第17話 虚ろ狼の出現(参)
ラーミウは何時の間にか己の傍らで立つ者に目を見開いた。その者は頭から砂避けの外套を被り貌を隠しているが、鳴らされたのは少女とも取れる少年の聲。小柄でラーミウよりも上背がない。その手には小さな青銅の短剣が握られている。ラーミウが茫然としていると、ヤトが珍しくも頓狂な聲を鳴らした。
「貴方、どうして此処にいるのです……
「
その聲は静けさの中に穏やかさがある。被り布の下に覗く口許は嬉しげな笑みを溢しており、現状に不釣り合いさがある。するとその少年はラーミウへ向き直り、また低く聲を鳴らした。
「君は勇敢のようだが、その傷で立ち向かうのは蛮勇だ」
それは幼兒を諌めるような口振りである。布で隠されて表情は確かでないが、真剣さが伝わる。ラーミウはただただ茫然と少年を見た。
「あなたは……?」
少年がつい、と後方のナジュムへ貌を向ける。ナジュムは丁度、片足で跳躍して降り立ったところであった。逃げ遅れたカマ村の老夫を背後に隠し、躙り寄る
だが間を持たず数疋の虚ろ狼がナジュムの元へ駆け寄り、彼を休ませない。ナジュムは小さく眉根を寄せると、老夫を胴全体で押して躱した。杖と湾刀で手が塞がっていて、老夫を手で引き寄せるような行動が取れないのだ。其れでも最低限の動きに留め、躱しきれない
すると矢庭にナジュムから離れた位置より幼兒の悲鳴が上がった。聲のした方角へ目を向けると、建物の際で鳴き叫ぶガーダとその横でガーダを抱いて守ろうとするダイフの姿。彼等もまた、逃げ損ねたようだ。彼等は一心に虚ろ狼から逃れているが、飲み込まれるのも時間の問題だ。
ラーミウは目を見開くと目前に立つ少年へ視線を戻し、彼の腕を強く掴んで聲を鳴らした。
「矢っ張り行かなくちゃ。ナジュムひとりじゃあ、間に合わないません」
少年はきょとんとしたように口を開けていたが、諭すようにそっとラーミウの肩を優しく叩いた。それは小柄な身體に不釣り合いなほど大きく、細長い手だ。少年はその手を離すと静かに語を落とした。
「問題ない。私が行く」
「え?」
ラーミウは目を瞬かせた。少年は筋肉を解すように肩を回し、手足を伸ばす。そしてその
「君は其処で大人しくしていなさい」
ラーミウの傍らで、ヤトが細長い真闇の目元に一層深い皺を寄せた。そして少年へ詰め寄り、低く聲を鳴らして云う。
「この男といい、ナジュムといい。貴方まで何を考えているのです」
「色々とさ。その子をお願いするよ、ヤト」
口許に涼やかな微笑を見せると、少年はダイフとガーダのいる方角へ
「ナジュム!
少年の聲で振り返ったナジュムの三白の眼が大きく見開かれた。あんぐりと口を開けて、唖然としている。一寸手を止めた故、横から飛び込む虚ろ狼があった。ナジュムははっとしてそれを湾刀でさばきながらやや間の抜けた聲を上げた。
「何故、貴方が……?」
「御前までヤトと同じことを云うね。参ったものだ」
呑気にも肩を竦めて見せる少年。ダイフとガーダは互いに抱き合いだがら呆気に取られた様子で少年を見ている。その後方から飛び掛かる虚ろ狼をナジュムの視界の端が捉え、珍しくも取り乱した風にナジュムは眼を剥いた。
「馬鹿!後ろ!」
少年は咄嗟に短剣を振るい、ダイフとガーダの頭上すれすれを薙いだ。その鋭い刃は虚ろ狼の大きく開けられた口から頭頂を突き抜ける。柔らかで弾力のある肉と硬い頭蓋を割る音と共に血潮の噴き出す音が鳴り響く。頭から生温い鉄錆を被る羽目となったガーダはひっくとしゃくりあげ、幼い身體を強張らせる。あまりの恐怖で聲を上げられない様子だ。少年はふう、と嘆息を零すとダイフとガーダへ呑気な聲を加えた。
「危なかった。
大丈夫な筈ないだろう、とナジュムは三白を半眼にした。湾刀を握りなおして真下で脚に取り付こうとする虚ろ狼の頸を切り裂く。湾刀を腰の鞘に収めると背に隠していた老夫の襟首で掴み上げ、ラーミウの元まで杖を付いて寄り陣の中へ放る。その様子を確認した少年も短剣を鞘へ収めると、ダイフとガーダを担ぎ上げた。小柄な肉体にそぐわぬ筋力である。少年はのらりくらりと虚ろ狼を躱しながら聲を鳴らす。
「手早く片づけよう。朝まで少しだ」
「了解」
ナジュムは短く返し、陣の外にある人人を視界に捉え、杖を器用に扱って彼等のもとへ往く。ラーミウは唖然として彼らを見守っていた。ラーミウはヤトへ視線を向けて尋ねる。
「――ヤト、あれって……」
だがその瞬間、大きく視界が揺らいだ。流石に身體が限界を迎え、足の力が失われたのである。ラーミウは我知らず膝から崩れ落ち、視界がぐるりと廻るのを見た。ラーミウは地へ叩きつけられるのを覚悟したが、衝撃は訪れなかった。気が付けば、ヤトが咄嗟にラーミウを支えたらしい。ラーミウはヤトの腕の中にいた。ヤトは貌を顰め、吐き捨てる様に云った。
「掴まってください」
「有り難う御座います、ヤト」
ラーミウは微笑み掛けるとまた、虚ろ狼の群れへ目を向け、逃げ損ねた人人を探した。その眼には
ふと地平が瞬いたのを感じ、ラーミウはその方角へ視線を向けた。
何時の間にか昊の東端から、白星が僅かに貌を覗かせていた。地平に沿って目映い黎明の光を放ち、夜の帳を
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