熾火

@Nico23

 隣で眠るこの人の寝顔を、いつでも眺められる関係でありたい。

 目元にかかる少し伸びた前髪をすくいあげると、眠っていた恋しい人は、くすぐったそうに目元を掻いた。

 起こすつもりではなかったけれど、ゆっくりと開きはじめた瞼を見て気持ちが高揚する。

 恋しい人が目覚めた時、一番初めにその瞳に映るのは何よりも自分でありたい。

 恋しい人は、いつものように顔を覗き込む私に向かって、寝起きの掠れた声で「おはよう」と言った。


 朝はいつも、身支度を済ませた後、二人揃って濃いめのブラックコーヒーを飲むのが日課だった。

 私がブレンドしたコーヒーを、恋しい人はいつも誉めてくれる。


「コーヒーは、やっぱり貴方が淹れてくれたものが一番美味しい」


 その一言に、私は今日もほだされる。


 飲み終わったカップを片付け、私が仕事のために家を出る用意をしていると、背後に気配を感じた。

 振り返って見た恋しい人の表情がいつもより心細げに見えて、思わず抱き締めていた。


 私より頭一つ低い相手の首元に、屈むようにして口付ける。背に遠慮がちに回された腕に少しだけ力がこもったのが伝わる。


 首筋から顎の下へとゆっくりと口付けを重ねていく。

 唇で頬に軽く触れて、目元から耳へとそっとなぞっていくと、恋しい人が小さく息を吐いた。

 鼻腔をくすぐる柔らかな香りに眩暈めまいがしそうになる。


 潤んだ瞳を見つめたまま唇に触れるだけのキスを落とすと、相手は私の背に回した腕に力を込めた。まるでそれが合図かのように、私達は幾度も深く口付ける。


 この想いは、まるで熾火おきびだ。

 心の奥深くで、芯が熱く赤く燃え続ける。

 けれどこの火が烈火になって、二人を一緒にどろどろに溶かしてくれたなら──







「今日も、仕事の後は泳いでくる?」


 恋しい人は仕事の後、プールに行って気分転換をするのが日課のようだった。

 暗く静かな夜、水に浮かぶ恋しい人のその美しい姿を想像して、身体の奥が鈍くうずく。

 けれども、今日の返答は違った。


「今日は、早く終われそうだから」


「だから、貴方の店でコーヒーが飲みたい」


 あの小さな喫茶店で、私は愛しい人の帰りを待つ。

 カウンター席は空けておく。





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