第21話 凪ネズミの膨張(弐)


 砂の王国は、建国祭で賑わいを見せていた。ラーミウたちが都の地を踏んだ時は丁度四日間に及ぶ建国祭の丁度初日であった。燦燦と白星の光の粒を落とす昊の下、ガイム河沿いの市場では多くの男女が訪れていた。駱駝を駱駝貸しへ返すナジュムの後方で、ヤトは辟易とした表情を見せていた。

 

「相変わらず、うじゃうじゃいますね」

 

「まあ、建国祭ですからね。仕方ないですよ」

 ラーミウは苦笑交じりで返した。あまりの人の数で、ヤトは何度も押されては戻されてを繰り返している。彼は雑踏に慣れていないのであろう。ラーミウは柔らかに微笑を浮かべヤトへ手を差し伸べると、

「ほら、僕に掴まって下さい」

 と云った。押し寄せては離れる人波の中、ヤトは暫しその手をじろりと見詰め、ラーミウの貌を見た。ラーミウはきょとんとして小首を傾いでヤトが手を握り返すのを待っている。ヤトは不意に眉根を寄せ、ついと視線を逸らすときっぱり吐き捨てた。

 

「猿を頼るなんて、絶対に厭です」

 

「そうですか……」

 柔和だったラーミウの貌は一瞬のうちに呆れ顔となる。仕方なしに手を下ろし、嘆息を溢した。すると丁度駱駝貸しからナジュムが戻った。群衆の中にあれば、その上背の高さと屈強な肉体は目立つ。而も、その手には杖が握られ左足は失われており、一層は眼を引くのだ。通行者がナジュムへ振り返りつつも過ぎて往くのを見届けて、ラーミウは苦笑いをした。

「ナジュム、お疲れ様です」

あゝ、待たせたな」

 周囲の視線を意に介すことなくナジュムは暑さで額に伝う汗を手で拭う。この通りは兎に角人が多く、昊の灼熱を籠めて離さない。ナジュムは周囲をきょろきょろと見渡すと、静かに語を鳴らした。

 

「ところで、シハーブは?」

 

 ナジュムの語に、ラーミウは眼を据わらせた。小さく嘆息を溢し、ついと雑踏の向こうを指さしてラーミウは 「彼方あっちですよ」と云った。ナジュムが彼の指差す方角を眼で追うと、シハーブは路端で女たちに囲まれていた。戻ってきたのを見かけるや、彼女たちがこぞってシハーブの元へ寄ったのである。その中には先日の娼妓、ファラとムニーラの姿もある。ファラがシハーブに口付けると、猫撫で聲で云う。

「此処数日ちっとも見かけなかったのに、いつの間に帰って来たのさ」

「つい先程さっき戻ってきたばっかりだよ」

 シハーブが飄々とした笑みを落として返すと、ムニーラや他の女たちが食い気味に云った。

「折角の祭りなんだ。一緒に遊ぼうよ」

 少し目を離した隙に好き放題しているシハーブに、ナジュムは閉口した。そのかたわらでラーミウは肩を竦めて語を加える。

 

「因みに、あれは二組目です」

 

「他にもあったのか」

はい、派手な男といちゃこらしてましたよ」

 やや投げやりに告げるラーミウに、ナジュムは困惑した面持ちを向けた。ナジュムの視界の端でシハーブが三組目の、酒を飲み交わす集団へ赴こうとするのを捉えると、ナジュムは急ぎ彼の肩を掴んで止めた。

「シハーブ」

「何だ、最早もう用事済ませたのか」

「駱駝を返すだけだから、直ぐだ。カリーマの処へ行くぞ」

「少しくらい放っておいても大丈夫でしょ。元々ぼさって生きてる老いぼれだぜ」

 けろりとした貌で応じるシハーブに、ラーミウは貌を引き攣らせる。すると後方より寄ったヤトが眉根を寄せて云う。

「カリーマってあの瑠璃の眼の女ですか?未だ生きていたんですね」

 不在の女相手に何とも無礼な者たちである。ラーミウは若く見える優男の貌から表情いろを抜くと、拳を握り締めて見せて云った。

「当人がいないからって好き放題失礼なこと云わないで下さい。代わりに打ちますよ?」

「おお、怖い怖い」

 とシハーブ。然りげ無くラーミウから距離を取っている。だがラーミウとシハーブたちの間に走る緊張を破るようにナジュムはふと、「あ」と呟いた。そしてラーミウへ三白の眼を向けた。

「そういえば、文は出せたのか?」

はい。直ぐに宮に届くと思います。僕たちはさっさとカリーマのところへ行きましょう」

 ラーミウがにっこりと微笑んで返すと、ナジュムは小さく頭を縦に振り、応じる。ナジュムが頭陀袋を担ぎ直して大通りの人流を逆らって歩行き始めると、シハーブは渋々といった様子で続いた。

 

 建国祭で騒々しくする者たちは、宮のある南の方角へ流れを作っている。おそらく、宮のそばで踊りや歌の催しをしているのだろう。カリーマの待つ安宿はそれとは方角を逆にしている。故に人人の波の合間を縫うのは一層難しくされている。ラーミウはふと立ち留まり、歩行き難そうにしているヤトを見た。呆れた風に嘆息を溢してヤトの腕を引くと、ラーミウは云い放った。

「少しは我慢して下さい」

 安宿のある裏路地へ辿り着くと、鬱蒼として静かになった。同じ街とは思えぬ落差だ。ナジュムはすたすたと進むと安宿へ到達し、迷うこと無く二階へと上がった。

 

「遅い」

 

 室に這入って聞こえた一聲に、ラーミウは貌を引き攣らせた。座卓の前で茶を啜っていた老婆カリーマは瑠璃の眼を鋭くさせて、ラーミウたちを睨め付けている。カリーマは茶器を卓へ置くや、愚痴々々と語を次ぐ。

「怪我でもしたんじゃあないかと心配しただろうが」

「済まない」

 ナジュムは頭を垂れて小さく一礼した。カリーマは呆れた風に嘆息すると、ふとナジュムの後方にあるヤトの姿に瑠璃を瞬かせた。

「おや?ヤトを引っ張り出せたのかい」

 カリーマの語に、ヤトは嘆息した。すたすたと室内へ這入ってカリーマのそばへよると、砂色をさせていた細長い眼に深淵の闇を呼び戻し、にやりと嗤う。

「だいぶ老けましたね……同じ人物だとは思いませんでしたよ」

「そりゃあ悪かったね」

 はん、とカリーマは鼻を鳴らし、ヤトの玄の眼をじろりと瑠璃を向け返す。彼女のあまりに鋭さのある瑠璃に、ヤトはやや貌を引き攣らせた。

 不意にカリーマはラーミウを見ると、出し抜けに聲を潜ませて云った。

「それよりもラーミウ」

 突然の聲色の変容に、ラーミウは眉根を寄せた。カリーマの皺の寄った貌に深刻そうな昏い様相が浮かべられてある。ラーミウは怖々おずおずと聲を鳴らした。

「如何しました?」

「……ちと事態があんまりよく芳しくなくてね」

 カリーマは貌を曇らせ、聲を一層低く鳴らしている。矢庭に室内を満たした緊迫した空気にラーミウはごくり、と固唾を飲む。

 すると突として、勢いよく室の戸が開け放たれた。戸より貌を出したのは貧しそうな粗末な身形をした男。貌を青褪めさせて上擦った聲を上げた。

 

「カリーマ、来とくれ!今度はうちの嫁が……」

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