第05話 出会い(参)


 しんとした静寂が室の中に下ろされた。窓穴から差し込む白光びゃくこうが小さな光の粒となってゆらゆらと揺らがれている。されどラーミウは視線を逸らすことなく、カリーマの瑠璃を見据えている。カリーマの瑠璃は揺られることはない。まるで既に予想していたかのような様相すらある。

 カリーマはラーミウの横へ坐すと静かに聲を鳴らした。

白鏡しろかがみさまの具合が良くないんだね」

はい。故に、民への影響も考えられます」

 ラーミウは貌を曇らせ、俯いた。昊の白星しろほしを司る白鏡しろかがみの不調は、光の翳りと虹鷹の雨の乾きを意味する。昊の光と恵みを失えば、鳥獣も草木もそしてジャウハラの民も生きてはいけない。カリーマも瑠璃を伏せると、低く聲を鳴らした。

「その影響で最も恐れられるのは」

 

虚ろ狼うつろおおかみの出現と還砂病かんさびょうの流行」

 

 遮断さえぎるように応えたのは矢張りラーミウ。カリーマは徐々ゆっくりと頭を縦に振ると、窓穴の外へ視線を向けた。群青の昊には虹鷹の呼んだ鈍色にびいろの雨雲が流れている。その隙間から燦燦と照り付けている白星。それは現在いま過去むかしも変わらぬ目映さを放っているように思われる。カリーマは零すように語を落とす。

「いずれも白鏡さまが健在であれば起きないことだね」

はい。そして起き次第手を打たねばなりません」

「けれど、直接的な解決策は白鏡さまが回復なさるか」

「次代がお生まれになるか、です」

 ラーミウの応えにカリーマは黙し――瑠璃をまたラーミウへ向けた。

「白銀の眼を持つ者を探していると云ったね。何故、金剛石族アールマスの児童を見て回らない?白銀の持ち主と云えば、金剛石族アールマスで生まれるものだろう」

 

「僕が探しているのは次代ではなく、です」

 

 ラーミウの言葉には迷いというものがない。曇りなく真っすぐだ。カリーマが動じる素振りを見せることはない。それはラーミウの真の意味を解しているということを指す。されどしんとした瑠璃に鈍い光を灯して、敢えて問う。

「今代の白鏡さまは宮におわすだろう」

「白鏡さまがおっしゃったのです。何処かに金剛石持ちがいると」

「その意味を識っておいでかい?」

「……いえ

 ラーミウはカリーマの瑠璃から眼を背け、唇を嚙み締めた。カリーマは苦笑するとそっとラーミウの手に手を添える。ラーミウの手は強く握られていた。カリーマはラーミウを宥める様にその拳を優しく撫でて云う。

「まあ。宝石持ちのことにしろ、白星さまや三珠についてのことにしろ、あたしたちは何も識らないからね。故に、事が起きた際に根本的な働きかけができない。無知とは恐ろしいものだ」

 カリーマの瑠璃へ、ラーミウは視線を向け直した。カリーマは寂しげに瑠璃を細め、苦々しく微笑んでいた。その表情の意味をラーミウは知らないが、何かを知っていることは確かである。ラーミウはカリーマの手を強く握って詰め寄った。

「カリーマ様は何かご存知で?」

いや、真の事はあたしには知らされない。あたしには語ってはくれなかった」

 カリーマの瑠璃は一層悲哀の色を浮かべる。ラーミウは眉根を寄せ、小首を傾いだ。離れた場所でシハーブが呆れた風に深く嘆息を落とし、小さく舌打ちをしている。ラーミウは一層眉間の皺を増やし、静かに尋ねた。

「……どういう意味ですか」

「そういうことは、より詳しく相応しい者がある。きっと御前さんの探すものに関して、すべて知っている者だ。その者に尋ね、御前さんなりの答えを見付けなさい」

「それはいったい……」

 

夜の民ザラームさ」

 

 カリーマの発した語にラーミウは息を呑んだ。夜の民ザラーム。それは砂原の帝国で生きる民でありながら、ジャウハラの民と異なる存在。両の民は互いに干渉することのなく、誰もその姿を見たことはない。眉を顰めながらラーミウは怖々おずおずと聲を鳴らす。

夜の民ザラーム……?けれども、僕たちジャウハラの民と夜の民ザラームは言葉を交わすことを赦されません。それに夜の民ザラームといえば……」

も己の目で確かめると良い。――繋ぐ者がある。ナジュムという男だ。彼ならば、ジャウハラの民を夜の民ザラームの元へ誘うことができる。今は丁度出掛けていて不在だが……」

「俺が案内しよう」

 カリーマの語を遮断さえぎったのはシハーブ。赤銅の中で口端を吊り上げているというのに、鳴らされた聲は何処かしんとして静かだ。カリーマは暫しシハーブをじっと見詰めて瑠璃を瞬かせると、ようやく聲を発した。

「良いのかい?」

「カリーマは膝、悪いだろう?偶にはばあちゃんの手助けをしてやろうと思ってね。泣いて喜びなよ」

 その語調には嘲りが含まれている。ラーミウがシハーブのあまりの言い振りに愕然としていると、カリーマはよよよと泣くような素振りをして応じた。

「確かにその優しさに涙が出るね」

「へへ、ばばあへやで大人しくお寝んねしてな」

 すると矢庭にけらけらと嗤うシハーブの頬をカリーマは勢い良く抓り、瑠璃の眼に爛々とした殺気を籠めた。

「この口、縫い付けてやろうかね」

「カリーマ、マジの目は止めろよ。一寸ちょっと揶揄っただけじゃん。心狭いなあ」

 シハーブがやや貌を引き攣らせると、ふん、とカリーマは鼻を鳴らしてシハーブから手を離す。その鋭い眼光に、離れて見ていたラーミウですら冷たい汗が額を伝う。呆れた風に肩を竦めるとカリーマはようやくラーミウへ向き直り、にやりと笑ってみせて云った。

「もう外は雨だ。一晩中降るだろう。明日シハーブに案内させるから、今日は家へお帰り。明日また此処へおいで」

 カリーマの言葉で初めて、しとしとと降る雨音にラーミウは心付いた。窓穴の外を見れば、昊はすっかり厚い鈍色に覆われて群青の姿は潜められており、白星の光も遮蔽ざされている。冷たく細い雨粒が路を落ち着けて、小さな水飛沫を無数に作っている。ラーミウはカリーマへ向き直ると、膝を付いて姿勢を正し、腕を持ち上げて両手を合わせ一礼した。

「有り難う御座います」

 それはジャウハラの民の正式な礼だ。ラーミウが深く頭を垂れていると、カリーマはその肩へそっと触れて応じる。

夜の民ザラームに関してあたしが出来るのは此処までだ。後はうまくおやり」

はい

 ラーミウは面を上げると、やおらシハーブへ身體ごと向き直った。シハーブは先程までと同じ飄々とした態度で、ひらりとラーミウへ手を振り返す。

「じゃあ明日は宜しく、旦那」

はい、世話になります」

 ラーミウはシハーブにも礼をする。頭を垂れるラーミウをシハーブが昏い眼差しを向けていることに、ラーミウは心付いていなかった。

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