第36話 異端の王(弐)


 宮殿は実に華やかである。白の衣を纏う宮女や官吏が行き交い、中には灰白の甲冑を身に付けた兵士の姿もある。その中をドゥリーヤは迷いなくすたすたと進み、顔の右側を隠したサクルと眼を覆い隠したアウスも続く。宮の男女おとこおんなは彼等に心付くや、路の端へ寄って跪く。

 ドゥリーヤはやおらサクルとアウスの方へ振り返りながら、平伏す男女おとこおんなを顎で指し示して云う。

「宮の者等はみな、同じ様な格好をしているが、襟元の刺繍の色が異なる。白色が白鏡付きの者かまつりごとを担う者。詰まりは、御前らと同じ金剛石族アールマスの出自の者たちだ」

 サクルは金剛石を宮の人人へ向けた。よくよく見れば、ドゥリーヤの云う通り、その詰まった襟元を縁取る刺繍の色が異なる。白や赤、青や緑。中には刺繍の無い者もあり、彼等は四家門以外の出自の下女下男らしい。

 すると丁度正面より、紺青の着物を纏った四十半ばの女が大股ですたすたと歩行き寄っていた。青珠、カリーマである。長槍を携えており、額には汗を流している。その後ろをひとりの兵士が伴っていた。詰め襟に緑の刺繍を施した老兵だ。

 カリーマは正面にあるサクルたちに心付くと、眼前で立ち留まった。

「おや、案内しているのかい?仲の良いことだ」

 カリーマの瑠璃はドゥリーヤへ向けられている。ドゥリーヤは紅玉を輝かせ、聲を明るくして彼女へ寄った。

はい!彼等は幼馴染みでもあるので、これはわたくしの責務でもあると思い!」

 幼い頃より見知った女が何とも聲をきゃらきゃらさせてあるものゆえ、サクルは思わず後退った。その後方でアウスも笑うのを堪えていると、カリーマの瑠璃がサクルとアウスへ向けられた。カリーマはずいと双子の兄弟に寄ると凝々じろじろと見る。

「ほう、幼馴染み。そりゃあ珍しいね」

 その瑠璃には戦士のような強さがあり、サクルは我知らず貌を引き攣らせた。その表情を認めるやカリーマはにやりと嗤い、身を離して軽く一礼する。

「名乗るのが遅れたね。あたしは瑠璃族ラーザワルドのカリーマ。三珠の中では一番の古株だよ。この後ろのは兵士のターハー。あたしの訓練に何時も付き合ってもらっている」

 ターハーと呼ばれた老兵も一礼し、アウスが両人へ礼を返すのを見て我に返ったサクルは手を合わせて礼を返した。

金剛石族アールマスのサクルです」

「同じく、金剛石族アールマスでサクル付きのアウスと申します」

「ふうん……?」

 カリーマの瑠璃はまるで、すべてを見透かすような鋭さがある。サクルは頭を垂れながらも額に冷たい汗を流し、貌を強張らせた。カリーマは明からさまに緊張している新たな白鏡に苦笑し、ふとそのかたわらで目元は隠されていて表情が定かではないが落ち着いた様相を持つアウスに感心した。カリーマは両者を暫し見比べた後、ドゥリーヤへ視線を向けて云い放つ。

「よし、あたしも付き合おうじゃないか」

 無論、カリーマへ憧れるドゥリーヤが反対する筈がない。嬉々として是と応じうっとりとカリーマを見詰めている。サクルはそっとドゥリーヤへ寄ると忍び聲で言葉を掛ける。

「何とも迫力のある方だな」

「そうだろう。長槍を携えていらっしゃるのを見るに、きっと兵士の訓練をなさっておいでだったのだ」

「確かに……女人にしては体格の良い……」

 カリーマは上背はないが、首が太く肩幅もある。剥き出しの腕には明瞭はっきりと発達した上腕筋が浮き出ており、片手でもサクルのような小僧ならば捻り殺せそうである。

 よくよく見れば、周囲の宮女もドゥリーヤと同じ様な視線をちらちらとカリーマへ向けている。カリーマが瑠璃を細めて「鏡の泉へ行こうか」と聲を掛けると、ドゥリーヤはさっと彼女のそばへ駆け寄り「是非はい」と聲を明るくして応える。サクルは嘆息すると、アウスが口許を和らげて見せた。

「大丈夫か?」

あゝ……私はあの強そうな女たちに慣れねばならんのだな」

「まあ、そう構えるな。相手は巫子で、妻ではないのだし」

 アウスは周囲に聞こえぬ聲で返すと、優しくサクルの背を叩いた。これでは何方が兄か判然とせぬが、元来両人はこういう関係なのである。

「おい、何するんだよ!」

 矢庭に響き渡った聲に、サクルは飛び上がりそうになった。それは未だ少年らしさのある聲で、柱廊の突き当りから鳴らされていた。

 何事かと駆け付ければ、襟元に緑の刺繍を施した男たちが何者かに寄って集っている。その先からぷうんと生臭い臭いが漂い、サクルは思わず鼻を抓んだ。すると、サクルのかたわらにいたカリーマが低く聲を鳴らした。

「……また緑の宮のもんらが揉めているね。ありゃあ、緑珠の弟だね」

「弟?」

 サクルは再度、男たちの囲う先を見ると、サクルと同じくらいの年齢よわいと思われる若者が尻餅を付いている。中背で、髪はぼさぼさで兄の緑珠同様に長い前髪で貌が隠されている。馬糞か何かを頭から掛けられたのか、白色はくしょくの着物は薄汚れていた。

 カリーマは貌を曇らせながら彼を見詰めて、語を加えた。

「そうさ。襟元には刺繍が無いだろう。兄に付き添って宮に仕えとるんだよ」

「そうか……」

 サクルはアウスを一瞥した。アウスもまた、サクルに付き添って宮にある者だ。

(本来は、自由の身となれるはずなのに)

 眼さえ隠せば、アウスは宮仕え以外の路もあったのだ。それでも、アウスは貌を隠し視界を閉ざしてまで兄であるサクルへ付いて来た。

 サクルたちの前方で、男たちは薄汚れた若者を蹴りつけ、ざらざらとした聲を鳴らした。

「黙れ、庶民の分際で官の格好しやがって。そもそも、俺たちだって誰が好き好んで庶民出身のぎょくなんかに仕えたいものか!」

 男たちは若者の肚を強く蹴飛ばすと、ふんと鼻を鳴らしてその場を立ち去った。残された若者は坐りこんだまま髪に絡まる馬糞を払い落とし、折れたのであろう歯を吐き捨てた。

 サクルが黙して立ち尽くしていると、やおらアウスが横を過ぎた。アウスは迷いなく若者へ寄ると手を差し伸べて云った。

「大丈夫か?」

「……あんた誰だよ」

 長い前髪の奥で、ぎろりと砂色の眼が鈍く光る。棘のある若者の聲に臆すること無くアウスは穏やかな口調で続ける。

「私は白鏡様付きだ。立てるか?」

「ふん!誰が四家門の奴に頼るもんか!」

 若者はアウスの手を振り払うと、己で立ち上がった。その剥き出しの腕は痣だらけで、おそらく着物に隠れた場所も同様に違いない。若者は離れた位置に佇むサクルたちを睨めつけると、足を引きずりながらも走り去った。

 サクルがアウスのそばへ駆け寄ると、アウスは頭を縁取る砂色を搔いた。

「はは……手厳しいな」

 カリーマとドゥリーヤも駆け寄ると、カリーマは哀れみを含んだ聲で返した。

「仕方あるまい。ああいう虐めは日常茶飯事。この宮で高位にある庶民は彼等だけだからな。止めても止めても、止めないのには困っておる」

 カリーマは若者の疾走って行った緑の宮へ苦しげな面持ちで見詰めている。サクルもカリーマの視線を追い、緑に染め上げられた宮を見た。すると、アウスがサクルの肩を優しく叩いて、静かな聲を鳴らした。

「サクル、緑珠様を尋ねないか?での支えも出来るやもしれぬし」

 サクルは左の白銀を瞬かせると、こくりと頭を縦に振った。そのかたわらでカリーマは眉根を寄せて兄弟を見詰めていた。

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