第40話 夜の輝き(参)


 とうとう祭りも最終の日となっていた。気が付けば三日目もライラと外壁に登っていたが、流石に四日目の今日はそうはいかない。

 己の室で、大人しくサクルは着物を着せられていた。常と異なり、細やかな白銀の刺繍の施された白い衣を着せられ、胸元や耳元、足首や手首には金剛石の飾りを施されてある。顔の右半分を隠す白布や長い砂色の髪にも宝石は留められ、即位の儀式を想起させるほどの重量のある衣装である。

 サクルの着付けを行っていたアウスが手を止めると、ふとアウスが口を開いた。

「そういえば、兄上」

「なんだ?これ以上飾り付けると云われたら泣くぞ」

「はは、それはそれで面白いけど、違うよ――昨日まで何をしていたんだ?毎日毎日こっそり抜け出して」

 アウスの問いに、サクルは語を詰まらせた。真逆、見知らぬ女と外壁によじ登っていたなどと応えられる筈がない。サクルが左の白銀を泳がせると、アウスはじろりとサクルを見た。今は他の宮女を下がらせているゆえ、眼を覆っていないのだ。

 何処からどう見ても不審な兄に、アウスは詰め寄った。

「祭り初日から、様子が可怪しくないか?」

「そうか?」

「元々、忍びで外へ出ることは反対していたじゃないか」

 忍びで出掛けようと云い出したのはドゥリーヤである。当初、サクルは猛反対をしたのだ。うっかり正体がばれでもしたら大騒ぎになると。故に二日目からサクルひとりで出掛けているのに対して不審に思うのも無理はない。

 サクルが貌を引き攣らせながらも黙していると、アウスは嘆息を溢してサクルから離れた。サクルが安堵で胸を撫で下ろしていると、アウスも己の身形を整え始める。

 側付きは華美な装いはしないものの、表に出る故それなりの格好をするのだ。質素な白装束を纏い、腰元に湾刀を携えている。湾刀の柄と鞘は細工の凝っており、虹鷹と星の紋様が彫り込まれている。サクルと同じ長い髪を結わえて下ろし、眼に白布を巻くと、サクルへ貌を向けた。

「深くは聞かないが、あまり危険なことはしてくれるなよ」

理解わかっているさ」

 サクルが応じると、アウスは取り敢えず納得したのか戸の方へ歩行き寄って聲を鳴らした。

「じゃあ、行こうか」

 アウスと共に本茶を出て石壇の前へ行くと、夜の帳の下ろされた昊の下、既に三珠たちは待ち構えていた。各々は青、赤、緑の衣に瑠璃や紅玉、翡翠で彩っている。サクルがそばへ寄ると、カリーマがにやりと笑って云った。

「ようやく主役のお出ましだ」

「主役?それはみなではないのか?」

 サクルは貌を顰めながらも彼等に寄る。アウスは後ろに控えるのみゆえ、他の付き人たちの元へ混ざって行った。サクルが困り顔をしていると、カリーマは強くサクルの背を叩いて語を加える。

「何云ってるんだい。民は美男子な白鏡に浮かれて待ち焦がれているに決まっているだろう」

「び……」

「はあ、悔しいがそなたら兄弟、貌だけはいいからなあ」

 とドゥリーヤ。白布で目元を覆って隠している故、誰にも気付かれることはないが、無論、サクルが美男子なのだから、同じ顔をしているアウスも美男子なのである。悪態付くドゥリーヤにサクルは反応に困り、助け舟をミシュアルへ求めるが、ミシュアルも長い前髪の向こうで苦笑いを浮かべてドゥリーヤに同意した。

「それは、私も思いました……絵師が描きごたえがあると浮足立つのも解せます」

 サクルたちは祭りの後、絵師に寄って肖像の絵を描かれる予定なのだ。砂の王国に偶像の崇拝はない。ジャウハラの崇めるのはあくまで昊の白星と虹鷹。あれらがジャウハラを象ったのであり、それをジャウハラごときが正しく模せる筈がない。故に「ジャウハラである」ことを示すために描いたとしても、その歪な模倣像を崇めることはないのだ。

 されどジャウハラは形を残すことへ並々ならぬ拘りを有する。白星と虹鷹に象られた「現在いま」を残すことを好む。それは宮の人人も同様で、故に、白鏡や三珠のうちのひとりでも交代すれば必ず、その都度絵に残す慣わしがあるのだ。

 サクルは嘆息を溢すと

「貌の良し悪しなど、私達には無意味だろう」

 と語を落として、石段を下り始めた。三珠も同様に彼へ続き、四者は徐々ゆっくりと長い長い石段を歩行き、階下に待つ無数の人人の元へ向かった。

 階下は既に赤銅の男女で満ちていた。砂色の眼を輝かせ、今か今かと長い石階段を臨んでいたのだ。彼等はサクルたちの姿を認めるや歓喜して、「昊の白星に万歳」、「虹鷹の雨に万歳」と聲高に叫んでいる。

 サクルは貌が引き攣らぬよう、努めて微笑んだ。ドゥリーヤも三珠として貌を出すのは初めて故か、サクル同様に貌を強張らせている。ミシュアルに至っては前髪で貌を隠していることを良いことに、思い切り貌を固まらせていた。詰まりは、熟れているのはカリーマだけなのである。

 サクルはドゥリーヤにのみ聞こえる聲で語を落とした。

「今まで、見ている方だったけれど。結構熱量あるんだな」

「そうだな」

 と同意したドゥリーヤも額に冷たい汗を伝わられている。初々しい彼等を可笑しく思ったのか、カリーマが密かに笑った。

 ふと、サクルは人波から外れた路端へ目を留めた。それは何となしにだ。だが、サクルは緊張も忘れて、左の金剛石を見開いた。

(ライラ……?)

 歓喜する人人から外れて、ふたりの人影があった。片方は見知らぬ男だ。否、女かもしれぬ。年齢としも感じさせぬ長駆の者だ。項で癖のない長い髪を束ねて垂らしおり、細長く鋭い眼でサクルたちを見据えている。

 そのかたわらに、ライラの姿があった。出逢った時のような妖しい笑みはなく、その大きな眼を前方にあるサクルたちへ向けている。緩やかに波打つ長い髪を風に靡かせている。

 不意にライラの愛らしい眼と視線があった。ライラは眼を徐々ゆっくり瞬かせると、あの妖しい笑みを溢した。そして口の形のみで「またな」と見せ、ひらりと手を振った。まるでもう、この街を離れるような素振りだ。ライラが連れの者と踵を返そうとするのを認めるや、サクルは意図せず小さく聲を上げていた。

「ライラ……!」

「如何したんです?」

 偶然に聲を捉えたミシュアルが首を傾いだ。我に返ったサクルは口を噤み、ミシュアルやその横にあるドゥリーヤ、カリーマの怪訝そうな貌を見た。さらに後方では、控えていた付き人たちの中で、アウスが白布の奥で眉根を寄せている。

 サクルは「何でもない」とミシュアルへ返して、ふたたびライラのいた一角を見た。されど、彼女たちの姿は既に薄闇の中へと失せられていた。

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