海岸で騎士様がガラスの骸を打ち倒して以降、ガラス玉が降ることもなければ、ガラスの化物が現れることもなくなり、町には平穏が取り戻されました。

 市場には活気が戻り、ガラス玉によって破損した建物などの修復も着々と進んでいるようです。


 ガラス玉が降らなくなってからまだそれほど経っていないのに、町の人々の多くは、あの災厄を遠い過去のことのように感じているようでした。

 もしかしたら、悪い夢でも見ていたのかもしれないと、そう思っている人も少なくないかもしれません。

 だけど、私はあの頃を、騎士様と共に過ごしたあの日々を忘れることなど絶対にできません。


 騎士様の命を閉じ込めたガラス玉は、七歳の誕生日に父がプレゼントしてくれたジュエリーボックスに閉まってあります。

 このジュエリーボックスは父が作ってくれたもので、所々に宝石のようなガラス細工やレースがあしらわれていて、ずっと眺めていられるほど美しく、その瀟洒しょうしゃなデザインには惚れ惚れとしてしまいます。


 ジュエリーボックスは寝室にある化粧台の引き出しに閉まっていますが、毎晩ベッドに横になる前に必ずガラス玉を取り出して、その耀きが褪せていないことを確認しなければ、落ち着いて眠ることもできません。

 ですが、騎士様の命を閉じ込めたガラス玉は、いつも美しく透き通った虹色の光を宿していました。きっとその光こそが、騎士様の命そのものなのだと思います。


 毎晩ベッドに腰かけて両手でガラス玉を抱き、その中にいるのでしょう、騎士様に向けて他愛のない話をします。

 騎士様はガラス玉の中にいても相変わらずで、なにか言葉を返してくれることはありませんが、それでも彼が私の話に耳を傾けてくれていることはわかります。

 私にはわかるのです。


 父はこの町で唯一のガラス工芸職人で、その腕前は王室にも認められるほど優れたものでしたが、恥ずかしながら娘の私は、父のような技術は何一つ持ち合わせていません。

 もちろん、父がガラス細工を作り上げる過程はいつも側で見ていましたから、手順は大体わかるのですが、実際に作ったことはほとんどないのです。


 作り方を教えてほしいと父に頼んだことは何度もあります。ですが、父はその度に厳格な表情で「だめだ」の一点張り。

 ガラス工芸は火傷などの危険を伴いますから、きっと幼い私が怪我をするのではないかと心配してそのように言ったのでしょう。

 それでも、騎士様の命を入れる為の身体と鎧は絶対に必要です。そしてそれは、父の娘である私にしか作れないものである筈です。



 隣国にガラス工芸職人の友人がいると、以前父から聞いたことがありました。父の書斎を探し回り、その方の住所が書かれた手帳を見つけ出せたことは、奇跡という他無いでしょう。

 私は身支度を済ませるとすぐに家を飛び出し、列車と船を乗り継いで行ったことのない隣国へと一人で向かいました。

 もちろん、騎士様のガラス玉は、鞄の中に丁重に閉まってあります。私たちは、如何なる時も離れないと誓ったのです。


 隣国の町並みは私が暮らす国と然程の違いはありませんが、目に映るもの全て、なんだか新鮮に感じます。

 この海辺の町に、父の友人が営む工房があるようです。私は父の手帳に記された住所と地図、町の人々の案内を頼りに、工房へと向かいました。


 陽の当たらない路地裏に、ひっそりとした店構えのガラス工房をようやく見つけることが出来ました。

 年季の入った木製の扉を叩き、中へ足を踏み入れると、薄暗い室内に目を見張るほどの色鮮やかなガラス細工がいくつも並んでいます。

 そのあまりの美しさに見惚れていると、店の奥から一匹の黒猫がのそのそとやって来て、「何かお探しかい?」という低い声が聞こえました。


 一瞬、この黒猫が喋ったのかと思い驚きましたが、よく見ると奥のカウンターに、お父さんと同じくらいの年齢の男性が座っていました。白髪に丸い眼鏡、どこかむすっとした表情で、怒っているのではないかと少し不安になります。


「あ、あの……すみません。私……」

 緊張して上手く言葉が組み立てられません。それでも、なんとか伝えたいことを伝えることが出来ました。

 その男性は少し驚いた様子で、私の顔をまじまじと見ました。


「そうか……あやつの娘とな。こんなに大きくなっていたとは驚いた。よし、いいだろう。だが、教えるからには厳しくいくぞ。簡単に逃げ出さないと約束できるか?」

 私は頷いた。

「もちろんです!私はどうしても、作らなければならないものがあるのです!」

 私がそう言うと、父の友人であり、今日から私の師匠でもあるその人は、優しい笑みを浮かべて頷いてくれました。

 なんだか少しお父さんに似ているような気がして、涙がこぼれそうになりました。


 それから三年間、私は工房に住み込みで働き、美しいガラス細工を生み出す為のあらゆる技術を教わりました。

 ここに来たばかりの頃に私が作った作品は、目も当てられないほど悲惨な出来のものばかりで、師匠の作品と並べて置くと、その不出来さがよりはっきりとわかりました。


 ですが、この三年間、毎日ガラス細工を作り続け、まだまだ師匠や父の作品には遥かに劣りますが、ようやく自分なりに納得のいくものを作ることが出来るようになってきました。

 この間も、毎晩眠る前には必ず騎士様のガラス玉を取り出して祈り続けました。

『どうか騎士様が帰って来てくれますように』と。




 私はおよそ三年振りに故郷へ帰りました。

 久々に帰って来る我が家の扉を開けると、三年間、誰も掃除をする人がいなかった為、家の中には埃っぽいにおいが立ち込めていて、中に入った瞬間、思わず噎せ返りました。


 ですが、テーブルや椅子、寝室にキッチン、それに父の愛した工房……全て変わらぬまま、静かに私の帰りを待ってくれていたようで嬉しくなりました。

 帰って早々、私は室内の大掃除に取り掛かりました。埃を掃き出し、窓ガラスを拭き、室内をピカピカに磨き上げました。

 

 掃除が終わってひと段落ついた後、私は早速、家の中にある父の工房へと向かい、騎士様の命の器となる身体と、鎧の製作作業に取り掛かりました。

 鎧と身体はとても大きなものである上に繊細で、作り上げるには相当の技術を強いられます。父や師匠のようなベテランの職人でも、容易ではないでしょう。

 幾度も失敗を重ねてその度に作り直し、丁寧に丁寧に、気の遠くなるような作業でしたが、納得のいくものが出来るまで、絶対に諦めませんでした。


 そして、それからまた三年が過ぎ、私は自分のガラス工房を持って生計を立てながら、ようやく騎士様の身体と鎧を完成させたのです!

 その身は丈夫で逞しく、鎧にあしらわれた彫刻は緻密で繊細ながら、荘厳で華やかです。透き通ったガラスは世界の全てを映し出し、眩く光り輝いています。


 私は鎧の前に立ち、騎士様の命を閉じ込めたガラス玉を、その胸の奥へそっと落とし込みました。

 その瞬間、騎士様の身体から虹色の光の螺旋が溢れ出し、宝石の粒子が舞い上がり、鮮やかな色彩が世界を包み込んだのです。

 そのあまりの眩さ、美しさを前にして立ち尽くし、気付いた時には涙が頬を伝っていました。

 涙を拭い顔を上げた時、私の傍には、ガラスの騎士が静かに佇んでいました。

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ガラスの騎士 白井なみ @swanboats

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