第38話 夜の輝き(壱)


 サクルが白鏡になって、初めての建国祭が始まった。街は白や青、赤、緑に染めた塗料で染め上げた布や板で飾り付け、街全体で昊を模す。赤銅の肌に砂色の髪や眼を有する人人は活気の中にあった。大広間では手脚に鈴をつけた踊り子たちが肌の見せた衣装を纏って、しゃらしゃらと音を立てながら舞う。その周囲では酒を飲み交わし、常の平穏を謳歌する。

 市場を行き交う男女おとこおんなたちは物々を交換しあいながら楽しげに言葉を交わした。

「最終の日に、新しく就いた白鏡様たちが外へ貌を出されるのだろう?」

「無論、見に行くさ。今代は何ともお美しい男の方らしいじゃあないか!」

「今年はすべてのぎょく様が付き添われるのだとか。丁度、赤珠せきじゅ様も代替りなさったばかりだし、楽しみだなあ」

「あれ?緑珠りょくじゅ様ってどなただ?」

 騒々と白鏡や三珠の話で会話を弾ませる者たちの間を、サクルは歩行いていた。無論、貌は隠している。かたわらにはアウスとドゥリーヤもあり、ようはお忍びの見物である。

 サクルは初めて白鏡として歩行く街中に、妙な緊張を感じていた。深く頭布を被って白銀の眼を隠してあるが、若し見付かったら如何ほどの騒ぎとなるのだろうか。白鏡はジャウハラにとって神に等しい。それ相応の騒ぎは覚悟せねばならない。サクルは不審な挙動をしながらも忍び聲を鳴らした。

「アウス、矢張り帰らないか?」

 だが、返事はない。我に返って周囲を見渡すと、アウスとドゥリーヤの姿がない。うっかりはぐれたらしい。サクルは青褪め、頭布を手で抑えながら一心に彼等を探しながらうろうろと彷徨った。

「アウス、ドゥリーヤ、何処だ?」

 あまりの人数ひとかずに、進もうにも逆に押し戻される。小柄であるゆえ一層視界が悪く、行方がまったく視えない。

 すると矢庭に、肩にどんと何者かが当たり、サクルは均衡バランスを崩し、頓狂な聲を上げた。

「わっ」

「うわっ」

 重ねて少女のような聲が鳴らされる。気が付けば、サクルは転倒して仆れ込んでいた。サクルは呻きながらも起き上がり下へ視線を向けると、ようやく己が少女の上に被さっていることに心付いた。

 緩かに波打つ長く豊かな髪を有する、愛らしい顔立ちをした少女である。旅装束を纏っており、年齢よわいはおそらく、サクルと同年か下。大きな眼をきょときょとさせてサクルを見上げ、視線を下げた。サクルもその視線を追うと己の手は慎ましやかな彼女の胸元を押さえていた。

 サクルは赤面し、我に返って手を上げて後ろへ退いた。

「う、うわっ。すまない!」

 少女もようやく身體を起こすと少女はにやりと嗤ってみせた。

「気にしてないよ。それよりおにーさんこそ、平気?」

「あ、あゝ。済まなかったな」

 サクルは立ち上がると彼女へ手を差し伸べた。少女は短く「ありがと」と返すと手を取り、ひょいと立ち上がる。上背はサクルと同じぐらい。砂色の着物ワンピースから靭やかな手脚を生やしている。

 少女はきょろきょろと周囲を見渡すと、深々と嘆息を付いて貌に垂れる髪を掻き上げる。

「参ったなあ」

「如何したんだ?」

 サクルが小首を傾ぐと、少女はにやりと嗤って肩を竦めて見せた。

「まあ、所謂迷子さ。連れがいたんだが、うっかり」

「私もだな」

「なあんだ。おにーさんも。仲間じゃん」

 からからと少女は笑った。品があるとは言えぬ笑い方だが、白い歯の眩しい笑みである。少女はううん、と大きく背伸びをすると、やおらサクルへ向き直った。

「私は……そうだな。ライラと呼んでくれ。あんたは?」

 その名乗り方は明らかに偽名である。サクルが貌を引き攣らせていると、ライラと名乗る少女は「ん?」と云って名乗るのを促している。サクルはたじろぎながらも名乗った。

「サクルだ」

 サクルの名は特段珍しいものではない。故に名乗った処で不都合があるわけでもない。ライラは「サクルね」と復唱すると、矢庭にサクルの腕を引き寄せて尋ねた。

「そうか。急ぎの用事ようはある?」

いや……」

「いっそ、迷子を愉しもうじゃないか」

「は?」

「だって、折角の祭りだぜ?あたふたしてるより、思いっきり愉しみたくないか?」

 無論、本来は断るところであろう。小柄で年若い女と言えど、身元も定かでない者へひょいひょい付いて行くなど愚かである。たが「いっそ愉しもう」という彼女の考えに、サクルは惹かれ、何と無しに付いて行ってみたい気分になった。

 サクルが小さく頭を縦に振ると、ライラは嬉しげに笑った。その眩しい笑顔が一層、ライラへの興味を掻き立てる。ライラはサクルの腕を引きながら、ぶらぶらと歩行きながら、気儘な様子で聲を鳴らす。

「私はこの街に来たばかりでさ。祭りの日は色んな喰い物があるし、実にいい」

 ライラの聲は女にしてはやや低めで、耳あたりの良い音をしていた。妖しさを含む笑顔を常に浮かべ、美しい宝石や反物を見掛ける都度足を留め、肉や果物の屋台を見る都度立ち寄る。

 サクルは彼方此方あちこち道草を食うライラに、絶句する。ようやくサクルの元へライラが戻ると、サクルは貌を引き攣らせながら尋ねた。

「忙しないな……そんなに愉しいか?」

「美しいもんと美味いもんは生き甲斐だろーが」

 胸を張ってきっぱりと云い切るライラ。威張るようなことなのか、とサクルは頭布の向こうで半眼にしていると、ずいとライラが寄りにやりと嗤う。

「おにーさんも綺麗な貌してるから見応えあんよ?」

 サクルは左の白銀を見開き、慌てて頭布を深く被った。ライラはにやにやと嗤いながら、唇に指を当てて見せる。どうやら気付いていたにも関わらず、黙していてくれたらしい。サクルは冷たい汗を額に伝わらすと低く聲を鳴らした。

「気付いていたなら、それらしい反応を少しは見せてくれてもよいものを」

 ライラはからからと嗤うと、ひょいとまたサクルから離れ、果物屋の前に立ち止まる。祭りのために取り寄せたと思われる、珍しい果実が多々並べられている。中には、乾燥椰子デーツのような歩行きながらつまめるようなものも並べられてある。

 店主の男がライラに心付くと、並びの悪い歯を見せて笑いながら聲を掛けた。

「其処のお嬢ちゃん、乾燥椰子デーツは如何だい?」

 ライラは店主の指し示した乾燥椰子デーツを見ると、舌舐めずりをして「美味そうだな」と呟く。サクルは嘆息を溢すと、彼女の横に並んで店主へ銭を差し出した。

「ふたり分頼む」

「へい!まいどあり!」

 サクルの行動を以外に思ったらしい。ライラは大きな眼をきょときょとさせて、サクルをじっと見ている。サクルがずいとライラへ乾燥椰子デーツの入った小さな麻袋を押し付けると、ライラはやや間の抜けた聲を鳴らした。

「え、いいのか?」

「黙ってくれていた礼だ」

「口止め料?ウケる」

 にやりとライラが嗤うと、サクルはむっとして乾燥椰子デーツを取り上げた。

「妙なことを云うな」

「冗談だよ、おにーさん。悪かったってえ」

 からからとライラが笑い飛ばすと、サクルはまた嘆息して乾燥椰子デーツを返した。だがそれと同時に、後方よりドゥリーヤの聲が鳴らされた。

「あ、サクルいた!」

 振り返れば、必死に探し回っていたのであろう。全身汗だくのアウスとドゥリーヤがいる。両人は息を切らせながらサクルへ駆け寄ると、アウスがサクルの腕を掴んで疲弊つかれた聲を落とす。

「兄上無事でよかった……急に何処かへ行くから」

「すまない。ええと……」

 サクルが振り返ってライラへ聲を掛けようとした。だが、其処にはライラの姿は最早もう失せられていた。

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