第07話 繋ぐ者(壱)


 ラーミウはガイム河沿いに歩行あるいていた。

 昊はすっかり群青の様相を取り戻しており、白星は燦々と瞬いている。故に地上は茹だるような熱気に包まれている。土色の街並みには幾人ものの赤銅の人人が既に溢れかえり、日常の傍らで建国祭の支度をしている。

 ラーミウが視線を前方へ向けると、先を往く若者の姿。癖のない砂色を馬の尾を揺らしている。彼は気怠そうに欠伸をしながらぶらぶらと進み、時おり市の店の前に立ち止まっては何となしに店棚に並ぶと肉や魚、果実を眺めている。中には宝石や反物の店もあり、凝々じろじろと見詰めた後、つまらなさそうにその場を離れてまた進む。

 シハーブは憎らしい程の美男子である。路往く男女は必ず彼の横で必ず立ち止まり、ちらちらと視線を投げかけながら忍び聲で語を交わしている。シハーブもそれには心付いているらしく、その対象が若い娘や美丈夫であれば態々わざわざにこにこと笑顔を作って手を振り返している。時おり足を留めて、ラーミウの存在を忘れて愉しげに言葉を交わし始めまでする。

 その光景にラーミウは一寸ことばを失い、貌を引き攣らせるが、直ぐ様我に返り数度左右に頭を振った。苛立っても生まれ持ったものは致し方のないことである。姿形であれ、性質であれ。ラーミウは嘆息を溢すと、やおらシハーブの横へ駆け寄って云う。


「単純な興味なのですが、ナジュムとはどの様な方なのですか」


 ラーミウの視線の先で、シハーブは数度目を瞬かせた。それから直ぐに考える素振りをし、


「生真面目で、不器用で――残念な奴?」


 と云って肩を竦めてみせた。シハーブの言い振りに、ラーミウは貌を顰める。このシハーブに残念と云われるとはいったいどの様な男なのか。ラーミウは何となしに語を次いだ。


「お若い方ですか?それともお年を召した方?」


 ナジュムを紹介したのは老婆のカリーマ、ナジュムの元へ案内しているのは十代半ばと思われるシハーブ。年齢の予測が付き難い組み合わせである。シハーブは眉根を寄せて悩むように唸り、やんわりと聲を鳴らす。


「今年……四十とか四十五とかだったと思うけど。それを年寄りとすんのかしねえのかは人によるんじゃない?」


「へえ、白鏡様と同じ年齢の人なんですね」


「国王の年齢なんざ初めて知った」


「君ねえ……」


 ラーミウは呆れ顔を浮かべると、シハーブは不意に立ち止まった。彼の視線を辿ると、其処は路端の酒場だ。シハーブはおもむろにその酒場へ向けて足を進め、店の入り口を覗き込んだ。ラーミウも彼の後に続き、覗き込む。すると矢庭にシハーブが聲を鳴らした。

 

「旦那、ナジュムいる?」


「おや、シハーブじゃねえか」

 駆け寄ったのは酒場の店主である。恰幅の良い男で、年齢よわいは四十後半といったところか。早く薄毛になったやうで疎らな細い砂色が頭上を縁取っている。店主は己の視界にラーミウを認めると小さな砂色の眼を瞬かせた。そしてちらちらとラーミウを伺いながら、

「御前さんが男をひとりだけ連れて来るとか珍しいじゃねえか。たいてい複数連れて来るか御前さんひとりなのによ」

 とシハーブへ耳打ちする。シハーブは眉間に皺を寄せると、店主の肥えた肚へ肘打ちを入れた。


「たいていって何だ。あんたと俺はたったの半年の付き合いだろうが。てか此奴こいつは好みじゃねえよ。見りゃ分かるだろ」

「はあ……確かに、何時もと毛色が違うね」

 店主の視線はラーミウの容姿に留められている。あまりに凝々じろじろと頭頂から爪先まで観察されて気不味くなり、ラーミウは砂色を半眼にして低く聲を鳴らした。


「あの……怒りますよ?」


「いや、すまんすまん。兄ちゃんみたいな普通なのを連れてくるの、シハーブにしては珍しいなと。此奴が連れてるのってもっとこう派手な奴で……」

 焦って取り繕うように、店主は乾いた笑い聲を溢す。ラーミウは傍らに立つシハーブへ鋭い眼光を向け、更に低い聲で尋ねる。

「君、何時も何してるんですか」

「勝手に付いてくるんだよ」

 けろりと返すシハーブに、ラーミウは拳を強く握りしめたが振るうのを堪えた。この酒場は大通りに面している故、流血沙汰になれば厭でも目立つ。それでも黙してはいられず、拳の代わりにラーミウはにっこりと微笑むと殺気を込めて


「いつか刺されて野垂れ死ね」


 と言葉を吐きつけた。シハーブは肩を竦めると、口端を持ち上げ、けたけたと嗤う。ラーミウは一層眉間の皺を寄せて、矢張り一発拳を見舞ってやろうか等と思案する。ふとシハーブは嗤うのを止め、店主へ問うた。


「で、ナジュムは?」


 店主は「あゝ」と聲を上げ、上を指差して返す。

「ナジュムなら上の室で練習してんよ」

承知オッケー、お邪魔すんよ」

 店主が「構わんよ」と返すや、シハーブはくるりと店主へ背を向けると店の外へ出て裏手へ向かった。店のすぐ横に通る路地側に上へ上がる土色の石段があるのだ。迷いなくシハーブが石段を上へ上がってゆくと、ラーミウも急ぎ彼の後を追った。その階段の行き先には土色の空間が続いていた。あるのは三、四の個室とその前を通る廊下である。シハーブは最奥の室まですたすたと進み、出し抜けに聲を鳴らした。


「ナジュム、開けるぞ」


 返事はない。だがシハーブは構わず戸を開ける。ラーミウも続き、恐々おそるおそる室を覗くと、其処は薄暗い小さな室である。幾つものの楽器の仕舞われている処を見るに、保管庫であろう。数台の皮張りの太鼓が直接置かれ、長机には数本の撥弦楽器カーヌーン擦弦楽器ラバーブそして玄を奏でるための弓が立て掛けられてある。

 するとそれらの楽器に囲まれた室の奥で、ひとりの人陰が揺らいだ。薄墨の闇で蠢いたその陰はそばに置いてあったオイル・ランプで照らしされて姿が定かになる。

 それは葦笛を片手に持った四十半ば程の男であった。上背があり、戦士ではなかろうかと思われるほどの鍛え上げられた肉体をしているが、左足のない男だ。顔貌は悪くない。シハーブのように綺羅びやかな美男子ではないが、これまた美形な顔立ちである。形の良い頭部を縁取るようにして砂色を刈り上げ、重たい一重瞼の下に鋭い三白の眼を光らせている。

 

 (あれ、この人……?)

 

 ラーミウは一寸貌を顰めた。彼のその眼に既視感があるのだ。いったい何処で見たのかと思いだそうにも思い出されない。ラーミウが思案していると、その男は三白眼をシハーブへ向けて低く深い聲を鳴らした。


「シハーブ?」


「よ、ナジュム」

 すかさずシハーブが片手を上げて返事をすると、ナジュムと呼ばれた大男の三白の眼がシハーブの後方にあるラーミウへ向けられた。

 

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