第37話 異端の王(参)
緑の宮は、本宮から南西にあり白の宮の向かいにある。石造りの壁には緑地の星紋様が描かれ、緑に染められた柱が連なっている。其処へ行き交う宮女の姿は少なく疎ら。
サクルは緑に染められた戸の前に立ち止まると、静かに聲を鳴らした。
「ミシュアル殿はあるだろうか」
やや間を置いて、僅かに戸が開けられた。貌を覗かせたのは先程の若者だ。長い前髪で貌を隠しておる故表情は定かではないが、明らさまに厭々な様子で吐き捨てるように云った。
「何用ですか」
「え、えと……」
サクルは思わず聲を上擦らせ、口をもごもごさせる。その後方でそれを察したのか、アウスがそっと語を添えた。
「緑珠様にご挨拶したく。ご不在でしょうか?」
「……
「良かった。式ではあまり挨拶らしい挨拶もできず、白鏡様が気にしていらしたので。お目通り叶いますか?」
若者は渋々と戸を開け、路を開けた。サクルは手を合わせて「失礼」と一礼すると、
室内はサクルの白い室と異なり、緑に染め上げられている。深い緑の布で石壁を彩り、寝具も絨毯も緑。だが、物は少なく、花も生けられていなかった。室の主人は慌てた様子で膝を付いて平伏していた。弟同様に、前髪で貌を隠しているが、その隙間から除かれるのは鮮やかな翡翠。彼が緑珠である証だ。
ミシュアルは深々と頭を垂れたまま僅かに震えた聲を鳴らす。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません……お……私のような下賎のものに何用でございましょうか」
サクルはあたふたとしながらミシュアルのそばへ駆け寄り、視線を合わせようと膝を付いて云った。
「そこまで畏まらなくてよい。下賎もなにも、そなたも緑珠。私達は対等だ」
「そのようなお言葉、勿体のうございます」
中々にミシュアルは面を上げようとせず、サクルは途方に暮れる。後方に控えていたアウスはミシュアルの弟へ寄り忍び聲で尋ねた。
「宮女を下げて貰えるだろうか」
「はい?何故」
「私の主があまり聞かれたくない話をしたそうなので」
ミシュアルの弟は前髪の下で貌を顰めた。白布で視界を閉ざしているのにそのようなことよく解せるものだ。アウスが深々と頭を垂れると渋々と若者は従い、室の掃除をしていた宮女たちを
サクルも室内から宮女たちがいなくなったのを認めると、そっとミシュアルの肩を優しく叩いた。
「実はそなたに打ち明けたいことがあって私どもは訪ねたのだ。――その、私もあまり家門に好かれている立場ではないのだ」
「白鏡様が?」
ようやくミシュアルが面を上げた。前髪の奥で翡翠を瞬かせている。サクルは頭を縦に振ると、己の右半分を覆う白布を解いた。それと同時にアウスも目を覆う白布を下ろし、
「片目ずつ……?」
「緑珠様、私たちも「異端」なんですよ」
応じたのはアウスだ。サクルと同じ形の眼を優しく細めて微笑みかけている。ミシュアルの怯えたように震える手にそっと手を重ねると、穏やかな口調で続ける。
「私たちは双生児です。そして兄と私は共に白鏡たる金剛石をひとつずつ受け継ぎました。――緑珠様もご存知でしょう?宮の者らが異例を忌み嫌うのを。私たちは確かに
ミシュアルは翡翠に涙を浮かべて、ただひたすらに頭を縦に振った。狭い宮殿の中で数年間唯一の異端として暮らしていた彼には、数多くの苦労があったのだろう。嗚咽を漏らすのを堪えながら、鼻聲になりながらも応じる。
「も、勿論。私なんかでよければ」
アウスはそっとミシュアルから手を離すと、サクルの背を叩いて、ミシュアルを宥めるように促す。それを遠目に見ていたミシュアルの弟は貌を引き攣らせ、低く語を落とした。
「……弟に手取り足取りとか、情けない王様」
「こ、こら!」
弟の不躾な物言いにミシュアルは慌てふためき、サクルの前で床に額を擦り付ける。
「申し訳ない。私の弟は何と言うか、礼儀がなっておらず」
「
サクルは苦笑いを浮かべながら、ミシュアルの肩を掴んで身體を起こさせた。サクルは努めて微笑を浮かべてミシュアルを宥め、ようやく彼を立ち上がらせた。
未だ成長途中のサクルやアウスと並ぶと、ミシュアルは猫背ではあるもののひょろりと上背がある。サクルはミシュアルを見上げながら聲を明るくして云う。
「兄思いの、良い弟さんですね」
「はい……私たちはふたりきりの貧しい兄弟ですから。尚更、弟は気の張っているのでしょう」
ミシュアルは苦笑いをすると、気恥ずかしく思ったのか弟はついと貌を背けた。サクルは苦笑すると、静かに語を落とした。
「はは……私も弟には気を張らせてばかりだな」
「私は兄のためにあるのだと、思っております。だから、後悔などありませんよ」
きっぱりと云い切るアウスに、サクルは乾いた笑いを溢した。ミシュアルは同じ顔をした兄弟を暫し見比べると、ふと前髪の下で貌を綻ばせた。
「矢張り、気の許せる者がそばにあるというのは嬉しいですよね。弟には感謝しかありません」
サクルは一瞬、貌を引き攣らせた。されどすぐに口端を持ち上げて、笑みを絶やさぬようにした。アウスはその貌を見て眉を顰めるが、サクルは彼が問う前に聲を鳴らした。
「私もだ。私たちは気が合いそうだ。是非、今度は共に茶でも飲もう」
その後、サクルとアウスはミシュアルの室を出た。外で待たせていたカリーマやドゥリーヤと共にまた宮殿を見て廻り、その都度出逢った高官に挨拶をして廻った。
ふと、サクルは昊を見上げて足を止めた。群青の昊の上を虹鷹が翼を広げて滑っている。長い虹色の飾り尾で白星に虹の輪を掛け、何処か遠方へと去ってゆく。
その虹鷹を見送ると、視線を後方に控える、白布で目を覆って己と同じ貌を隠す弟へ向けた。彼は丁度、白い刺繍を施していた宮女たちへ挨拶をしていた。宮女たちは忍び聲で「感じの良い側付きね」等と言葉を交わしてその場を去っていく。サクルはついと彼らから貌を背けると、白銀を昏くした。
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