第44話 揺らぐ鏡面(肆)
崩れ落ちるアウスの姿に、サクルは茫然とした。その寸前まで彼を抱えていたカリーマは唖然と己の手を見ていた。彼女に抱えていたアウスは突として意識を取り戻し、ミシュアルが密かに持つ己の短剣に心付いたのだ。
其処からはすべてが一瞬であった。ミシュアルが
アウスの血がべっとりと付いた己の手を見て、ミシュアルは絶叫した。既にアウスの意識はなく、揺さぶっても多量の血が抉られた傷から溢れ出るのみ。
サクルはよろけながらもアウスへ寄り、己と同じ顔を蒼白にした弟を見た。突然のことに、聲すら出ない。医官がようやく駆け寄ったがその血は止まらず、数分後には医官が手を止めた。
医官のそばに横たえられたアウスの胸元は
「アウス……?」
返事はない。そっとアウスの頬へ手を伸ばして触れると、既に冷たくなり始めていた。するとサクルのかたわらに
「悪かった。こちらの不手際に巻き込んだ」
「は?ジャウハラの自業自得でしょう」
とすかさず
「ヤト!」
その聲の激しさに
「御前は救ってもらったんだからつべこべ云うな。成り立てといえ、守り手の癖に無用に突っ込んで来たのは何処の誰だ?」
「……すみません」
「どいて」
「ライラ?」
サクルが
「悪いね。知ってたと思うけどそれは偽名。まあ、好きな方で呼んで。ライラでもシハーブでも、セイでも」
「未だ形を失ってないから間に合うな」
「何を……?」
サクルは貌を顰めた。
(そういえば
アウスは白鏡だ。その「濃い血」に彼の血も含まれているのではなかろうか。サクルは我に返り、急いで彼女の手を拭おうとしたが、
「あんた、
「
「
「あれが、虚ろ狼……。何故、急にあれが出たんだ」
虚ろ狼は白星の光が弱まった場所に現れるとされている。故に昊から離れた場所にごく稀に現れると謂われている。奥まった場所や日の短い北など。だが此処は昊に近い宮殿。しかも南に位置する。
「泉があるだろ。ああいう、昊を映すものはジャウハラのように形を持つ世界と私たち
「……混ざった?」
「
「根本?」
「次から次へと聞くなあ。まあ魂……心の奥底とでも思ってくれ。生まれながらに持っている知識とかあるだろ?人間はあんまりねえみたいだけど、そういう所謂「本能」ってのはこの根っこに繋がった処から獲得してんだ」
獣の母親は教えられなくとも仔の育て方を知り、鳥の仔は教えられなくとも生まれた場所へと戻ってゆく。恐れも悲しみも成長とともに己で獲得してゆく。だが、その一部は生まれながらに有している。それはすべての
「兎に角。普段は白鏡の血で歪みを正しているのに、今回は弱った血を捧げて歪みが戻らない状態で水面を乱した。御前の弟が落っこちたろう?本当は体調悪いやつがやるべきことじゃあない。こういう事故が起きてるからね」
「アウスが……?」
サクルは眼を見開いた。そもそも、アウスが何故、白鏡の装いをしているのかも知らないのだ。
「なんだ、代行してるの知らなかったのか。まあ、指し詰め病のあんたの代わりをしようとしたんだろーな」
すると、
「まあ起きちまったものは嘆いても仕方ない。ここから先は御前が選べ」
「何を?」
サクルは左の金剛石を大きく揺らして
「弟の運命をだ」
その少女の聲は冷たく、鋭い刃のようであった。サクルはごくり、と固唾を飲み、冷たい汗が額を伝った。
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