北風ゆうびん休憩所【アドベントカレンダー2023】

深見萩緒

12月1日【北風からの便り】


 今年の冬は、どうやらとても暖かいようです。それが良いことなのか悪いことなのか、ゆみこさんにはよく分かりません。冬はやっぱり、寒い方が良いと思うのです。

 けれど暖かな日が続くと、ゆみこさんの膝の痛みはほんの少しやわらぎますので、そういった意味では、暖かい方が良いのかも知れません。



 ピイーと薬缶がなりました。ゆみこさんは、よっこいしょと立ち上がって、コンロの火を止めに行きます。まったく、立つのも座るのも、ひと苦労です。


 コンロのつまみを回しますと、青く燃えていた火が消えて、薬缶の笛の音も小さく消えていきます。シュッシュッシュと吐き出される湯気の上に、ゆみこさんは手をかざしました。もちろん、熱くない程度に離れた場所に、です。

 湯気はゆみこさんの手を潤します。ゆみこさんのしわだらけの手は、ほんの少しだけ温まります。



 指先を充分に温めたあとで、ゆみこさんは、沸かしたお湯を保温ポットに注ぎました。こうしてお湯を溜めておいて、体が冷えないように、一日かけて少しずつ飲むのです。それが、ゆみこさんの冬の日課です。

「では、まず最初の一杯」

 ゆみこさんは呟いて、白いマグカップをお湯で満たしました。まだ飲むには熱すぎますので、冷まさなければいけません。


 毛糸で編んだコースターの上に、マグカップを置きます。椅子に座って目を閉じて、しばらく待ちます。しばらくというのは、ゆみこさんの足がむずむずしてくるまで。つまり、適当です。



 ゆみこさんはいつものように、お湯が冷めるのを待ちました。そうしますと、キンコーン。玄関のチャイムが鳴ったような気がしました。

 気のせいでしょうか。目を閉じていますと、昼間でもゆみこさんはうとうとしてしまいますから、もしかしたら夢だったのかもしれません。


 ですけれど、もし本当にお客さまが来ていたのなら、出て差し上げなくては気の毒です。例年より暖かいとはいえ、十二月の寒さは身に堪えます。訪問者は玄関の前で凍えながら、ゆみこさんが出てくるのを待っているでしょうから。


「はいはい、今行きますよ」

 ゆみこさんは立ち上がって、玄関の方へ向かいました。

 チェーンを外して、鍵を回します。カチャリ、とドアが開きました。


 ……誰もいません。


 やっぱり、さっきのチャイムの音は、空耳だったのかしら。ゆみこさんは「ああいやだ」と独り言ちました。耳が遠くなるのも御免ですが、空耳が増えるというのも困りものです。

 開け放たれた玄関ドアからは、乾いた北風がぴゅうぴゅう吹き込んできます。ゆみこさんは体をぶるっとふるわせて、ドアを閉めようとしました。



 その時、ゆみこさんは気が付いたのです。玄関ポーチに、白い封筒が落ちています。いえ、落ちているというよりは、きちんと玄関の方へ向けて、置いてあります。

 ゆみこさんはよっこらしょと腰を曲げて、封筒を拾いました。裏を見ても表を見ても、宛名も、送り主の名前もありません。


 ゆみこさんは封筒を持ったまま、温かな室内へ引っ込みました。そうして、灯油ヒーターの前の椅子に座って、考えます。果たしてこの封筒を、開けても良いものかしら。

 ゆみこさん宛ての手紙でないとしたら、勝手に開封するのは失礼というものです。だけど、家の玄関に置いてあったものだし。開けて確認するくらい、良いんじゃないかしら。


 ゆみこさんはテーブルの上のペン立てから、木製のペーパーナイフを手に取ります。そして思い切って、封筒の端をすすっと割きました。



 封筒の中は……空っぽ。紙切れ一枚、入っていません。なあんだ。ゆみこさんは拍子抜けして、封筒をテーブルの上に置こうとしました。

 その時、不思議に封筒が温かく感じたのです。

 枯れ葉を思わせる厚めの紙越しに、生きものを思わせる熱が、ゆみこさんの手のひらに伝わってきます。ゆみこさんは驚いて、もう一度、封筒の中を覗きこみます。


 はたしてそこにいたものは、小さな小さな子猫でした。


 ただの子猫にしては、ちょっとだけ不思議です。白いブラウスに赤い吊りスカートを身に着けていますし、それに、靴下に、靴も履いています。まるで、人間の女の子のように。でも、頭にはふわふわの耳がついていますし、スカートの裾からは尻尾が飛び出しています。


 子猫かしら、女の子かしら。いいえ、それよりも、どうして封筒の中にいるのでしょう。開封したときは、確かに空っぽだったのに。

 そもそも、

こんな生きものが入っていれば、封筒は大きく膨らんで、開ける前から何かが入っていると分かったはずです。


 だけど、それにしても、なんて可愛らしい生きものなんでしょう。



 ゆみこさんは、その小さな生きものを起こしてしまわないように、ましてや驚かせたり怖がらせたりしてしまわないように、そっとそおっと、手のひらに包み込みます。

 その生きものは、すうすうと、寝息を立てています。起きる気配は、一向にありません。


 ゆみこさんは、子猫だか女の子だか分からない彼女を、毛糸の束の上に寝かせました。色とりどりの毛糸はお布団のように温かくて柔らかく、彼女の眠りを妨げはしないでしょう。


 その安らかな寝顔を見つめたまま、ゆみこさんは椅子に深々と腰掛けて、お湯の入ったマグカップを手に取りました。今日は一日、ここで過ごそう。ゆみこさんはそう決めて、お湯をひとくち、いただきます。


 お湯はちょうどいい具合にぬるまっていて、ゆみこさんの体を、ほんの少しだけ温めました。



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