第08話 繋ぐ者(弐)


 ナジュムは三白の眼をまた一度だけ瞬きすると、ラーミウへ静かな聲を投げかけた。

 

彼方そちら何方どなたで?」

 

 その鋭い眼光にラーミウはごくりと固唾を呑んだ。されどラーミウは直ぐ様我に返り、姿勢を正して両腕を持ち上げ、一礼する。


「突然の来訪で失礼いたします。僕は翡翠族ヤシュムのラーミウ。カリーマ様から貴方様を紹介されまして伺いました」


「カリーマの?」

 ナジュムは眉を顰めると葦笛を奥の戸棚へ片付け、杖を突きながらラーミウのそばへ寄った。近くで見れば壁のような男である。あまりの巨大に、ラーミウは冷たい汗が伝うのを感じる。すると、両人の間へ割り込むようにしてシハーブが割って這入り、静かに聲を鳴らした。


「ナジュム、「繋ぎ」関連の依頼」


「あ、あゝ。成る程、宮の関係者か。

 ナジュムの言い振りに、ラーミウは貌を顰めた。だが、ラーミウの尋ねる隙はなかった。ナジュムが室の奥から卓子テーブルや椅子を引っ張り出すことに専念し始めたのだ。杖を突きながらも何とも器用だ。ナジュムは椅子に被った埃を手で払うと、ラーミウのそばに置いた。

「よかったら掛けてくれ。散らかっているが……簡単な茶くらいなら出そう」

 と云って今度は戸棚を漁り茶器を出している。何処からどう見ても倉庫なのだが、よくよく見ると水瓶や畳まれた衣服と日用品が片隅に置かれている。ラーミウは小首を傾ぎながら尋ねた。

「……此処に棲んでいるんですか?」

「殆どそれに近しい。酒場で演奏をして金を貰う次いでに、室も貸してもらっている」

「へえ。楽器を嗜むんですね」

 ラーミウは室内をまた見回した。あの店主の肥え具合を考えるに、元より金持ちなのか余程商売が上手く行っているかのどちらかだ。どちらにせよ、楽器を収集するだけの余裕があるのは間違えない。ナジュムはふと、ラーミウへ振り返り、低く聲を鳴らした。

「それと、固くならなくてよい。もっと砕けた調子で構わん」

 ナジュムは視界の端に棚のそばに埃を被った卓子テーブルを見出すと、それを発掘してラーミウの前へ置く。その上に茶器を並べ、椰子の実デーツを添えると、またラーミウへ三白の眼を向けた。

「敬われる様な身分の者ではない」

 ラーミウは数瞬砂色を瞬かせると、変わらない畏まった態度で返した。

いえ、癖のようなものですから気になさらないで下さい」

「そうか」

 眉ひとつ動かさずあっさりとした短い返答をすると、ナジュムはラーミウの正面の席に杖を付いて腰掛ける。その後方でシハーブが直接床に胡座を掻いて坐すると、ナジュムは卓子テーブルの上で両の手を組み、静かに聲を鳴らした。

 

「さて、本題に這入ろう」

 

 その真っ直ぐな三白眼に、ラーミウは息を呑んだ。卓子の下で拳を強く握ると、ラーミウは姿勢を正しナジュムへ視線を向け返した。その眼にはいつもの爛々とした光が灯されている。顎を引くと、ラーミウはしんとした聲で云った。

「あなたはジャウハラの民と夜の民ザラームを引き合わせることができると聞いています」

あゝ。私にはその許可を得ている」

 ナジュムはやおら己の懐に手を差し入れ、首輪の紐を括り付けた黒石を取り出す。幼兒の手の指程の大きさで、ラーミウの識らない様相をした美しい宝石だ。ナジュムはその黒い宝石を卓上へ置くと、おもむろに口を開く。


「これは私を「繋ぎ」と認める証。夜の民ザラームより預けられた「鏡」だ」


 ラーミウは口を噤んでじっとその「鏡」を見詰めた。その黒石はとても「鏡」には見えない。黒曜石や黒瑪瑙とも異なる、深淵の闇を閉じ込めたような真黒の石で、すべての色を取り込んでその表面には何者も映さない。視線をナジュムへ戻すと静かに語を加える。

「それは、僕のような他者も連れていける許可も含まれていますか?」

「私が良しと判じ、そして彼らも是とした場合のみ、対面は叶う」

 ナジュムのしんとした聲と動じること無い三白の眼に、ラーミウは固唾を呑む。ラーミウは卓下で強く拳を握ると、静かな聲で返す。

「僕は、あなたの目から見て「良し」とされますか」

 ラーミウは眼を揺らがさず、確固しっかりとナジュムを見据える。対するナジュムの三白眼もまた、鋭さを増し、しんとした冷たさを宿す。ナジュムはおもむろに口を開いて問うた。

 

「君の目的を問おう」

 

「僕の目的はひとつです。――救いたい。現在いま苦しむ白鏡様を開放し、そして将来これから起きうる災を未然に防ぎたい」

「何故、君が?」

「僕もまたジャウハラの民であり――僕にはからです」

 瞬刻の間、両人の間に静寂の空気が落とされた。相変わらずナジュムは眉ひとつ動かさず、冷ややかな面持ちをしてラーミウを見据えている。そのかたわらでシハーブは頬杖を付いて両者を見ると、ついと視線を逸らした。それを合図としたかのように、ナジュムは静けさを破った。


「まあ、いいだろう。どちらにせよ、だ。遅かれ早かれ、君のような者が訪れることは覚悟していた」


「それはどういう……?」

 ラーミウが怪訝な面持ちをするが、ナジュムはやおら卓子に手を掛けて立ち上がる。杖をつきながら室の奥へゆき、棚をの傍らから何かを持ち上げる。ラーミウは目を凝らすが、薄墨の中に溶けて見いだせない。ナジュムがつかつかとラーミウの方へ戻って来ると、ようやくオイル・ランプの灯火がゆらいで一振りの湾刀を映し出した。質素で古びた青銅の湾刀だ。ナジュムはラーミウのかたわらへ寄ると、静かに云い放った。

「会うのは早いほうがいいだろう」

「え、えゝ

現在いま夜の民ザラームは少し離れた処に居てな。其処まで遠くはないが、旅支度が必要になる。旅の荷物及び駱駝の手配を今日中に片付ける。それでいいか?」

「そうしてくれるなら、願ったり叶ったりです」

 

「承知した。シハーブ、御前も付き合って貰えるか?」

 

 ナジュムは後方に坐すシハーブへ三白の眼を向けた。シハーブは足を支えに頬杖をつきながら、ナジュムをじっと見上げる。其処には何時もの妖しい笑みはない。シハーブはアーモンド形の眼を涼やかに伏せると、おもむろに立ち上がった。すたすたと卓子テーブルのそばに寄ると低く聲を鳴らして応じる。

「どうせ、の手伝いとだろう?」

あゝ

 ナジュムが云い終えた瞬間、シハーブは音に鳴らされる程の深々とした吐息を落とした。突然の態度にラーミウは狼狽し、シハーブを見入った。ラーミウの視線の先でシハーブは眉根に皺を寄せ、吐き捨てるように云った。

「俺、苦手なんだよね」

「すまん」

 ナジュムは小さく頭を垂れる。先程までの冷静な様相を失い、何処か動揺の色を三白の眼に籠めている。いったい何の会話をしているのか解せず、ラーミウは両者を見比べた。だが彼の疑問には誰も応じない。シハーブは呆れた風に嘆息するとナジュムの頭に軽く拳を当てて云った。


「別にいーよ。ほら、さっさと支度しようぜ」

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