12月19日【真っ黒なお馬さん】
待ちに待った、朝が来ました。朝といっても、ここは宇宙で、それも宇宙の果てですから、もちろん窓の外は真っ暗です。
けれど、規則正しい柱時計が、ボーンボーンと鐘を鳴らして知らせてくれます。朝になったのです。
ゆみこさんは毎日早起きですが、今朝に限っては、ほかのみんなも早起きでした。早く、お隣さんへ行ってみたいので、そわそわしているのです。
だけれど、朝早くの訪問も、夜遅くの訪問と同じくらい迷惑になります。ですから、みんな早く行きたいのを我慢して、いつも通りの時間に朝ごはんをいただきます。
「どんな人が、住んでると思う?」
朝ごはんの後、窓についた結露の魚を逃してやりながら、男の子が言いました。
「人じゃないかも。猫かも」
と、みーちゃんが答えます。
「みーちゃんね、分かっちゃったんだ。宇宙の真っ黒なとこには、黒猫がいるのね。金色のお星さまは猫の目なの。だから、宇宙の果てのお家には、黒猫が住んでるんだと思う」
「どうかなあ」
男の子は、納得していない様子です。
「おれは、石炭のおじさんみたいな、真っ黒な人がいると思うな」
局員さんの方を横目で見ながら、男の子は自分の説を披露します。あれやこれやと予想をし合っているうちに、あっという間に、よそ様のお宅を訪問しても失礼にあたらない時間になりました。
ゆみこさんは、清潔な布巾にクッキーを包んで、手籠の中に入れました。ミルクの瓶とレモネードの瓶は、重たいので、石炭の局員さんに持ってもらいました。男の子には、みーちゃんを持ってもらい、みーちゃんは紅茶の茶葉の缶を持っています。メレンゲの王様は、メレンゲクッキーを一個だけ持って、みーちゃんの頭の上に収まりました。オパールの人は、「おれは、行かない」と言ったので、椎の木のツリーと一緒に、お留守番です。
みんな、いそいそと支度をしまして、おみやげを持って、出かけます。
お隣のお家は、なにもかも炭で出来ているかのように真っ黒で、どこにも明かりが灯っていません。ですから、真っ暗な宇宙の果ての中では、よくよく見ていないと、すぐに見失ってしまいそうでした。
ゆみこさんは、お隣のお家の、真っ黒な門の前に立ちました。深呼吸をして、玄関チャイムのボタンを押します。
キンコーン。ゆみこさんのお家のチャイムよりも、かなり古ぼけていて、音の割れたチャイムが、鳴り響きました。返事がありませんでしたので、ゆみこさんはもう一度、キンコーン。チャイムを鳴らしました。
すると、か細いか細い声で、聞こえたのです。「はあい」と、確かに誰かが、返事をしました。
「誰かいるわ」
一番耳の良いみーちゃんが、言いました。「なんだか、具合が悪そうなお声ね」
その後は、もう何の声も聞こえて来ず、ゆみこさんは困り果てます。まさか勝手に入るわけにはいきませんし、けれど、みーちゃんの言う「具合が悪そう」というのが本当ならば、帰るわけにもいきません。
困っていますと、みーちゃんが、男の子の腕の中からぴょいと飛び降りました。
「みーちゃんが行ってきて、様子を見てくるね。大丈夫、猫だから」
確かに、猫ならば、勝手に家の中に入っていっても、多少、許されるかもしれません。少なくとも、人間が勝手に入るよりは、ましでしょう。
みーちゃんはお家の塀の上を器用に歩き、そのままお庭の方へ、ひょいと消えていきました。それから、「ごめんくださいな」というみーちゃんの声が、小さく聞こえました。
がさごそ。ことん。ぼそぼそ、と誰かが話す声。ゆみこさんは耳を研ぎ澄ませて、何が起こっているのか、探ろうとします。
やがて、ガチャンと音がして、玄関のドアが開きました。開いたドアの向こうから、黒曜石みたいに真っ黒で透き通っていて、黒真珠みたいにまんまるなふたつの瞳が、ゆみこさんを見つめました。
「こんにちは、お隣さん」
それは、低く穏やかな声で、ゆみこさんに挨拶をしました。ゆみこさんも「初めまして、お隣さん」と、挨拶をします。けれど挨拶をし終わったあとも、ゆみこさんのお口はぽかんと開いたまま。ドアの向こうに立っていたのは、大きなお馬さんだったのです。
耳も、鼻先も、体も、たてがみも、尻尾も、みんな真っ黒。ゆみこさんが驚いていますと、お馬さんの足元からみーちゃんが顔を出して、男の子の腕の中に、飛び込みました。みーちゃんがお隣さんに、挨拶をしに来ましたよとお話をしてくれて、それで、ドアを開けてくれたのです。
「わざわざ挨拶に来てくださるなんて、どうもありがとう」
真っ黒なお馬さんは、長い首を重たそうに折り曲げて、お辞儀をしました。なんだか、苦しそう。黒真珠の瞳も、ぼんやりと熱っぽく、つらそうです。
「おもてなしをしたいところですが、あいにく、体調を崩していまして、お構いができません。せっかくこんな遠いところまで来てくださったのに、申し訳ない限りです」
お馬さんの耳が、シュンと下を向きました。
「まあ、具合が悪いんですか」
ゆみこさんが尋ねますと、お馬さんは「ええ」と、声をかすれさせます。
「流感ではないようなんですが、この冬ずっと調子が悪くって。ずっと寝たきりなんです。本当だったら冬いちばんに、宇宙の果ての風穴の、扉を開く大仕事をしなきゃあならなかったのに。今年はどうにも体が重くて、まったく言うことを聞きやしない」
「あ、それで今年は、北風が吹かないのね」
合点がいきました。宇宙の風穴には扉があって、冬になったら真っ黒なお馬さんが、その扉を開くのです。それで扉の向こうから、冷たく乾いた北風が、びゅうびゅう地上に吹き付けるのです。
それが、今年はお馬さんの具合が悪く、扉が開かれないために、冬になっても北風が吹かず、暖かいままだったのです。
どうやら、ゆみこさんが宇宙の果てまでやって来た、その目的を果たす時が来たようでした。ゆみこさんは「もし、ご迷惑でなければ」と前置きをしてから、言いました。
「私たちに、看病をさせていただけませんか。栄養のある食べ物も、温かい飲み物も、柔らかな毛布も、たくさんありますよ」
お馬さんのお家の中は、全てのものが真っ黒でした。床も天井も、家具も、お布団も、真っ黒です。なんと、台所に並んでいる果物や、ジャムの瓶までもが真っ黒なのです。
「ここにいると、なにもかも、真っ黒に塗り潰されてしまうんです。ですから、光を灯すことも出来ません。光も、真っ黒になってしまいますからね」
お馬さんの説明に、石炭の局員さんがうなずきます。
「ええ、分かりますとも。世界には、そういう場所がいくつかあるのです。私も、そういう場所から来たので、よく分かります」
「ああ、そういえばあなたも真っ黒ですね。あなたは、どちらから?」
「私は、南の石炭袋から」
「なんと遠くから、いらしたんですねえ」
真っ黒なふたりの間には、真っ黒同士で通じ合うものがあるのでしょう。会話に花が咲きそうでしたが、お馬さんがコンコンと空咳をしましたので、会話は中断されてしまいます。
お喋りも楽しいですけれど、まずは具合が悪いのを、どうにかしなければなりません。
体の調子が悪いときは、体を温めることが重要です。ゆみこさんたちは手分けして、ゆみこさんのお家から、真っ黒なお家へ、必要なものを運び込みました。
まず、毛布をたくさん。それから、湯たんぽ。真っ黒なお家のキッチンを借りて、お湯を沸かし、湯たんぽの中に注ぎこみます。温まった湯たんぽを毛布で巻いて、お馬さんの寝ているお布団の中に入れますと、お馬さんの表情がほっとほころびました。
「ああ、あったかい」
なんといっても、このお家は、あんまり寒すぎるのです。宇宙の果ては暗く静かで、そしてとても寒いので、仕方のないことかもしれません。それにしても、お家の中くらいは、もっと暖かくなければいけません。
それから、具合の悪いときは、栄養もたくさん摂らなければなりません。とにかく、体をいたわるのです。ゆみこさんは、持って来たレモネードをお鍋で温めて、生姜をおろして入れました。仕上げに甘いはちみつを溶かしまして、湯気の立つホットレモネードの完成です。
お馬さんは、生来、働き者なのでしょう。具合が悪いというのに、ゆみこさんが台所に立っていると、何か仕事はありませんかと言って、ベッドから起き上がろうとするのでした。それを、子供たちが「寝てて」「ちゃんと寝ていて」と、お布団の中に押し戻すのでした。
体の内側からも温まって、栄養を摂りましたら、あとはぐっすり眠って、たっぷりの休養を取ることが重要です。
「いや、驚きました。ゆみこさんはお医者さんなのですか」
ゆみこさんの看病の手際の良さに、お馬さんが感服します。「まさか」とゆみこさんは笑います。
「昔、子供たちが風邪をひいたときにしてやったことを、思い出しただけですよ」
「ああ、お医者さんでなく、お母さんでしたか」
お馬さんは納得して、気持ちがよさそうに、とろんと瞼を落としました。ゆみこさんは黙って、お布団の上から、お馬さんの背中を撫でました。
働き者で、この冬とうとう体を壊してしまったお馬さんは、しばらくうとうとしたあとで、静かな寝息を立て始めます。お馬さんがすっかり眠ってしまってから、ゆみこさんは、お馬さんを起こしてしまわないように静かに、立ち上がりました。
お馬さんが眠っている間に、もうひとつ、やらなければならないことがあります。
風邪っぴきの体に悪いものは、寒さと空腹。それから、もうひとつ。寂しさです。風邪をひいているとき、たった独りぼっちの家の中で目を覚まし、具合を尋ねてくれる人もいないというのは、結構、体に堪えるものです。
お馬さんが目を覚ましたとき、それが例えばみんな眠ってしまっている深夜だったとしても、寂しいと感じさせてはいけないと、ゆみこさんは思いました。
そこでゆみこさんは、局員さんや男の子に手伝ってもらって、ゆみこさんのお家から、クリスマスツリーを運び込みました。
真っ黒なお家の、真っ黒なリビングの片隅で、椎の木のクリスマスツリーは、ちかちか、ぴかぴか、光ります。宇宙の果ての真っ黒に塗り潰されてしまわないように、一生懸命、光ってくれます。
「きれいね」
うっとりと、みーちゃんが言いました。
「あっちも、綺麗だよ」
男の子が指差す先、真っ黒な窓の外に、ゆみこさんのお家が見えます。ゆみこさんのお家の屋根は、いつか秋の便りたちが施してくれた、秋のイルミネーションが輝いているのです。
「綺麗ねえ」
ゆみこさんも、呟きました。それで、どうしてか、泣きたいような気持ちになりました。どうしてでしょうか。イルミネーションが、あんまり綺麗だからかもしれません。
「うむ。たいへん美しい。見事である」
メレンゲの王様が、えらそうに言って、最後に「ふあーあ」と大きなあくびを付け加えました。きっと、そろそろ夜なのです。ゆみこさんのお家では、柱時計が、夜の鐘を鳴らしていることでしょう。
子供たちと局員さん、それからメレンゲの王様は、お馬さんのベッドのそばに毛布を集めて、みんな集まって眠りにつきました。もちろん、ゆみこさんもその中にいて、毛布をかぶって横になります。
けれどゆみこさんは、横になっても目は閉じずに、ずっと、壁に反射するイルミネーションの光を見つめていました。
赤、黄色、緑。また赤、今度は青、白、黄色。ぱっぱっぱ。不規則に点滅しながら、光の色はくるくる変わります。ゆみこさんはそれを、ずっとずっと、眺めていました。
きっと、そうしながら、いつしか眠っていたのでしょう。夢の中でもゆみこさんは、ぱっぱっぱと瞬く色の光の中にいたのです。
光の中で、ゆみこさんは椅子に座って、靴下を編んでいます。遠くに、子供たちの笑い声が聞こえました。ゆみこさんが目を閉じますと、子供たちの声は、すぐ耳元できゃらきゃらと、楽しそうに笑います。
その声は、ゆみこさんがまだ子供だったころの、ずっと昔の自分の笑い声であったような、そんな気がしたのでした。
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