第23話 凪ネズミの膨張(肆)


 金剛石族アールマス瑠璃族ラーザワルド紅玉族ヤークートそして翡翠族ヤシュム

 これらは代々、白鏡と三珠を輩出する四代家門である。白鏡は金剛石族アールマスの男児に、青珠、赤珠、緑珠は残りの三家門の女児に現れるのが慣わしである。宝石の眼を持つ者たちは砂の王国にたった四人しかおらず、彼等は次の宝石を持つ者が生まれるまでその宝石を有し続ける。


 都より東の街アスダルは翡翠族ヤシュムの多く住まう地域。その中でも中心街にある本家の屋敷で当主夫人のアイーシャはようやく終えた出産に息も絶え絶えになっていた。室内に響き渡る初聲に、アイーシャは己の児を抱く産婆へ眼を向けた。

「産婆、如何した。わたくしの児を早くこの手に」

「アイーシャ様、それが……」

 産婆は茫然とした様子で鳴き叫ぶ児を見ていた。アイーシャは疲弊して気怠い身體を持ち上げて、我が子をひと目見ようと彼女のそばへ寄り――瞠目した。虹鷹と白星の刺繍の這入った白練の衣に包まれたその児は男児で生まれたばかり。だというのに、その眼は琥珀であったのだ。通常の砂色でもなく、緑珠の翡翠でもない。アイーシャは震える手で己の児を指差して云う。


「い、いったいこれはどういう……真逆、がわたくしの児?」


 産婆は貌を青褪めさせて、語を失っている。代々十五を迎えた男児女児に宝石持ちは現れる。その色は白銀、赤、青、緑。長い歴史を有する砂の王国で、それは一度たりとも破られたことはない。異例のことに、アイーシャは恐れ慄き後退った。大きく砂色の眼を揺らし、叫ぶように聲を鳴らした。


「気味が悪い。琥珀の眼などあるはずがない」


 アイーシャは取り乱して髪を掻き毟った。その君の悪い者を己の肚から産み落としたのだと思うと、一層落ち着いてはいられなかった。アイーシャは呼吸を荒げながら一心に己がどうすべきかを思案した。すると幼兒の琥珀と目が合い、アイーシャは息を呑む。

(きっとこれは悪兆だ。此の様なこと、他の家門にばれれでもすれば嗤われる。否、悪兆を生んだ家門として厭われるやも)

 それだけはいけない。アイーシャは当主の妻なのだ。アイーシャは産婆へ詰め寄った。眼を血走らせて、低く聲で命じた。

「その児を殺しなさい」

「そ、そんな恐れ多いこと、わたくしめには出来ませぬ。若し、このお子が宝石持ちなのだとしたら……」

 ようやく産婆は聲を鳴らした。聲を震わせ、一心に頭を左右に振っている。この幼兒が三珠と同等でない、等という保証は何処にもないのだ。白銀を覗く宝石の眼を有する者は虹鷹の化身であり白星の巫子である。彼等を殺したなどとあれば、昊の怒りを買うに違いない。

 故に結局、産婆もアイーシャも生まれた異端児を殺すに至れなかった。外へ出すのも厭われて、密かにアイーシャの実家の一室に幽閉することとなった。名すら与えられなかった異端児は十年以上の歳月を薄暗い室の中で過ごされることとなった。

 名無しの異端児が室より出されたのは、彼が十二を迎えた頃。虹鷹の呼んだ雨雲が激しい雨を降り注がせた夜のことだ。室の中でぼんやりと坐っていた「名無し」は屋敷が騒がしいことに心付いた。されど、足を鎖に繋がれ、戸を閂で締め切られていた彼にはそれを確かめる術もなく、いったいどうしたのであろうかと思いながらも膝に貌を埋めている他なかった。

 騒々とした聲と足音は次第に己のある室へ寄り、とうとう戸が開け放たれて初めて、名無しは貌を上げた。剃髪の若い男が名無しを確認するや、砂色の眼を大きく見開いた。


「これは驚いた……」


 零された言葉に、名無しは小首を傾いだ。彼は語を解せない。誰も彼に語を教えず、誰も彼に言葉を語りかけなかった故だ。すると剃髪の男の後方より三十程の男が姿を現した。貌の右半分を玄の布で覆い、もう片側の貌に金剛石の眼を持つ男だ。男は白銀の眼を鈍く光らせると、嘆息を溢して云った。

「どうりで、翡翠族ヤシュムも隠すわけだ」

「白鏡様」

 マージドは跪いて男を迎える。白鏡様と呼ばれるこの国の王は名無しを一瞥すると、しんとした聲を落とした。

「マージド、その子を」

 剃髪の若者マージドは湾刀を腰から引き抜き、名無しの足を繋ぐ鎖を断った。名無しは初めて足を自由に動かすことが叶い、茫然として己の足を見詰めていた。白鏡様は屈んで名無しへ寄ると、金剛石の眼を緩ませ微笑んでみせた。

「そなた、名は」

 無論、語を識らぬ名無しは白鏡様を見上げるしかできない。されど、彼のように穏やかな表情を見せた者はなく、名無しは白鏡様の貌に見入った。白鏡様のかたわらで、マージドが静かに聲を掛けた。

「若しや、語を識らぬのやも」

 マージドの言葉に、白鏡様は白銀を揺らした。そして名無しの姿を一望すると、哀れみを金剛石に浮かべた。琥珀を嵌める眼窩は落ち窪み、赤銅の肌は土気た色をしている。白鏡様は優しい手つきで名無しを撫で、柔らかな聲を鳴らした。

 

「そなたはこれより、光り輝く者ラーミウと名乗れ。その琥珀の瞬きに相応しい名だ」

 

「らー?」

 名無し、否ラーミウは小首を傾ぎ、白鏡様の語を繰り返した。白鏡様は満足げににっこりと微笑み返して頷く。マージドは湾刀を腰の鞘へ収めると、低く聲を鳴らした。

「白鏡様、この子をどうするおつもりで?」

「我が宮で世話をする。先ずは知識を授けねばならぬし、この眼の色だ。他の宮では荷が重い」

 その日からラーミウにとって白鏡様は父親であり、恩人であり、神であった。彼のために語を覚え、学問を修め、体術を得る。世界の中心は白鏡様であり、彼のない世界は、彼から己へ注がれる愛情のない世界は無に等しい。

 ラーミウは爛々と眼を燃やし、前方で茫然と彼を見る人人と還砂病かんさびょうの者たちを見据えた。彼等は未だ嘗て聞いたこともないの琥珀の眼へ畏怖の視線を向けている。ラーミウはおもむろに後方にいるカリーマへ振り返ると、しんとした静かな聲を鳴らした。

「宝石の眼を有する者に出来るのであれば、僕にも出来る筈です。僕は白鏡様の為ならば、幾らでも血を捧げます。若しこの眼が災いの元ならば、喜んで死にましょう」

 カリーマのかたわらで、ヤトが嘲るように鼻を鳴らし低い聲で吐き捨てる。

 

「とうとうを見せましたね。異端の宝石」

 

「無駄話は後です。これ以上民が苦しめば、悲しむのは白鏡様です」

 ラーミウは迷うことなく己の腕の肉を噛み千切り、多量の血を落とした。そして鋭い琥珀で人人を見据え、低く云い放つ。

 

「さっさと並べ」

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