第09話 繋ぐ者(参)


 ふたたび外へ出た時には、群青の昊で白星が天頂近くで目映い光を落としていた。ガイム河沿いは一層に賑わいの様相を見せており、上から見れば砂土色の蟲が蠢いているように見えるほどだ。

 

 ラーミウたちは旅に必要な品々を買い求めていた。

 

 持ち運び用の食料や水を入れて運ぶ為の革袋、歩行あるき易い沓、着物、砂除けの外套等。その多くは既に各々持ち合わせていた物だが、綻びのあるものは取り替えるため買い求めた。ラーミウたちのある場所が都で最も大きな市であるのもあり、直ぐに良質な品々を手に入れることが出来た。

 駱駝貸しから駱駝を手配すると、ラーミウたちはようやく一息を付いた。ラーミウがナジュムとシハーブと共に河縁で坐って乾燥椰子デーツを頬張っていると、ふたりの女が傍へ寄ってきた。

 

「あら、シハーブじゃない?」

 

 両人とも二十前後の若い女で、身體に柔らかな輪郭を描いている色香のある女たちだ。おそらく春を売る女たちで、襟元を緩めて胸元を覗かせている。彼女たちはシハーブの横へ坐すと、人前であろうと構うこと無く後ろからシハーブを抱き留めた。シハーブは彼女の貌を見上げると、にやりと妖しい笑みを溢した。

「なんだ、ファラとナルジスじゃん。こんな真昼にうろついているなんて珍しい」

「偶にはそんなこともあるさ。それよりも昨日遊びに来なかったじゃない。今日は来るのかい?」

「暫く難しいかなあ」

「ええ、どうしてよ?」

「仕事だよ。こわーいおじさんのお手伝い」

 シハーブの眼差しがナジュムへと向けられる。ナジュムはラーミウの傍らで駱駝へ水を遣っており、やや眉根を寄せて貌を顰めている。ナジュムを見て女たちは解したのか「あゝ、ナジュムの旦那のね」等と語を落としている。女たちは実に残念そうにシハーブに頬擦りをすると片方の女が猫撫で聲で云う。

「じゃあ、このあと一緒にどうだい?偶には昼間からでも」

「え――、どうしよっかなあ」

 とへらへらとシハーブが嗤うと眼前で彼等は接吻等を交わし出す。ラーミウは思わず眼を剥き、坐ったまま後退った。するとやおらナジュムが寄り、シハーブの襟首を杖の持たぬ方の手で掴んで女たちから引き剝がした。女たちが不満げに聲を鳴らすが、鋭い三白の眼で見下ろして黙させる。ナジュムは眉間の皺を険しくすると低く云った。


「おい、シハーブ。油を売るな」


「へーへい」

 シハーブは唇を尖らせてナジュムから貌を背けている。ナジュムは呆れ顔でシハーブの襟首から手を放し、女たちへ向き直って云った。

「済まないが、此奴これには仕事がある故、今日はこの辺りで」

「仕方ないねえ。そうだ、ナジュムも今度一緒においでよ。奉仕サービスするよ」

「そこの新顔のお兄さんも」

 女たちは立ち上がると、今度はナジュムとラーミウの腕に態とらしく胸元をその逞しい腕に当てて絡みつく。ラーミウは忌避感で貌を歪め、語を失った。腕を抱く女はにやにやとラーミウを見て嗤っている。だが対してナジュムは眉ひとつ動かさない。腕を振り払うこともなければ、視線を腕へ送ることもなく淡々とした聲を鳴らした。


「結構だ」


「……そうかい」

 きっぱりと云い切るナジュムに女たちは貌を引き攣らせた。ナジュムが続けて静かな聲で「手を離してはくれぬか。其方そっちのも」とラーミウたちの方へ視線を向けて云う。女たちは暫し貌を合わせると、肩を竦めてナジュムとラーミウから身を離した。「実は不能なのでは」「男色なのかもしれない」等と彼女たちは耳打ちしあうが、ナジュムはまったく気に留めた風もなく杖を付いて離れていく。

 シハーブへ「またね」と云って彼女らが雑踏へ消えていくのを見届けると、ラーミウはナジュムを見上げた。すると、ナジュムは耳を真っ赤にしていた。

 

「……若しかして、あの女人の前では恥ずかしくて格好付けてました?」

 

「……悪いか。」

 

 その聲には羞恥がある。ナジュムは恥じるように貌を手で覆って云う。

「目を離すと直ぐにあれだ。ふらふらと遊び回り、賭け事をしたと思ったら喧嘩をして戻って来る」

「とんだク……自由人ですね」

 屑と云い掛けてラーミウは咳払いをした。シハーブの耳にラーミウの聲が届いていたらしく、ラーミウの横で彼はからからと嗤った。ラーミウはまたひとつ咳払いをすると呆れを含んだ聲で云う。

「顔が悪かったら確実に女に嫌われる性質ですね……」

「そりゃどーも」

「そこ、まったく褒めてないですよ」

 きっぱりと云い切るラーミウに、シハーブは愉快そうにまた肚を抱えて嗤う。ラーミウが不快そうにしていると、シハーブは口端を持ち上げて云った。

「この街に訪れて半年だけど、今の処恨まれる様な事態は起きていないんだからいーじゃん」

 そういう問題ではないのだろうが、これ以上の追求は時間の無駄である。ラーミウは嘆息を落とし、話題を転換することとした。

「そういえば、定住の者じゃないんですね」

 何時の間にか落ち着きを取り戻したらしく、ナジュムは小さく縦に頭を振り、低く聲を鳴らした。

あゝ、私も含めて転々と居処は変えている」

「ふうん?」

 何故家を定めないのか、何故共に行動しているのか。様々な疑問がラーミウの脳裏に過ったが、ラーミウはそれを語にすることを止めた。あまり他者ひとの事情を詮索するのは好ましい事ではない。ナジュムは嘆息すると、シハーブの横へ坐し、水の入った革袋を傾けて喉を潤す。

 ラーミウはふと、ナジュムの横顔に既視感を覚えた。涼やかな三白眼の凛々しい美形だ。だがそのような知人をラーミウは持った覚えはない。ラーミウは密かに小首を傾いだ。


 (何処で見た貌だったっけ……)


 すると、ナジュムがやおらラーミウへ三白の眼を向けた。あまり不躾に凝々じろじろと見詰めすぎたか、とラーミウは冷や汗を額に伝わらせる。だがナジュムは相変わらずの真顔で、淡々とした聲を鳴らした。

 

「路順について説明しておく」

 

「え?あ、はい

 意図せず気の抜けた聲を鳴らし、ラーミウは僅かに貌を赤らめた。ナジュムは気に留める風もなく懐から地図を取り出し、ラーミウとシハーブの間に広げて置いた。

 砂の帝国の地名やそれを囲む砂原、間を通る河等が描かれている。ナジュムはそっと都を指差す。


「私達は現在いま、此処にある。数日前に私が夜の民ザラームを確認したのは都より二日歩行いた先の集落のそば……ここだ」


 ナジュムの逞しい指がガイム河沿いに北へなぞり、集落の印のそばに止まる。其処は砂原の及ぶ場所で、人間ひとの暮らす場所ではない。ナジュムは低く語を加える。

夜の民ザラームは白星を避け砂原を渡る流民だ。故に居処を定めぬ。だが、移動したとは聞いていない。未だこの辺りに居るだろう」

「場所、把握してあるんですね」

 ラーミウが目を瞬かせいると、ナジュムは静かに頭を縦に振る。そして密かにラーミウに届かぬ静かな聲でナジュムは語を落とした。

 

「私はだとしても、「繋ぎ」だからな」


 

 翌朝、ラーミウたちは都の街より北方へ旅立った。

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