第15話 虚ろ狼の出現(壱)
夜が一層深まった頃。カマ村からマウジ村へ戻ったラーミウは薄暗い室の中で、
ヤトはに茶器を下ろすと、釣り上げた細長い眼をラーミウへぎろりと向けて云い放った。
「先程から何なのですか、不躾な」
「あ、すみません。つい」
ラーミウは我に返って目を伏せ、己の手元を見た。ヤトは不機嫌面をしながらラーミウを見詰めながら舌打ちをすると、座卓に膝を付いて頬杖を付いて言葉を落とす。
「まったく、猿は礼儀がなっていませんね」
「
青筋を立ててラーミウは聲を張ると、眼前に坐すヤトを睨め付けた。だがヤトは怖じけることなく、彼女の爛々と燃える砂色の向こうで肩を竦めてみて、嘲笑した。
「ジャウハラは
「……それ、ナジュムも含めてます?」
ラーミウは窓穴のそばにあるナジュムを見た。ナジュムはラーミウとヤトの遣り取りに気に留める素振りを見せることなく、腰を下ろして旅荷を整理している。明日には都へ戻るので、片付けているのである。ラーミウがヤトへ視線を戻すと、ヤトは嘆息を溢した。
「無論です。「繋ぎ」でなければ言葉を交わそうなんて思いませんよ」
あっさりと応えたヤトにラーミウは貌を引き攣らせた。ヤトは尊大な態度で腕を組み、壁に凭れ掛かった。砂色になった細長い眼は涼しげで、悪びれるような素振りはない。ラーミウは頭を抱えて嘆息を溢した。
「あなた……なんでそんなにジャウハラを見下すんですか」
「寧ろ、好いてもらえる等と思い上がれる思考がおめでたくて嗤えます。貴方がたの何処に好まれるだけの利点があるのやら。これだから猿は」
「
ラーミウは勢いよく座卓を叩き、身を乗り出してヤトへ詰め寄る。ヤトは眉根を寄せると、項で束ねられた己の髪に触れた。
「髪色?こんなのちょっと
「僕には出来ませんよ」
「嗚呼、器を持っていると不便ですね。あ、若しや
ヤトははっと鼻で嗤った。ぴくりと眉を動かすと、ラーミウは低く聲を轟かせる。
「流石に怒りますよ」
すると矢庭に、壁を強く叩く音が鳴らされ、ラーミウとヤトは口を噤んだ。音の鳴らされた方角へ視線を向けると、窓穴のそばで涼んでいたシハーブの姿。拳の当てられた石造りの壁がぱらぱらと破片を落としている。彼の貌色は悪く、形の良い眼を据わらせている。シハーブはおもむろに口を開いて云った。
「其処、五月蝿い」
余程機嫌が悪いのだろう。その低く鳴らされた聲には荒々しさがある。シハーブのかたわらで旅荷を整理していたナジュムは面を上げ、微かに怪訝な面持ちをする。
「シハーブ、未だ具合悪いのか?」
「貴方は相変わらず酔い易いですね」
呆れた風にヤトも語を加える。シハーブはぐったりと窓穴に凭れながら眉根を寄せ、やや掠れた低い聲で唸って返した。ラーミウはやおら立ち上がって云う。
「僕、水汲んで来ます。確か井戸が近くにあったら筈です」
「私も行こう」
革袋を取り出すとナジュムも杖をついて立ち上がり、ラーミウのそばへ寄る。ラーミウは「有り難う御座います」と云って共に室を出た。室の外は薄暗い居間だ。細やかな鳥紋様の刺繍の施された土色の絨毯が敷き詰められ、数個同じ色の
ラーミウたちは他の室で眠るダイフやその家族を起こさぬよう忍び足で居間を過ぎ、台所を横目に見て出口まで歩行いた。家人は
昊は夜の装いをしていた。黒の帳の上で小さな宝石が散りばめられ、ちらちら瞬いてラーミウたちを照らす。真昼の灼熱と打って変わり、ひんやりとした冷気が砂地を包みこんでいる。路端に眠るカマ村の者たちは身を寄せ合い、寒さに耐え忍びながら寝息を立てていた。
ラーミウは胴震いし、剥き出しな赤銅の腕を擦りながらダイフの家からガイム河方向にある井戸へ向かった。
矢庭にびゅうっと突風が吹き付けると、ラーミウの頭を縁取る柔らかな砂色が攫われて揺られた。ナジュムはラーミウへ駆け寄ると、彼の肩に砂避け布の外套を被せた。
「外は冷える。着ておけ」
「有り難う御座います、ナジュム」
ラーミウはナジュムを見上げ、微笑んだ。ナジュムは常の無表情で小さく頷くと、ラーミウの先を歩行き始める。寝静まった村は静かだ。風で揺られる椰子の葉の音と両人の足音やナジュムの杖を付く音だけが響き、反響する。
すると不意に、ナジュムは足を止めた。勢いよく北の方角へ振り返り、三白の眼で睨む。ラーミウは怪訝な面持ちでナジュムを見た。
「如何しましたか、ナジュム?」
ラーミウがナジュムの着物の裾を手で引くと、ラーミウもふと手を止めた。風音に混じって音が聞こえたのだ。狗の遠吠えのような音だ。それはごうごうと唸る風のような音を鳴らし、村中へ浸透させる。
ふつりと音が止んだその刹那。
ラーミウたちの視界が翳った。否。村が影に包まれたのだ。風の音も止み、すべてが暗闇の中へ落とされる。ヤジュムは三白の眼を見開き、ラーミウは息を呑んだ。
ラーミウたちの眼前には、黒黒とした獣の姿があった。眼まで黒く鋼のような黒い体毛を有する、岩のように大きな狼の群れだ。鈍く光る鋭い牙を剥き出しにして、風唸りのような音を立てており、研がれた刃のような鉤爪のある足は地と同化している。闇を具現したような狗だ。
ラーミウが茫然としていると不意に後方からヤトの聲が鳴らされた。
「――とうとう現れましたね、
「
「
ヤトが細い眼の色を深淵の色へ戻し、うっすらと妖しい笑みを溢したその時。
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