第10話 夜の民(壱)
ガイム河はこの帝国で最も大きな河だ。北方の高地より細やかな支流を作りながら砂原に浮かぶ雄大な緑地を南北に抜け、遠い南方の
ラーミウは都よりガイム河沿いを北に進んだ小さな村マウジを訪れていた。都と異なり、細々とした村で、小さな砂土色の石造りの建物が寄り集まっている。転々と聳え立つ椰子の間を通り抜ける見慣れた赤銅の
ふと視界の端が映ったものにラーミウは瞠目した。
(何だ……?)
其処には、路端に坐す数人の人人があった。彼等は
(貧しい者にはあることとは言えるけど)
数人の貧しい者が路上で暮らすことは多々ある。だがその数がやけに多いのだ。村の民と同じくらいの数があるようにも思われる程の数なのだ。ラーミウが貌を顰めて彼等を眺めていると、ナジュムは路上の光景を気に留める素振りを見せること無く、眼前を過ぎていた身なりの良い男を呼び止めた。
「旅の者だが、室を貸してもらえるような場所はなかろうか」
「
魚露目の特徴的な、中肉中背の五十前後の男だ。質の良い土色の着物を纏い、砂色の髪には艶がある。ダイフはぎょろぎょろと大きな砂色の両眼を和らげると、行く手にある石造りの家屋を指し示した。あれがダイフの家なのであろう。他の家に比べると大きさがある。ナジュムは両手を上げて正式な礼をすると、静かに聲を鳴らす。
「それは助かる。私はナジュム。其処の両人は私の連れで、ラーミウとシハーブという」
ダイフの魚露目がナジュムの後方に佇むラーミウとシハーブへ向けられた。シハーブは頭からすっぽりと砂避け布を被って貌を隠したまま、ひらひらと手を振る。ラーミウはそっと砂避け布を頭から下ろし、爛々と瞬く砂色の眼を伏せて目礼した。ダイフはまたナジュムへ視線を向けると、やや驚きを含んだ聲で云った。
「建国祭が近いというのに、都から離れる旅人とはまた珍しい」
「野暮用でな。世話になる」
「
すると、ダイフの足許へ幼兒が駆け寄った。大きな眼をきょときょとさせた
ナジュムたちが
「これは私の孫娘で、ガーダという」
ガーダはダイフの腕の中でにっこりと貌を綻ばせ、ラーミウを指差して云う。
「おにいちゃんのお衣装、とってもきれい。それは虹鷹さんとお星さま?」
幼兒から見ても、ラーミウは若く見えるらしい。ラーミウは苦笑を混じえながらも、細やかに鳥と星の刺繍の施された着物の裾を少し持ち上げて云った。
「そうだよ。旅の間、昊にお守り下さいってお願いするために刺繍するんですよ」
ジャウハラの民の日常着は、土色一色で、刺繍は施さない。それは砂の帝国の砂土より彼等が象られたことを表す衣装だ。だが、旅の者はその裾に白、赤、青、緑の四色の糸を用いて刺繍を施す。旅の途中、誤って砂原へ彷徨ってしまった際、この刺繍を頼りに白星と虹鷹に見付けてもらう――そういう願いを籠めての刺繍だ。
ナジュムはダイフの傍へ寄ると、聲を潜ませて問うた。
「
ナジュムの三白眼は路端に暮らす人人へ向けられている。ダイフはナジュムの視線を追うと「あゝ」と聲を溢した。
「この村より北の、カマ村の連中さ。其処ではどうやら連日「蝕」らしくてね。「蝕」が収まるまでああやって路上で暮らすのを赦してるのさ。
ダイフは心より忌避している様子で、聲を上擦らせている。
ダイフの腕の中でガーダは不思議そうに祖父のぎょろぎょろした眼を見詰め、小首を傾いだ。
「
「白星さまに逆らって、私たちのように器を持たせてもらえなかった穢れた奴らのことさ。いつも言っているが蝕が起きたら決して外に出てはならんぞ、ガーダ。奴らに囚われてしまう」
「つかまっちゃうとどうなっちゃうの?」
「砂原の中をひとり彷徨い、何処へも還れなくなるのさ」
「死んじゃうってこと?」
「それよりずっと恐ろしいことさ」
「やだ!こわい!」
ガーダは大きな眼に涙を浮かべて貌を蒼褪めさせていた。ダイフは怯えるガーダの頭を撫でて宥めながら、ナジュムへ魚露目を向けた。
「それよりあんたら、北へ向かっているようだが……真逆、その蝕の起きている村へ行こうなんて無謀なことを考えているんじゃあないか?危ないから止した方がいい」
ダイフの問いに、ナジュムは黙して応えた。ダイフは呆気に取られた様子でナジュムやラーミウ、シハーブを見る。彼の反応はごく普通のものである。蝕が起これば村から逃げる者もあるほどに、ジャウハラの民は
ダイフの視線がナジュムへ戻されると、ナジュムは静かな聲で云った。
「それよりも室を貸してもらえるだろうか。連れがだいぶ疲れていてな」
ラーミウは目を瞬かせた。今の処、誰も疲弊しているように思われなかったからだ。ラーミウは眼だけでナジュムへ問うと、ナジュムは応えない。その傍らでダイフは相変わらず困惑顔をしたまま返す。
「
「かたじけない」
ナジュムが短く返事すると、ダイフは三者を彼の家へ誘った。
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