第35話 異端の王(壱)


 砂の王国で、新たな王の誕生にジャウハラの男女おとこおんなは歓喜した。砂色の大通りを赤、青、緑の宝石で彩った駱駝や白装束に灰白の甲冑を纏った兵士、艶やかな白の宮女たちがしずしずと進んでゆく。

 その駱駝の上には、金剛石で胸元や耳元を飾る小柄な若者がひとり、坐している。十五を迎えたばかりの、新たな白鏡である。長い砂色の髪を垂らし、その髪も金剛石で華やかにしている。貌の右側は白布で覆って隠し、左の白銀のみで前を見据えている。

 駱駝を引く兵士が立ち止まった。目元を白布で覆い、貌を隠した兵士だ。髪は短く整え、頭を縁取るようにしている。その靭やかな赤銅の両腕には白い鷹紋様の墨が入れられている。貌を隠した兵士が振り返ると、駱駝を始めとしたみなが立ち留まった。眼前には長く狭い石壇が昊高くまで続いている。兵士は若い男の聲で新たな白鏡へ聲を掛けた。

「白鏡様、これより先は」

「理解っておる。歩行くのだろう」

 白鏡は軽々と駱駝より降りた。着物や髪に纏った宝石がしゃらしゃらと鳴り、まるで身體中で歌っているようだ。

 まだ少女ともとれるほどに小柄な白鏡に、ジャウハラの者たちは一層歓喜した。今代の白鏡は歴代の中でも美しい貌立ちを有する故だ。白鏡は左右に並ぶ民へ手を上げて微笑み掛けると、若い娘たちがきゃらきゃらと聲を上げた。

 白鏡は前へ向き直ると、ゆったりとした足取りで石壇を上がる。宮殿は昊に近しい場所に位置している。白鏡となるには、この長い長い石壇を登り、その先にある鏡の泉に血を捧げねばならない。

 ようやく辿り着くと、三人の男女おとこおんなが待ち受けていた。青の着物を纏う四十しじゅう後半の女と、赤の着物を纏う白鏡と同じ年頃の女。そして緑の着物を纏う二十程度の若い男。彼等は三珠。白鏡を支える巫子である。青の女がにっこりと微笑みかけて云う。

「よくぞいらしたね、新たな白鏡」

 細やかに長い砂色の髪を編んで下ろし、鋭い眼光を瑠璃に留める女だ。彼女は先代より青珠を担う者である。白鏡がこくり、と頷くと、赤の女が柔らかに微笑んだ。

「いらっしゃい。首を長くして待っていたぞ」

 嬉しげに紅玉の眼を輝かせている。見知った貌に白鏡は金剛石の眼を緩ませた。彼女は幼馴染みであった。誕生した日が二月程先で、先に赤珠として入宮したのである。

 緑の男へ視線を移すと、彼は前髪を長く伸ばして貌を隠していた。両手を合わせ、深々と頭を垂れている。口数が少ないのか、人見知りをする性質なのか、黙したままである。白鏡は三者を見渡すと、しんとした聲で告げた。

「これから宜しく頼む。私はサクル。これより白鏡として昊の代理を担う者だ」






 ようやく即位の儀式を終え、サクルは寝台へ飛び込んだ。限界である。身體中じゃらじゃらと飾り付けて、無駄に刺繍の施した何キロもある着物を一日纏っていた故、足がへとへとである。その傍らで、あの貌を隠していた兵士がくすりと笑ってサクルへ寄った。

「お疲れ」

 サクルは眉根を寄せながら貌を上げると、傍らに立つその男を見た。サクルと同じ小柄な若者だ。サクルは頬を膨らませながら、その若者の目元を覆う白布を手で引いて解かせた。

「アウス……何故、私が式に出なければならぬのだ」

「仕方あるまい。通例では白鏡はひとり」

「でも、御前だって私となのに」

 若者――アウスはサクルと同じ貌をしていた。すっと通った鼻筋に、形の良い薄い唇。異なるのは、白銀の眼が左ではなく、右であることだ。サクルも己の右半分を覆う白布を下ろすと、其処からは砂色の眼が覗かれる。彼等は砂の王国で初の白鏡である。アウスはサクルの横へ腰掛けると、サクルのかぶりを優しく撫でて云う。

「私は兄上より数分遅れて生まれたのだから、そういう運命になるのさ。何、私は影から兄上を支えるさ」

 それはサクルと同じ聲だが、凛とした様相のある。サクルは眼を伏せ、貌を曇らせた。

「……私より、アウスの方が向いていると思うのだが」

「サクル、何を不貞腐れておるのだ」

 矢庭に鳴らされたのは、ドゥリーヤの聲。何時の間にか戸を開けて仁王立ちをしていた。緋色の質素な着物を纏い、細長い赤銅の腕を腰に当てている。サクルは貌を歪めると、身體を起こして唸るように聲を鳴らす。

「ドゥリーヤ、急に室へ這入らないでおくれよ」

「ふん、わたくしたちの間に遠慮など無用だろう」

 つかつかとドゥリーヤは寝台のそばにある卓子テーブルへ寄ると、無遠慮に椅子に片脚を組んで坐す。ドゥリーヤはサクルとアウスが物心付いた頃からの知人であるゆえ、半ば兄弟姉妹のようなものだ。故にドゥリーヤは彼等の事情を知る数少ない者のうちのひとりもあるのだ。

 不機嫌そうに貌を背けるサクルのかたわらで、アウスは形の良い眼を和らげて云った。

「そういえば、文で云っていたカリーマ様は確かにお強そうな女人だったな」

 ドゥリーヤはぱっと貌を花開くように輝かせ、前のめりになって返した。

「だろう?わたくしの憧れだ!わたくしもカリーマ様の様に強い女になりたい」

「三珠と言えば、緑珠は初めて見た」

 とサクル。青珠のカリーマは先代より在位しているゆえ、建国祭などで見掛けたことがあるのだ。而も、カリーマは女の身で武術にも長けており、市民の間では名を馳せた青珠でもある。だが一方で今代の緑珠は人の前に姿を見せたことがなかった。年齢よわいを考慮すれば、既に五年は在位してあるはずなのだが、名も知られていない。

 ドゥリーヤは「あゝ」と聲を溢すと、語を次いだ。

「ミシュアル殿のことか」

「うむ。何やら無口なお方のようで」

 サクルが頷くと、ドゥリーヤは身體を兄弟両人へ寄せ忍び聲で云った。

「彼は翡翠族ヤシュムの出自でなく、一般の者のしかも貧しい者の生まれらしい。故にしがらみだらけの宮の中でも風当たりが良くない。まったく、阿呆らしいとは思わぬか?」

 宮殿に属する四家門――金剛石族アールマス瑠璃族ラーザワルド紅玉族ヤークート翡翠族ヤシュム――は伝統を重んじる。故に、慣わしに反するあらゆる事を嫌う。サクルはアウスを一瞥すると、眉間の皺を寄せて吐き捨てるように云う。

「詰まりは、私たちと同じということか」

 サクルの言葉に、アウスは苦笑した。十五になる年、ジャウハラは己が宝石持ちか否かを知る。サクルもアウスも同様で、十五を迎えたその日、互いに片方ずつ現れた白銀の眼に金剛石族アールマスの一族は動揺した。中には、それを悪兆とまで云って忌避する者もあった。されど白鏡を不在にするわけにはいかず、兄であるサクルを白鏡とし、アウスの存在を隠したのである。ドゥリーヤは嘆息すると語を落とす。

「四家門の出自でないぎょくも、そなたらみたいな双子の白鏡も現れたことがなかったからな」

 気不味い沈黙が白の室内に下ろされると、ドゥリーヤは紅玉の眼を泳がせた。すると、アウスが先んじてその沈黙を破る。

「ドゥリーヤ、宮殿を案内してはくれまいか?室の位置や路を知っておきたい」

「え――、足がへとへとなのだが」

 サクルが聲を上げると、アウスはその眉間を指で弾く。

「何を云ってるんだ。迷子の白鏡なぞ恥でしかないぞ」

「よし、二ヶ月先輩のわたくしが宮を案内してやろうじゃあないか」

 とドゥリーヤが満面の笑みで乗り気で同意を示すと、サクルはがっくりと肩を落とした。

 

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