Ⅺ
俺はまた、件の屋上に立っていた。
冷たい風が、早すぎる秋の到来を知らせている。
「ここにいたんですか、探しましたよ」
いつもの先生がやって来た。探すも何も俺がここにいることはわかっていた筈なのに。
「どうしたんですか。検査は終わったはずですよ。それに、ここは立ち入り禁止だ」
「…今日はあなたに良い知らせを持ってきたんです」
少し言いたげな様子だったがすぐ飲み込んで先生は本題に入る。それは聞き逃せないワードだった。
「良い知らせ?」
「はい。あなたが仮退院の一人目に選ばれたんです」
仮退院。そう来たか。
「でも俺よりもっと模範的でよさげな人は他にもいるでしょう。何故俺が?」
「それは、普段の行いから外へ出でも普通の生活が送れると判断し、私が推薦しました」
その質問は想定済みだったのだろう。淀みなくスラスラと答えが紡がれる。
「へえ…そりゃあ高く買われたもんだ。……それとも同情かな?」
「そんなことありません!」
強い否定。まあそうだろう。同情なんてものは患者に一番向けてはいけない感情。
だが心の奥底から対等な感情を向けることは不可能だろう。それは理解している。
「先生。先生は将来の夢ってありました?」
唐突な質問に少しは面食らった様だったが、すぐに少し考える素振りを見せた。
「私は…医者、でしたね。命を救うという行為そのものに凄く惹かれていたのを覚えています」
「へえ夢かなってるじゃん」
「………」
なんでこんな質問をしたのか疑問に感じてる風だ。
「俺には夢が無かった。
一年前の事が無くたって、俺は空っぽだったんだ」
先生は黙って聞いている。俺は言葉を続ける。
「俺は
そんな俺にとって一年前は転機だった。
自らの意思で成し遂げたいことを見つけた。………そして、その目標は遂には達成されなかった。
そのせいで俺は空っぽになったと思っていた。
けれどそうじゃ無かった。
俺は元から空っぽだった。
だから、辛いとわかっていてもあの日の記憶を繰り返す。
空っぽだから言葉一つに縛られる。
気づいたんだ。アイツのお陰で」
脳裏には常に前を向く少女の声が。
アイツと出会って俺は自らの虚空に気が付いた。
記憶が無くてもアイツは満ち足りていた。
記憶があっても俺は空っぽだった。
「だから、俺はここでいい」
屋上の柵を背に先生に向き直る。
「いいって、何を……」
先生は困惑している。無理もない。
だが、救う命は選んだほうがいい。手が届くのは無限じゃないから。
「人が死んでも記憶は残る。記憶があれば其処にあり続ける。
でも俺は記憶を繋ぐことも、未来を望むことも、この先の未来を見ることも出来ない。
…だから、ここでいい」
アイツらには少し申し訳ないとは思う。でもアイツらのおかげで人としていられた。
本当に感謝している。
「………!まさか!やめなさい!」
先生がこちらに向かってくる。…この先生にも迷惑をかけた。
この人は良い人だ。早くこんな人間共とは縁を切ってちゃんと幸せになってほしい。
ああ、そうだ。
俺はあまりにも周りに恵まれていた。
それ故に罪深い。
俺は背中の柵を乗り越え、
そのまま空に身を任せた。
—――END
ルークサナトリウム 向井 光輝 @Kohki59
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