12月9日【メレンゲの王様】


 この日、ゆみこさんのお家の中は、朝から雪が降っていました。降らせているのは、もちろん、かそけきものの雪雲です。雪はやっぱり積もってはいませんでしたが、いつもより、リビングの空気がきらきら輝いて見えます。

「おはよう。一晩中、降らせていたんですか?」

「ええ。夜に降る雪の音は、かそけきものたちの声によく似ていますから、彼らが落ち着くのです」


 ゆみこさんは、雪雲さんのために、お鍋でミルクを温めました。子供たちが起きて来ましたら、彼らのためにも、ミルクを温めました。子供たちのぶんのホットミルクには、甘いはちみつを溶かします。



 朝ごはんをいただきましたら、いつもならゆみこさんは、お客さまにお出しするクッキーを焼きにかかります。今日ももちろん、そうなのですが、今日はちょっと変わったクッキーを焼こうと思っています。

「あのね、雪雲さんは白いものしか召し上がらないのでしょう。ですから、メレンゲクッキーを焼こうと思うんですよ」

 メレンゲクッキーとは、卵の白身とお砂糖で作る、真っ白なクッキーです。真っ白なので、雪雲さんでも、美味しくいただくことが出来るはずなのです。

「なんとまあ、わたくしのために、そこまでしていただけるなんて」

 雪雲さんはたいへん感動して、粉雪をはらはら散らしました。


 メレンゲクッキーを作るためには、まずメレンゲを作らなければなりません。卵の白身を、とにかく混ぜて混ぜて混ぜるのです。そして、お砂糖を入れて甘くするのです。ゆみこさんはこの作業を、子供たちにお願いすることにしました。

 子供たちは綺麗に手を洗いまして、ゆみこさんのお家の二階にあった、子供用のエプロンを身に着けます。みーちゃんは、子供用のエプロンでも大きすぎたので、白いレースのハンカチを、エプロンの代わりに身に着けます。


「それでは、泡だて器を、こういうふうに持って。しゃかしゃかしゃか。やってみて」

 ゆみこさんに教えられた通り、男の子が泡だて器を動かしますと、卵の白身はボウルの中で大きく跳ねまして、テーブルの上にまで飛んで行きました。もっと優しく、丁寧に。だけど早く、リズム良く。


「むずかしい?」

 お砂糖の計量を手伝っているみーちゃんが、男の子の顔を覗き込みました。

「みーちゃんが、かわろうか」

「お前じゃ、泡だて器を持てないだろ」

 それもそうです。みーちゃんは一言「にゃあ」と言って、お砂糖の計量に戻りました。銀色の計量スプーンを持って、粉雪みたいなお砂糖をすくい取ります。みーちゃんは体が小さいので、たったそれだけの作業でも、とても大変そうです。

「そっちこそ、かわろうか」

 男の子が、みーちゃんの顔を覗き込みます。みーちゃんは「いいの、みーちゃんがやるから」と、銀の計量スプーンを、決して手放そうとはしませんでした。


 どうなることかと、初めははらはらしながら見ていたゆみこさんでしたが、男の子は器用なもので、すぐにこつを掴みました。優しく、丁寧に。けれど早く、リズム良く。しゃかしゃかしゃか。ちゃかちゃかちゃか。泡だて器が小気味のいい音を立てます。これなら、大丈夫そうね。ゆみこさんがほっとひと安心したとき、ピンポーン。玄関のチャイムが鳴りました。


 まだおもてなしのクッキーは焼き上がっておりませんが、お客さまがいらっしゃったからには、お迎えしなければなりません。

 ゆみこさんは、玄関のドアを開けました。真っ白な封筒が、玄関ポーチにありました。真っ白だけれど、銀色の縁取りがしてあって、どことなく上品な雰囲気です。



 白に銀縁の封筒を、ゆみこさんは、リビングに持ち帰りました。「開けてみてー」と、泡だて器から目を離さないまま、男の子が催促します。もちろんゆみこさんは、いつものように、ペーパーナイフで封筒を開きます。すると、


「ええい、頭が高い! 控えおろう!」

 なんとまあ、大きな声が響いたのです。あんまり大きかったので、ゆみこさんは驚いて、封筒を落としてしまいました。男の子はびくりと体をふるわせ、みーちゃんは銀の計量スプーンを取り落とし、雪雲さんは小さくなってホイップクリームの姿になってしまいました。

「吾輩を誰と心得るか。まったく教育がなっとらん! そもそも、なんだ。あの粗末な木のペーパーナイフは。あんなもので、吾輩の高貴な封筒を開封するとは!」

 声は、驚くべきことに、男の子の持っているボウルの中から聞こえているようでした。ボウルの中で今まさに泡立てられている最中の、メレンゲの中から。


「あのう」

 声の出どころが分かりましたので、ゆみこさんは恐るおそる、ボウルの中に話し掛けます。

「小さな子供がおりますので、出来ればもう少し、お静かにお願いします」

「なんだと! 無礼な!」

 声は憤慨しましたが、しかしすぐに「だが、子供を驚かせてはならんな」と、声を小さくひそめました。



 声は、「メレンゲの王様」と名乗りました。

「吾輩は、白くて甘いもののうち、最も気高いとされる、メレンゲの王様である。お友達に、ソフトクリームの王様や、ホイップクリームの王様や、綿菓子の王様や、マシュマロの王様なんかもいるが、吾輩が、一番えらい」

「そうなんですか。それで、メレンゲの王様は、迷子でここにいらっしゃったんですか?」

「うむ、迷子である」

 なんともまあ、えらそうな迷子です。

「これこれ、少年よ」

 メレンゲの王様は、ボウルの中から、えらそうな声を出します。

「吾輩が喋っているので、この高貴な声を聞くために手を止めておるのであろうが、遠慮は無用である。どんどん、もっと、泡立てるがよいぞ」

 えらそうにえらそうなことを言われた男の子は、口をへの字にして、だけど文句は言わずに再び泡だて器を動かします。なんであろうと、メレンゲクッキー作りは続行されるのです。



 しゃかしゃか。ちゃかちゃか。男の子はメレンゲを泡立て、そのリズミカルな音の合間に、メレンゲの王様はえらそうに身の上を話します。

「吾輩たち甘いものの王様は、甘いものが作られた瞬間の気持ちを伝えるために、手紙となって旅立つのである。この時期は特に、甘いものが大活躍であるからして、吾輩は大忙しなのである」

「その忙しい時期に、迷子になっちゃったのかよ」

 男の子が意地悪を言いますと、メレンゲの王様は「無礼者!」と怒って、ボウルの中でひとまわり大きく膨らみました。

「仕方がないのである。なぜなら今年は、まったく十二月とは思えぬ暖かさ! 吾輩はいつも、十二月らしさに乗って、届けられるのである。十二月らしくない、今年の十二月が、なにもかも悪いのである!」


 十二月らしさとは、たとえば雪であったり、肌を刺すような寒さであったり、白くなる吐息であったり、晴れているのにどこか冷たげな空の色であったりします。しかし今年は暖冬で、そのどれもが不足していますので、メレンゲの王様はなかなか目的地に辿り着かず、迷子になってしまったのだそうです。


 たしかになにもかも、今年の冬が暖かいからなんだわ。と、ゆみこさんは思います。こんなに、毎日のように迷子のお手紙が休憩しに来るなんて、冬が冬らしくないからなのです。けれど、ゆみこさんにはこの冬の暖かさを、どうすることも出来ません。ここで休憩所をやって、迷子のお手紙たちを受け入れることが、ゆみこさんの精一杯なのです。



 そうしてお喋りをしていますと、やがて、メレンゲは充分に粟立って、つんつんつのを立てられるようになりました。

「ほら、ほら。このつのは、王様にぴったりの形であろう。まるで王様のかぶる、立派な王冠のように。ゆえに、吾輩は白くて甘いものの王様たちの中で、いっちばんえらいのである」

 メレンゲの王様は、「えっへん」といばります。みーちゃんだけが、「おうさま、えらい!」と拍手をしました。そして、さっき計量したばかりのお砂糖を、ばさりと、王様の上にかぶせました。王様は「けほん」と、咳をひとつ。

「うむ。メレンゲは甘くないといかんからな。お砂糖を入れるのは、まったく、正しい判断である。しかし、猫の子よ。まずはお砂糖を入れますよ、と一声かけてから、入れ始めると、なおよいぞ」

 みーちゃんは、「はーい」と元気にお返事をしました。


 みーちゃんが、銀の計量スプーンを傾けて、すぐに男の子が、泡だて器でかき混ぜます。「子供たちよ、息をぴったり、合わせるのだぞ」と、ボウルの中から、メレンゲの王様がえらそうに言います。とてもえらそうですけれど、「上手い、上手い」とか「うむ、素晴らしい!」とか、子供たちを褒めることも欠かさないのでした。



 充分に泡立ち、充分に甘くなりますと、あとはオーブンで焼くだけです。メレンゲを絞り袋に入れて、絞っていきます。

「そっと、な。そっとだぞ」

 メレンゲの王様が、絞り袋の中から指示を出します。

「品よく、高貴に、素敵に絞るのだぞ。間違っても乱暴に、ぎゅーっと絞ってはならぬ。メレンゲの、品格にかかわるからな」

「うるさいなあ」

 男の子は、メレンゲの王様のえらそうな態度にうんざりしているようです。メレンゲをひとつひとつ、きゅっ、きゅっ、と絞っていって、最後の最後だけ、わざとぎゅーっと絞りました。

「あっ! 無礼者!」

 王様は怒りましたが、しかしすぐに「だがこの姿も、野生的で、勇ましくて、恰好が良いな」などと言い出しました。メレンゲの王様は、いつでも自分が一番えらくて一番高貴だと思っていますので、ぎゅーっと絞られたくらいでは、全然まったくへこたれないのです。



 メレンゲクッキーが焼き上がるまで、ゆみこさんはいつものように靴下を編み、子供たちと雪雲さんは、リビングで隠れんぼをしました。子供たちが隠れて、雪雲さんが見付けるのです。

 雪雲さんは、ソファの上の毛布が不自然に膨らんでいても、カーテンの下から猫の尻尾が覗いていても、まずは何も見なかったふりをして、リビング中を探し回るのでした。

 メレンゲの王様は、どうやらオーブンの窓から隠れんぼの様子を見ているらしく、雪雲が子供たちの隠れ場所の近くを過ぎ去るたびに「ああー、惜しい」とか「もっと向こう側なのになあ」などと言うので、子供たちから大ヒンシュクを買いました。



 一時間とちょっと経ったころ、ようやくオーブンが、「できましたよ」の音を鳴らしました。メレンゲクッキーが、焼き上がったのです。

「うむ、素晴らしい出来である! 褒めてつかわす」

 王様も納得の出来栄えのようです。よかった。これで、雪雲さんにもクッキーをお出しすることが出来ます。ひとりだけ、お茶菓子なしでは、かなしいですから。

 ゆみこさんは、出来上がったメレンゲクッキーをひとつ、つまんで口に放り込みました。白くて、甘くて、優しい味がします。


「びみであろう。なんてったって、メレンゲクッキーなのだからな」

 オーブンの上に、ひとまわりもふたまわりも大きいメレンゲクッキーがあり、その大きなメレンゲが、えらそうに喋っています。さっき、男の子がぎゅーっと絞り出したメレンゲです。

「格好いいので、この姿でいることにした。少年よ、褒めてつかわす」

 男の子は、複雑そうな顔をして、何か言いたげに口をもごもご動かしましたが、結局「あっそう、よかったね」しか言いませんでした。みーちゃんが、男の子の隣で、くすくす笑います。

 野生的で勇ましくて格好いいメレンゲクッキーの頭には、メレンゲで出来た立派な王冠が、えらそうに、乗っかっているのでした。


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