第11話 夜の民(弐)


「暑い、死ぬ」

 

 室へ通されて直ぐに聲を溢したのはシハーブである。土色の絨毯の敷かれた床に飛び込み、砂避け布を投げ捨てている。彼は全身が汗だくで、砂色の馬の尾も、しっとりとしていた。ラーミウは半眼になりながらシハーブを指差し、ナジュムを見た。

「若しかして、疲弊つかれているのって」

「まあ、此奴これはずっと貌を隠すために外套被っていたからな」

 ナジュムの言葉で、ラーミウは都を立ってからのシハーブを思い起こした。彼は常に砂避けの外套を頭から被り、決して外す素振りを見せなかった。砂避け布は風通しが良くなるよ編み方の工夫された布だが、重ね着をしているのも同然。灼熱の砂地で二重に衣を重ねるなど、暑いに決まっている。ラーミウは小首を傾いて語を続ける。

「そういえば、なんでずっと被ってたんです?」

「目立つからな。私から隠すよう言った」

「あ――……」

 ラーミウはナジュムの懸念を察して口を噤んだ。シハーブは兎に角貌がいい。彼が素顔を曝して歩行けば、村の女たちが放ってはおかないであろう。加えてただ見られるだけならよいのだが、シハーブのことだ。必ず、その女たちと遊び始めるであろう。ラーミウが呆れ顔をしながら床で寝そべる若者を見てあると、ナジュムが旅荷を床へ置いて云った。

「陽が沈んだら、荷を此方こちらに預け直ぐ北のカマ村へ向かう」

「え」

 ラーミウは意図せず間の抜けた聲を鳴らした。ナジュムは窓穴の方へ歩行き、外を覗き込む。昊の白星は西へ傾き始めており、もう間もなく夕暮れ時である。ナジュムは北方を見据えると静かに語を次ぐ。

「白星が隠れている方が夜の民ザラームと遭いやすいんだ」

「そうなんですね……」

「今誰もいない村だから、気を引き締めていこう」

 ナジュムの言葉に、ラーミウはきょとんとした。床の上で寝そべるシハーブはナジュムの語を解しているのか、嘆息混じりに「はいはーい」と返事をした。ラーミウは小首を傾いで彼らを見た。

 

「……ん?」




 

 彼の言葉がラーミウの中で明瞭はっきりと解されたのは夜の帳が下ろされてからである。ラーミウたちは陽が沈むと直ぐに徒歩で北へ向かった。そしてカマ村へ到着して直ぐ、ラーミウは眼を据わらせた。

 

 (あゝ、「」ってこういう意味か)

 

 ラーミウは嘆息を溢し、身構えた。ようは空き巣である。「蝕」で人が不在なのを好機と捕らえたのであろう。窃盗団のようで、二十人は過ぎる屈強な者たちがラーミウたちへ心付き、眼を爛々とさせて立ちはだかっている。そのひとりの、頭領と思われる男がざらざらとした音を鳴らして云った。

「あん?村の奴らか?」

「否。ただの通行者だ」

 きっぱりと云い切るナジュムに、窃盗団の者たちは眉間の皺を寄せる。頭領の男はナジュムたちの貧しくはない服装みなりや携えている湾刀を見るとにやりと嗤った。

「通行者だが何だか知らねえが、身包みは置いて行け。そうしたら命だけ捕らねえ」

「おー、お決まり文句来たねえ」

 返したのはシハーブだ。涼んで回復したのか、喧嘩が許可されて喜んでいるのか、シハーブは実に活きゝゝとしている。ナジュムはシハーブの耳を強く引くと、低く言い放つ。

「余計なことを云って事を荒立てるな」

「痛えよ、わーったから離せ」

 シハーブが何度も強くナジュムの腕を叩くと、ナジュムはようやく手を離した。シハーブは痛む耳を抑えながらもナジュムを見て語を加える。

「でもナジュム。あれはやっていいんだろ?」

 シハーブはくいと顎で後方に居る盗賊たちを指す。ナジュムは一寸己たちの方角へ寄ろうとする盗賊へ視線を向け、直ぐにシハーブへ視線を戻す。そして眉ひとつ動かすことなく頭を縦に振ると、低く聲を鳴らした。

「先程も云った通り手早くな。目的は夜の民ザラームとの接触だ」

 

承知オッケー

 

 と云い終えるや否や、シハーブは勢いよく飛び出し、高く跳躍した。彼の足が頭領の頭上に振り落とされ、頭領が苦虫を噛み潰したような聲を上げたのを確認すると、ラーミウとナジュムも窃盗団の懐へ這入った。

 ラーミウは数人を蹴り上げ、数人の肚に拳を打ち込む。ナジュムは器用に杖で身體を支えながら手で男たちを往なし、すり抜けた者たちは片手で掴んで叩きつけた。ナジュムはシハーブの方へ視線を向けると低く一喝する。

「おい、遊ぶな」

「はいはーい」

 軽々と躱しながら相手を弄んでいたシハーブは突として立ち留まり、眼前の男の鼻へ拳を見舞った。その者が崩れ落ちると、それを踏み台にして跳躍し、その傍らにあった者の頭上へ足を振り落とす。この者もまた、シハーブが無駄に走らせた者である。シハーブは転がった盗賊のひとりの足を掴むとそれを振り上げて聲を鳴らした。

「ほらよっと!」

 数人の男の上へそれは振り落とされ、悲鳴が轟かされる。それを見てナジュムは小さく嘆息すると、後方より忍び寄っていた者へ肘打ちして無力化した。

 ようやく残り三、四人にまで削れると、ラーミウはナジュムの傍らへ寄った。後はシハーブひとりに任せてもそう時間は掛からぬと思ったのだ。ラーミウは息を付くと、ナジュムへ聲を掛けようとした。

 だがその刹那。矢庭にラーミウたちの足許に長い陰が伸ばされた。それは形を定めず、ゆらゆらと揺らぐ影だ。影そのものが息衝いているようにも思われる。その影に残りの盗賊も心付いたらしい。動きを止め、ラーミウたちの後方を見て目を剥いた。

 

「お、おい。あれ……」

 

 胴を小刻みに震わせながらラーミウの指差す盗賊の怯えきった貌に、ラーミウは息を呑んだ。その傍らでナジュムは三白の眼を見開き、盗賊の指し示す方角へ振り向いている。ラーミウもまた恐々おそるおそる振り返ってナジュムの視線の先を追い、後方に立つ者を見た。

 椰子の樹下にその者はあった。すらりと靱やかな白い身體に袖の長い黒衣を纏った者だ。その者の項で束ねられた長い髪は真玄。表情を読ませぬ細長い眼には深淵の常闇が塗り籠られており、白目がない。

 男にも女にも見える。若者にも年寄りにも見える。美醜というもので測るのを赦さぬ様相で、見るものの眼を惹き付けて止まない。その玄の髪の者は白い貌の上でうっすらと微笑を浮かべると、しんとした聲を鳴らした。

 

「おや。本当に来たのですねナジュム」

 

 性別を感じさせぬ聲で、聞いたこともないような澄みきった音だ。ラーミウは語を失い、ただただその者へ魅入った。ジャウハラの民とは一線を画す存在――ラーミウの直感がそう囁くのだ。

 僅かに眉を動かすと、ナジュムは姿勢を正し、低く深い聲で応じた。

 

「久方ぶりだな、守司もりづかさ夜刀ヤト

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