第28話 青鈍の下の再会(壱)


 青鈍の昊の下は、奇妙なほどの静寂に包まれていた。砂色の街並みは路端で蹲る同じ砂色の男女おとこおんな児童こどもたちの姿で悲壮の様相を漂わせてある。

 彼等の多くは力無く横たわり、閉じられた眼からは黒い涙を伝わらせており、その手や足の指先は黒ずんで形が残されていない。中には、脚がごっそりと失われ、砂の中に身を埋めているような者もある。あまりの惨劇に、マージドは貌を歪ませた。

(なんと酷い)

 時おり横を過ぎて行く凪ネズミの多くは幼兒の小指程度。されど中には拳程度の大きさのあるものもあり、死肉の多さが伺い知れる。マージドはついと貌を背けると、ふとひとりの若者と目が合った。

 顔貌の整った、十代半ば程度の若者だ。砂避け布の下から覗く服装みなりならして旅の者。癖のない髪を頭頂から馬等のように垂らしている。マージドは若者へ駆け寄って尋ねた。

「其処の者、ラーミウという男を知らぬか」

 若者は形の良い眼を瞬かせると、マージドの白装束や灰白の甲冑を見詰めてある。マージドの知る中でも随一の美男子に凝々じろじろと見巡され、マージドは意味もなく緊張を感じる。若者は口端を持ち上げて赤銅の中に並びの良い白い歯を見せ、ようやく聲を鳴らした。

「へえ、あんた、宮殿の奴?何?その辺に転がってる奴の仲間入りでもしに来たわけ?」

 何とも不躾な若者の物言いに、マージドは貌を顰めた。だが、若者が顎で路端を指し示すゆえ、渋々と彼の示す先を目で追い――マージドは息を呑んだ。

 路端の奥まった場所に、数人の兵士の姿があった。白鏡により命じられ、街の見廻りをしていた者たちだ。彼等もまた他の人人と同様に閉じられた眼から黒い涙を流し、その多くは下半身が失われ、腕も失われていた。残された黒ずんだ身體の部位は砂にうずめられていた。

 若者はひょいとその兵士たちのそばへ寄ると、その目蓋を手で押し上げて中を見る。その眼の覆いの下から露わにされたのは、かろうじて球形を取っている砂色の眼球。蓋を開け放たれた所為かごぽりと白目と混ざりあったその一部が外界そとへと零れ落とされる。若者は小さく「これは助からないね」と呟くと、飄々とした語調を変えることなく続けた。

「宮殿は昊に近い位置にあるから、中々に気付かなかったんだろう?こういうのは光の届き難い場所に居る奴から起こるからな。でも、あんたが出て来たってことは何かあったのかな?」

 マージドは唖然として若者を見た。民の前に滅多に貌を出さぬゆえ、マージドの頭部から頸に入れられた紋様の意を識る者は少ない。しかしこの若者は鷹の入れ墨をひと目見て、マージドを白鏡付きの兵士だと見抜いたのである。

 だが若者はマージドの視線を意に介すことなく凝々まじまじと兵士ひとりひとりの眼窩に収まっているものの具合を確かめている。若者はふと、何か思い当たったように貌を上げるとにやりとマージドへ嗤い掛けて云う。

「昊に近くてもあることといったら――虚ろ狼かな?予兆が今更現れた感じかね」

「……詳しいな」

「そうかね?あ、此奴こいつは未だ助かりそーだけど、他は如何する?」

 若者は兵士のひとりの髪を掴んで指し示す。痛みで悶えている相手にも容赦のないことだ。思わずマージドは貌を引き攣らせた。

「如何、と云われても……」

「お勧めは直ぐにすることかな。放っておいても凪ネズミを誘うだけだぜ」

「んな……、なんて残酷なことを云うんだ!人情というものがないのか!」

 あまりの言い草に、マージドは若者の胸倉に掴み掛かった。すると若者はにたにた嗤いを終った。だが怒気のようなものはなく、表情は無いに等しい。若者は眼のみで蹲る兵士たちを一瞥すると、淡白に低く聲を鳴らす。

「今どうこうしても助からねえって云ってんだよ、おっさん。それとも何だ。死ぬまで身體がバラバラになる痛みの中、ネズミに齧られて喰われるの待てっての?そっちのが残酷じゃないか?」

 その冷たさのある眼光にマージドは怯んだ。己の半分も無さそうな年齢よわいの、而も少女のように小柄な若者だというのに、その気迫はまるで熟練の戦士のよう。マージドはその眼に耐えられず視線を反らし、語を押し出した。

「それは、そうだが……」

 気が付けば、胸倉からも手を離している。マージドが黙していると、若者は小さく嘆息しひとりの兵士の頸に手を掛けた。若者は兵士の耳元で何か囁いたようだがその聲はマージドの耳には届かれない。マージドはただただ、その兵士の頸から鈍い音が響き渡るのを見届けた。残りの兵士の首も手折ると、ようやく若者は語を発した。

「死体は纏めて後で燃やしたほうがいいが、先に此奴こいつ運ぶのが先だな」

 小柄な身體に似合わず、何とも怪力だ。己よりふた周り以上大きな「助かりそうだ」とされた兵士を軽々と担ぎ上げている。若者は視線をマージドへ向けて云った。

「あんた、ラーミウに用事あんだろ?俺の行く先と同じだぜ。会いたいんなら付いてきな」

 若者から発せられた「ラーミウ」の名に、マージドは目を瞬かせた。

「君、ラーミウを知っているのか」

「知ってるも何も、文を受け取ってねえの?」

「何?」

 マージドは急ぎ、ドゥリーヤから受け取ったラーミウの文を取り出して広げる。だが、其処には具体的な名はなく、宿の名前や行き先が短く書かれてあるのみ。若者もその文を覗き込むと納得したように「あゝ」と呟き語を次ぐ。

彼奴あいつって最低限のことしか書かねえか。ま、兎に角付いてくりゃ会えんよ」

「案内してくれるなら、助かる。私は白鏡様付きのラーミウだ」

 マージドは白鏡付きの兵士らしく、熟れた所作で一礼する。両の手を合わせて頭を垂れるマージドを前に、若者は「ふむ」と呟き、兵士を背負い直して言葉を返した。

「俺はシハーブ。ただの旅人さ」

 シハーブの名乗る若者はやおら向きを変えて北へ歩行あるき始める。

 マージドは残された兵士の骸を一瞥した。見開かれた眼にはぽっかりと空いた眼窩だけがある。よくよく見れば、残された身體の部位は凪ネズミに齧られた痕跡あとが多くあり、肉が削げて生々しい血道の這う肉や朱殷しゅあんに汚れた骨が覗かれてある。周囲を見渡せば、他にも同じ様なジャウハラの姿があり、数人は既に首が妙な方向に曲げられ、頸の骨が皮膚かわを突き抜けていた。

(あの若者は……彼等をひとりひとり、楽にしてくれて回っていたのか……)

 マージドは暫し骸となった彼等に目礼すると、急ぎシハーブへ視線を戻した。シハーブは他にも数人の還砂病かんさびょうのジャウハラを担ぎ上げて、進んでいる。マージドは急ぎ彼の後を追い、隣に並んで歩行いた。

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