、ぼんやりと波打ち始めたのです。波打つ闇は、お馬さんの胴体を覆って胴引きの形になりました。胴引きからは真っ黒な綱が伸びており、その先がどうやら、扉の引手に結ばれているようです。


「はーいしー!」

 お馬さんが、野太い掛け声と共に、全身に力を入れました。綱が引かれ、真っ直ぐにピンと張ります。

「はーいしー!」

 掛け声を、もう一度。扉は、全く動きません。

 やはり、まだ病み上がりの体では、こんなに大変な大仕事は、難しいのでしょうか。「大丈夫ですか」と声をかけようとしたゆみこさんを、止めたのは、石炭の局員さんでした。

「彼の仕事です。きっと、やりとげるでしょう」


「はーいしー」

 と、男の子も掛け声を上げました。

「がんばれ、がんばれ!」

「がんばれー! はいしー!」

 みーちゃんも、応援します。お馬さんは、子供たちの声に応えるように、いっそう力を込めました。すると、低い音と共に、扉が少し、動いたのです。


「動いた!」

 思わず、ゆみこさんは手を叩きました。

「動きましたよ! がんばれ!」

 ずずず、ずずずとゆっくり、しかし着実に、宇宙の果ての扉が開きます。その隙間から、口笛のような音を立てて、冷たい空気が漏れ出てきます。北風です。お馬さんが、一歩また一歩と脚を前に出すたびに、北風は強く、冷たく、流れ出してきます。


 冬です。暖かすぎる冬は終わり、寒い冬がやって来ます。ゆみこさんは、襟元のマフラーをたぐりよせました。ああ、なんて寒いんでしょう。これこそが、冬なのです。


「はーいし、どーう!」

 やがて扉が開ききると、お馬さんは力をゆるめ、ひひーんといななきました。馬具は再び闇へと戻り、これで、大仕事はおしまいです。開け放たれた扉から、北風がびゅうびゅう吹いています。「寒い!」「さむうい!」と、子供たちは大はしゃぎ。


 お馬さんは、こんなに冷たい風が吹きつけているというのに、全身、汗びっしょり。本当に、大変なお仕事だったのです。ゆみこさんは最大限の感謝を込めて、「お疲れ様でした。ありがとう」と言いました。お馬さんは、満ち足りた表情でうなずきました。



 大仕事をやり遂げ、見届けたあと、みんなは北風から逃れるように、急いでお家の中に入りました。そして、みんなで甘い卵酒を飲みながら、口々に、お馬さんの立派な仕事を褒めたたえました。

「あの、逞しい体つきといったら。まるで蒸気機関で燃える石炭のようでした」

 と、石炭の局員さん。

「うむ。真っ白が素晴らしいのはもちろんのことであるが、真っ黒も、また素晴らしい。それを再確認した一件であった」

 と、メレンゲの王様。

 たくさん褒められて、お馬さんはくすぐったそうです。


「でも、これでひと安心ですね。北風がちゃんと吹き始めましたから、お手紙たちも迷子にならずに、宛先まで届けられるでしょう」

 照れながらも、肩の荷が下りたふうな表情で、お馬さんが言いました。北風が吹かなかったことで、お手紙の配達が滞っていたと聞き、そのことに責任を感じていたのです。

「ええ、そうですね」と、石炭の局員さん。

「これから急いで配達すれば、なんとか、春が来るまでには配り終えられるでしょう」


 おや。と、声を上げたのはメレンゲの王様です。

「クリスマスまでに、とはいかないかね。この時期のお手紙というのは、吾輩もそうであるが、たいてい、クリスマスまでに届けられたいものだがね」

「うーん、クリスマスまでですか……」

 石炭の局員さんは、頭を抱えます。

「お手紙たちは、あっちこっちで迷子になっていますからね。まず、彼らを探し出さなければなりません。あっちこっちを探し回って、探し出してから配達ですから、結構、時間がかかりますよ」

 それは、そうかもしれません。どこに行ったか分からない、迷子の子を探すというのは、とても大変なことなのです。


 でも、あれ? ゆみこさんは首をかしげました。同じような問題に、つい最近、頭を悩ませたような気がします。



 ゆみこさんが考えていますと、リビングの片隅にある、椎の木のクリスマスツリーが、目に入りました。椎の木の枝には、真っ白な霜が降りており、ゆみこさんに何かを訴えかけるように、きらりと光ります。

 そして、ゆみこさんは思い出したのです。


「そうだ。探すのではなく、集めたらいいんだわ!」


 迷子の朝霜たちを見付け出せたのは、探したのではなく、集まってもらったからでした。今回だって、同じこと。心細くしている迷子のお手紙たちが、ついつい寄ってきてしまいたくなるような、素敵な目印を出して、みんなに集まってもらえばいいのです。

 集まってもらったら、あとはもう、北風に乗せて配るだけ。きっと、クリスマスに間に合います。


 朝霜の子たちを集める目印には、彼らが降りやすい、大きな常緑樹を用意しました。今回、集めなければならないのは、迷子のお手紙たちみんなです。みんながみんな心惹かれるような、そんな目印は、いったい何でしょうか。


「そんなの、決まってるよ」

 上気した顔で、男の子が言いました。

「クリスマスだよ。クリスマスパーティをすれば、みんな集まってくるに決まってる。俺だって、もし迷子のときにクリスマスパーティを見かけたら、行ってみると思う」

 みーちゃんが、「パーティ!」と、手を叩いて喜びます。

「みーちゃんも、パーティがあったら、ぜったいに行くよ。だって、楽しそうだもん」



 それはもう、誰からも反論が出ないくらいに、完璧で素敵な答えでした。

 クリスマスパーティを開きましょう。そうすれば、迷子になって寂しくて、心細くて仕方ないお手紙たちは、きっと集まってくるはずです。


「なんて良い考えだろう。なんて素敵なアイデアだろう。では、すぐに準備をしましょう。さあ、忙しくなりますよ」

 いの一番に動き出したのは、お馬さんです。彼はまったく、体の芯から働き者なのです。


 お馬さんに続いて、みんな自分に出来る仕事を見付けて、パーティの準備をします。慌ただしく動き出したお家の外では、冬らしい冷たい北風が、びゅうびゅう音を立てて、吹き荒れているのでした。


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