第29話 青鈍の下の再会(弐)


 宮殿から北西にある薄暗い裏路地で、ラーミウは茫然と立ち尽くしていた。視線の先にあった筈の少年の姿は無く、冷たい風が細路を通り抜けてラーミウの身體を冷やす。

(どうしよう)

 ラーミウは俯いて思案していた。あの貌を隠した少年の云う通り、これからラーミウを訪ねるという者を天幕で待つべきか、それとも急ぎ白鏡の元へ走るか。ラーミウの胸中は白鏡のことで一杯である。父親であり、恩人であり、神であるサクルの不調――それは青鈍の昊や獣たちの発生、そして還砂病の増加が物語っている。

(矢っ張り、白鏡様の元へ行った方が……)

 強く琥珀を揺らがせながらも、ラーミウは前方へ視線を戻そうとした。その瞬間、ラーミウの聞き知った聲が鳴らされた。

「お、よかったよかった。先走ってなかった」

 聲主は何時の間にか前方を歩行いていたシハーブだ。赤銅の口端を持ち上げてにやりと嗤っている。その背には数人の還砂病かんさびょうの人人の姿があり、此処まで態々運んだことがひと目で解される。ラーミウは琥珀を瞬かせると、彼へ駆け寄った。

「ちょ、如何したんです」

「ん?散歩ついでに連れてきただけだけど」

 シハーブは何時もと変わらぬ飄々とした様子だ。ラーミウは想像もしていなかったシハーブの行動に茫然として、何度も背負った人人とシハーブを見比べた。シハーブはけらけらと嗤いながら、ラーミウの後方を顎で指し示していう。

「天幕まで運べばいい?」

「あ、はい。直ぐ処置します」

 踵を返そうとした瞬間、シハーブの後方にあった男の姿にそしてその後方にラーミウは足を留めた。三十半ば程の、生真面目そうな剃髪の男だ。ラーミウはその男の貌を暫し見詰め、その頸に掛けて彫られた鷹の入れ墨を見た。

「え?若しかして、マージド?」

 驚きのあまり、鳴らされたラーミウの聲はやや頓狂なものだ。ラーミウの知るマージドの貌は十年前のものだ。十年とは人の貌付きを変えるには十分な月日だ。目元に小皺を刻み、皮膚はだの張りも失せられている。マージドは目前に立つ、未だに若々しさのある男に唖然として云った。

「御前は何と言うか……あまり変わらんな」

「悪かったですね」

 ラーミウは貌を顰めて見せた。その目元には小皺も無く、十代と聞かされても不審には思われぬ容貌だ。両人の間で、シハーブは嗤うのを堪えながら云った。

「矢っ張り、旦那は誰から見ても童顔なわけね」

「気にしているんですから、言わないでください」

 若く見えるというのは誇りにもなり得るが、何時までも若造として見られるということである。何歳いくつになっても威厳というものが身に付かず、舐められるという欠点も含まれる。ラーミウは不満げに眉根を寄せつつも、吐き捨てるように語を次ぐ。

「兎に角、その背負った人の処置が先です。シハーブ、運んで下さい」

「はいはーい」

 シハーブの聲は背に携えた男女おとこおんなの阿鼻叫喚とした様子に似合わない明るい調子だ。シハーブは彼等を背負ったまま軽い足取りで天幕へ向かう。ラーミウも彼の後を追うと、マージドがラーミウの横へ並んだ。

夜の民ザラームの件は……如何なった?」

「昨日、文を出したのですが……未だ届いていないんですか?――夜の民ザラームなら、ひとり連れて帰ってきてます」

 ラーミウは天幕のある方角へ視線を向けた。天幕の前に、未だヤトは佇んでおり、戻って来るシハーブたちを不審そうに見詰めている。シハーブと目が合うと、ヤトは貌を歪めて細い眼を一層細めた。

「何ですか、ぞろぞろと」

「慈善活動?」

 冗談ジョークを云うように嗤い混じりにシハーブが応じると、ヤトは貌を引き攣らせた。シハーブの背の上で黒い涙を流す者たちは頻りに「痛い痛い」と泣き叫んでいる。まったくもってシハーブの態度はその悲鳴に不釣り合いである。ようやくラーミウも彼らのもとへ辿り着くと、ヤトはラーミウの横にいる見知らぬ剃髪の男に眉根を寄せる。

「そっちのは元気そうですけど、これも慈善活動ですか?」

「まあね。迷子のマージド君です」

「マージド「君……」」

 シハーブからの呼び名に、今度はマージドが貌を引き攣らせる。すると騒ぎを聞き付けてか、天幕の垂れ幕が上げられ、カリーマとナジュムが貌を覗かせた。カリーマはかっと瑠璃を見開くや、轟くような一喝を響かせた。

「あんたたち、五月蝿いよ!その年齢としで静かにするという分別も持っとらんのかい!」

 一瞬にして黙した男たちはみな、青筋を立てる老婆を見た。そのかたわらでナジュムはシハーブの抱える病人たちと、ラーミウの連れる剃髪の兵士へ順に三白の眼を向け、低く聲を鳴らす。

「兎に角、処置を」

「は、承知はい

 ラーミウは応じるや、シハーブを連れて中へ這入る。シハーブが乱雑にも還砂病者を一気に下ろすと、駆けつけたナジュムが彼等を一列に並べてゆく。入口に残されたカリーマはマージドを一瞥し、視線を天幕の中へと向けると、忍び聲で尋ねた。

「で、白鏡付きが何の用事ようだい」

「……三十年ものの間、姿をくらませていた青珠せいじゅ様が真逆都に居たとは思いも寄りませんでした」

 マージドはカリーマの色鮮やかな瑠璃を見詰めていた。マージドは今年三十五。カリーマは三十年も以前から宮殿から姿を消していた故、瑠璃の眼を初めて見たのだ。珍しい色から目を離せずにいるマージドへカリーマは呆れた風に嘆息を溢した。

 その嘆息でようやく我に返ったマージドは膝を付き、手を合わせて頭を垂れた。

「お初にお目に掛かります。白鏡様付きのマージドと申します。赤珠せきじゅ様よりラーミウが連れておるやもとはれる夜の民ザラームを求めて参りました」

 だが、カリーマは何も返さない。マージドは恐々おそるおそる面を上げると、カリーマは瑠璃を半眼にして、マージドの横へ視線を向けている。カリーマはようやく口を開くと、

「……らしいが?」

 とその視線の先へ聲を掛ける。マージドもカリーマの視線を追うと、先程天幕の前に立っていた細目の男が厭気の差したように貌を歪めている。

 すると矢庭にカリーマの後方よりラーミウの聲が鳴らされた。

「マージド、ヤトに用事って如何いうことですか?」

 袖の捲くられ覗かれた腕には一筋――否、幾数ものの塞がりかけの傷跡がある――があり、真朱まそほがたらりと伝っている。還砂病の者らに血を与えて直ぐに駆け付けたのであろう。不安げに琥珀を見開いている。

「私が代わりに教えて差し上げましょうか?」

 応じたのは先程の細目の男。細長い眼の色を砂色から真闇の色へ変容させている。マージドはその男の眼や項で束ねた長髪の色に目を剥いた。

「貴方は……?」

「私を求めて此処まで訪れたのでしょう?私は守司ノ夜刀もりづかさのやと夜の民ザラームの「繋ぎ」。について、其処のに説明してあげましょうか?」

 

 

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