第39話 夜の輝き(弐)
その翌日、何となしにサクルはまた忍びで街へ出た。ライラに逢えるとも限らぬが、昨晩に中途半端な別れをして
真昼の大通りもまた、賑やかである。四色に彩った屋台の周囲には児を連れた
いやに騒がしくなっており、何事かと思えば賭け事をしている者たちがある。腕の力比べで、敗者が勝者に酒を奢るというよくあるものだ。だが問題は其処ではない。その中に旅装束を纏った少女――ライラが混ざり、酒を仰っているのだ。今日は髪を結っているらしい。頭頂で束ね、馬の尾のように垂らしている。
(ん……?)
サクルは目を疑った。よくよく視れば、彼女のそばには既に幾つものの空の杯が積み上げられ、彼女が片端から勝利していることを物語っている。だがそれ以前に、昼間から飲み過ぎである。
(昼間っから飲んだくれて、仕方のない女だな)
サクルは頭を抱えると、ライラの肩を叩いて心付かせた。振り返ったライラは大きな眼をきょときょとさせてサクルを認めると、にやりと妖しく嗤った。
「お、おにーさんじゃん。奇遇だね」
「ライラ。そのお兄さんというのは止してくれ」
「はは、じゃあサクルの旦那?」
「サクルで」
「じゃあサクル」
ようやくまともな呼び名にすると、ライラは腕試しをしていた者たちから離れた。男たちは「また今度勝負しろ」等と悔しげに聲を鳴らしている。小柄な女に力比べで負けては男の名が廃るというものだろう。呆れ半分にサクルは嘆息を溢して云った。
「強いのだな」
「まあねえ。サクルもやってみる?」
とライラは靭やかな腕に力瘤を作って見せる。青珠のカリーマといい、女は思った以上に強いものだ。サクルは乾いた笑いを溢して返す。
「遠慮する。腕をへし折られでもしたら、困る」
「負けるのは認めるわけね」
「意地を張っても仕方のないことだろう」
「気持ちの良いくらいに潔い奴だなあ」
サクルは決して貧弱ではないが、戦士のように屈強というわけでもない。サクルはこれでもジャウハラでも指折りの家門
ライラは腕を下ろすと前を歩行き始め、ぼんやりとした口調で続けた。
「ま、あの弟くんにばれたら面倒そうだから私も遠慮しておこう」
弟くん、とはアウスのことであろう。昨晩アウスが直接サクルを「兄上」と呼んでいた故、いやでも兄弟関係の者と感付かれる。サクルは頬を掻きながら、
「昨日は済まなかった。ろくに言葉もなく」
とライラへ言葉を掛けた。ライラは頭のみをサクルへ向けると、飄々と嗤って返す。
「先にとんずらこいたの私だから気にしなさんなって。連れ見付かって良かったじゃん。今日はひとり?」
「あ――、うん。こっそりと出てきた」
「悪い子だ」
にやりとライラが嗤うと、サクルは「ははは」と乾いた笑いを落とした。今朝方勤めを終えた後、文を残して密かにサクルは宮を出た。今回はアウスにも事前に知らせておらず、今頃血眼になってサクルを探し回っているかもしれない。
ふとライラは立ち止まると、くるりとサクルの方へ振り返って云った。
「じゃあ、いいところへ行こうか」
「いいところ?」
「まあ付いて来なって。怪しい場所じゃあないよ」
ならば怪しい場所とはいったい何だと問いたいところだが、サクルは黙してライラへ誘われることにした。ライラは人並みに逆らって通りを北に進み、途中西の路地へ這入った。安宿の集まる住区である。小ぢんまりとした日乾煉瓦造りの家屋が点々とあり、粗末な旅装束を纏った
ライラはその中をさらに進んだ。段々に人気が無くなり、サクルは貌を引き攣らせた。
「おい……何処まで行く気だ?」
「まあまあ。ヤバいな、て思ったら引き返してくれていいけど……もう目的地だ」
ライラが立ち止まったのは都を囲う外壁の前だった。煉瓦造りで、処々ひび割れている。ライラはそのひび割れに足をかけると、軽々とよじ登り始める。無論、やっていいことではない。サクルは白銀を据わらせると、低く聲を掛けた。
「……おい」
「外に出なきゃだいじょーぶだって。ほら、サクルも来なよ」
サクルは無論のこと、屈強な大男すら見上げる外壁の上から、ライラは手を振って見せている。サクルは渋々と割れ目に手や足を掛け、用心しながら登り、ようやく頂点に辿り着いた頃には汗だくであった。サクルは外壁の上で膝を付くと思わず荒げた聲を鳴らした。
「御前……よくこんなの登れるな!」
「ははは、そういうあんたも登りきったじゃん。お疲れさん」
「……木登りはよくやったんだ」
サクルは嘆息を付くと、頭布を下ろした。この様な処で己を見ているのは昊の白星か、隣にあるライラくらいである。
「へえ、木登りねえ。思いの外やんちゃだね」
「弟と遊ぶとき、追い詰められたら取り敢えず上へ逃げていたものでな……」
自嘲気味にサクルが嘆息すると、ライラはげらげらと肚を抱えて嗤った。
「ははは!そりゃあ面白い」
「嗤え嗤え。どうせ私は頭が悪いから、隠れん坊などしたら直ぐに弟に見付かったんだ」
「でも上に逃げたってことは、弟は上へ登れなかったのか」
「身體を操るのは私のほうが得意だったんだ。人付き合いや学問に関しては、弟のほうが優れているがな」
サクルはふと即位の儀式の時の記憶を蘇らせ、貌を曇らせた。緑珠の弟が吐き捨てた「情けない王様」。サクルは敢えて意識しないようにはしているが、そのことをよく解していた。どんなに身體が機敏に操れても、戦士ではない白鏡に求められているものでない。
矢庭に、ライラがサクルの背を強く叩いた。
「おい、何するんだ」
ライラは軽い口調で「悪い悪い」と返すと、ついと視線を上げた。
「いいじゃん、それなら何時でもこの景色が見られる」
サクルもライラの視線を追った。その際に強い風が吹き付けて、一瞬サクルは左の白銀を閉じた。ふたたび眼を開いた時、サクルはその絶景に息を呑んだ。
それは群青の下に浮かぶ、壮大で豊かな街並みである。砂色の大きな街を南北にガイム河が貫き、その周囲を溢れかえる砂色の人人が往来している。椰子や睡蓮の花々が彩りを添えており、平穏を謳歌しているようだ。
ライラは緩やかに波打つ馬の尾を風に靡かせながら、やんわりと微笑を見せた。
「あんたは、あれらを守るためにあるんだろう。街が豊かなのはさ。弟がどうあれ、取り敢えず今のあんたがあるからじゃないの?それだけでいーじゃん」
我知らず、左の金剛石より一筋の涙がこぼれ落ちていた。サクルはその美しい光景を目に焼き付けながら、聲を忍ばせて泣いた。
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