12月2日【裸足のお手紙】


 籐のかごに、ほぐされた毛糸がクッションのように敷かれています。そしてその中で眠っているのは、子猫のような女の子のような生きものです。

 この子は昨日、ゆみこさんの前に現れました。そしてそのままどこに行くこともなく、今に至るまでぐっすり眠り続けているのです。


 でも、そろそろいい加減に目を覚まして、何か食べたほうが良いのじゃないかしら。ゆみこさんは心配になって、眠っているその子の頬っぺたを、人差し指でつんつん、つつきました。「おはよう」と呼びかけてもみましたけれど、女の子が起きる気配はありません。


 大丈夫かしら。無理にでも、起こした方が良いかしら。そうも思うのですが、けれど女の子の頬は健康的な薔薇色で、焼き立てのパンのようにふくふくです。呼吸も「すやすや」という表現がぴったりなほど安らかですし、何か美味しいものを食べている夢でも見ているのか、時おり小さなお口をもぐもぐさせて、微笑んでいます。


 大丈夫ね、きっと。

 それでゆみこさんは、今日も一日、眠っている女の子を眺めて過ごすことにしたのです。




 保温ポットの中に、沸かしたお湯。室内は石油ストーブに温められていますが、ゆみこさんはどうしても足の先が冷えますので、毛糸の靴下を二枚も重ねて履いています。これらはすべて、ゆみこさんが編んだ靴下です。


 ゆみこさんはたくさん、たくさんたくさん、靴下を編みます。

 ゆみこさんがこれまでに編んだ靴下の数といったら、この町に住む人たちひとりひとりに配っていっても余るくらいです。誰かにそれを指摘されたとき、それが褒め言葉であってもそうでなくても、ゆみこさんはたった一言「趣味なのよ」ととだけ言って笑います。


 でも実のところ趣味というよりは、これはもはや、ゆみこさんの「生態」と表現すべきなのです。だって少しでも時間が空きましたら、ゆみこさんは自分でも意識しないうちに毛糸と棒針を持ちだして、靴下を編み始めるのです。

 編み始めて、右足のぶんを編み終わるころになってようやく「あら、私、また靴下を編んでいるのね」と気が付くのです。

 靴下を編むという行動は、それくらい、ゆみこさんの体と心にしみついているのでした。



 今日もゆみこさんは、自分で編んだ靴下に足を温められながら、また新しい靴下を編みます。自分用の靴下は、もう溢れかえるほどありますから、ゆみこさんは子供用の小さな靴下を編むことにしました。


 毎年、ゆみこさんは子供用の靴下をたくさん編んで、クリスマスの前に、近所の教会に持って行くのです。そして教会の人に、寒い思いをしている子供や、寂しい思いをしている子供や、あるいは寒くなくとも寂しくなくとも、教会でお祈りをしにくる子供たちに、靴下を渡してもらうのです。


 子供たちが喧嘩をしないように、ゆみこさんは色んな色の、色んな模様の靴下を編みます。今日は、どういう靴下にしようかしら。

 ゆみこさんが青と黄色の毛糸を手に取ったとき、キンコーン。玄関のチャイムが鳴りました。


「はいはい、今行きますよ」

 何だか、昨日もこんなことがあったな。そう思いながら、ゆみこさんは立ち上がって、玄関の方へ向かいました。

 チェーンを外して、鍵を回します。カチャリ、とドアが開きました。


 ……誰もいません。昨日と同じです。そしてやっぱり昨日と同じように、玄関ポーチの上に、封筒が置いてあるのです。



 ゆみこさんは、昨日と同じようによっこいしょと封筒を拾い、リビングに持ち帰ります。

 明るい窓のそばで、しげしげと眺めます。紺色の、ざらざらした手触りの封筒です。赤い蝋で封がしてあります。封を開けたら、また空っぽでしょうか。そして空っぽかと思いきや、猫の女の子が眠っていたりするのでしょうか。


 ゆみこさんはどきどきしながら、封筒にペーパーナイフを当てました。こんなにどきどきするなんて、いつぶりでしょう。

 あんまりどきどきすると、体に悪いわ。もう歳なんだから。そんなふうに自分をいさめて、封を切ります。ゆみこさんの予想通り、封筒の中は空っぽでした。そして今度はどうやら、猫の女の子もいないようです。


 どきどきが急速にしぼんで、がっかりになっているのが分かりました。紺色の封筒をテーブルの上に置いて、ゆみこさんは突然、もしかしたらあの女の子も消えてしまっているのじゃないかと不安になりました。

 この封筒が空っぽだったように、昨日の真っ白な封筒も本当は空っぽで、私は夢を見ていただけなんじゃないかしら。そんなふうに考えますと、さっきのどきどきとは全く違う種類のどきどきが、ゆみこさんを急かします。

 ゆみこさんは慌てて、籐のかごを覗き込みました。小さな猫の女の子が、ちょうど寝返りを打つところでした。


 あ、よかった。ゆみこさんが胸をなでおろした、そのときです。



「寒い!」


 背後から大きな声がして、ゆみこさんは「ひゃあ!」と飛びあがりました。振り返りますと、いつの間に入ってきたのでしょう。小学校低学年くらいの男の子が、テーブルの前に立っているのです。


 男の子は紺色のダウンジャケットを着て、赤いマフラーを巻いています。けれど、とても寒そうです。がたがた震えて、頬も鼻先も真っ赤です。そしてゆみこさんを睨んで、まるでゆみこさんがこの寒さの元凶だとでも言いたげに、「寒い!」と大声で怒鳴るのです。


「まあ、あなたどこの子? どこから入ってきたの?」

「寒い! 寒い!」

 怒鳴り続ける男の子の、地団駄を踏むその足が裸足であることに、ゆみこさんは気が付きました。

 いくら暖かい格好をしていても、足元が裸足ではさぞ寒いことでしょう。男の子の足には霜が降り、可哀想に、完全に凍ってしまっているのです。


「あなた、これを履きなさい」

 ゆみこさんは男の子が気の毒になって、椅子に座らせて、一等厚手の靴下を差し出しました。そして、灯油ヒーターを男の子の近くに寄せてあげました。

 男の子は急に大人しくなって、「寒いよ」と訴えかけるように、ゆみこさんに言いました。ゆみこさんは保温ポットの中のお湯をマグカップに注ぎ、男の子に手渡しました。男の子は黙ってそれを受け取って、こくこく、喉を鳴らして飲み干します。



 もしかして、とゆみこさんは思います。この子も、封筒に入っていたのかしら。そうかもしれません。きっとそうです。

 そう思いますと、ゆみこさんは、一層この男の子が気の毒になりました。同じように封筒に入ってきた身でも、小さな猫の女の子は、あんなに幸せそうに眠っているのに。この子はどうして、こんなに寒そうにしているのかしら。


 ヒーターの前に座っても、ゆみこさんの靴下を履いても、湯気の立つお湯を飲んでも、男の子の足は凍ったままなのです。

 この子のために、もっとしてやれることはないかしら。ゆみこさんは考えて考えて、「お風呂を沸かすから、入ったら」と男の子に言いました。すると男の子は、「いらない」と断りました。そしてちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、笑ったのでした。


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