第04話 出会い(弐)


 若者がラーミウをいざなったのは大通りを北に進み、西へ曲がった区画。細く薄暗い路地の突き当りにある、安宿の集まる住区である。小ぢんまりとした日乾煉瓦造りの家屋が点々とあり、粗末な旅装束を纏った男女おとこおんなが横を過ぎていく。ラーミウは訝りながらも、若者へ尋ねた。

 

「あなた、いったい何なんです?僕に何の用事ようなんですか?」

 

 するとぴたりと若者が一軒の宿の前で立ち止まった。顎で「付いて来い」と示すと、すたすたと中へ這入っていく。二階立ての小さな宿だ。中は土壁で薄暗く、入り口で金勘定をしていた年寄りの主人が若者に気が付くと、「おや、お帰り」と嗄れた聲を掛けた。

 若者は手を振るのみで彼へ応じると、つかつかと二階へ上がって行く。上がって突き当りの室の前へ辿り着くと若者は振り返り、ようやく聲を鳴らした。

 

用事ようがあるのは俺じゃなくて此方こっち。這入んな」

 

 ラーミウが付いてゆくべきかと思いあぐねていると、若者はさっさと中へ這入って行った。残されたラーミウは茫然として立ち尽くしていたが、儘よとばかりに意を決して中へ這入った。

 すると其処はラーミウの想像よりも狭い室であった。数人が雑魚寝をする程度の広さだ。明かりを招く為の窓穴は小さなものがひとだけぽっかり空けられているのみだ。そしてその傍らの座卓の前にはひとりの老婆の姿があった。瘦せ細り、厚い被り布ヴェールで貌を覆っている。

 

「おや、来たね」

 

「どちら様でしょうか」

 ラーミウは戸の前で立ち止まり、老婆を見据えた。ごくりと固唾を呑み、気を引き締める。されど緊張しているラーミウに対して、老婆は呑気にも茶を淹れ始めた。貧しい室に似合わない、優雅な仕草だ。背筋もぴんと伸ばされており、ひとつひとつが洗練された所作となっている。その不釣り合いな光景にラーミウは思わず貌を顰めた。老婆は茶の注がれた器をそっと床へ置いて差し出すと、からからと笑った。

 

「街中で見掛けたときにも思ったけれど、甘い見た目に反して勇ましい男だ。あたしはカリーマ。そっちのはシハーブだよ」

 

 老婆が顎で指し示したのは先程の若者だ。壁にもたれ掛かってのんびりと欠伸をしている。ラーミウは黙して老婆カリーマへ視線を戻すと、やおら背負っていた頭陀袋を下ろし、カリーマの前へ静かに坐した。

「あなたも街にいたんですね……」

偶々たまたまさ。話しかけないでおいたのだがね。そうしたら柄の悪いのに絡まれて困っているようだったから、シハーブを行かせたのさ。目立つのは困るだろう?」

 事情を知っていると言わんばかりのカリーマの物言いに、ラーミウは眉根を寄せる。被り布ヴェールで目元は覗かれないが、カリーマは皺の寄った口元により皺を寄せていることで微笑んでいることは解される。ラーミウは砂色の眼光を一層強め、静かに云った。

「助太刀に関しては礼を言います。けれど目立ちたくないのだと、何故」

「腕は立つのに敢えて手を抜いていたからね」

 カリーマは語を切り、茶を啜る。皮と骨だけで出来ているような細腕だ。するとおもむろに寄ったシハーブがその茶碗を取り上げた。

「カリーマ、話がいちいち遠回しすぎるんだよ。それとも何だ?物忘れして思い出すまで時間稼いでる?」

「まったく、此奴こいつは口が悪くて仕方ない」

「そりゃあ、悪うござんした」

 するとカリーマは手を伸ばしてシハーブの額を指で弾いた。思いの外強い音が鳴らされ、気が付けばシハーブは額を押さえて呻いている。カリーマはシハーブから茶碗を奪い返すと、呆れた風の聲を鳴らした。

「この口を何とか出来ないものかね」

 赤くなった額を押さえたままシハーブは面を上げ、へらへらと嗤い返す。ラーミウはひとり残され、両人の遣り取りを見物していた。ふとカリーマが取り残されたラーミウへ心付くと「おっと」と呟いて続けた。

「あゝ、すまないね。ほれシハーブ、大人しく其処に坐っておいで」

「はいはーい」

 シハーブが室の隅に胡座を掻いて坐したのを認めると、カリーマは嘆息を溢した。そしてラーミウへ向き直ってからからと笑ってみせた。

「話を遮断さえぎってしまって悪かったね」

いえ……ご両人は祖母と孫のような関係で?」

「好きに解釈してくれて構わないよ」

 カリーマの言葉に、ラーミウは貌を顰めた。だがそれ以上の追求を赦さないといった風にカリーマは黙している故、ラーミウは語を次ぐのを控えた。ラーミウが口を噤んでいるのを認めると、カリーマはやおら口を開いて云った。

 

「さて、話を戻そうか」

 

 彼女の聲には柔らかさがあるが、何処か静けさを潜ませられている。それ故か、空気が冷たく引き締まったようにも思われた。ラーミウは姿勢を正してカリーマを見据えると、カリーマはしんとした聲を鳴らして問うた。

「御前さん、悪兆を調べているんじゃあないかい?」

 ラーミウは息を呑み、カリーマへ見入った。カリーマはラーミウの視線を気に留める素振りもなく、徐々ゆったりと立ち上がり、窓穴の傍へ寄る。窓穴からは背の高い青々とした野草が貌を覗かせている。カリーマはその葉を指でなぞりながら、落とすように語を続けた。

「白星が弱れば草花や樹木は真っ先に影響が出る。実りを控え、花を咲かさなくなる」

 云い終えると、カリーマはおもむろに被り布ヴェールを下ろした。はらりと砂色をひとつに編んで下ろした砂色が落ちる。細く、艶を失った髪だ。そしてカリーマは徐々ゆっくりと眼を瞬かせてラーミウへ向けた。それは――瑠璃色の眼である。

 その老婆の姿にラーミウは眼を見開き、意図せず語を落とした。

 

青珠せいじゅ……?」

 

 この砂の地で、色を有する者はたったの四人だけ。白の白鏡、赤、青、緑の三珠。それは即ち、眼前の老婆が三珠のひとりであることを指示さししめしている。ラーミウは茫然としながらも言葉を紡いだ。

「あなたは何年も前から行方をくらませていることは存じておりました。何故、このような処に留まっているのですか」

「御前さんと同じようにすべきことがあるからさ」

 カリーマの瑠璃に鋭さが伴った。その面持ちは、彼女が青珠であることを物語る厳かさがある。痩せ細り、皺に塗れた現在いまも尚、彼女は民を守る三珠なのだ。ラーミウは固唾を呑むと、密やかな聲で問うた。

「すべきこと、とは何ですか」

あゝ。時が来れば知ることになるさ。きっと御前さんの成すべきことと、あたしらの成すべきことは繋がっているからね」

 カリーマは決して多くを語らない。淑やかな所作でラーミウへ歩行あるき寄ると、そっと手を差し伸べて云った。

「御前さんのやろうとしていることに手を貸そうじゃあないか。話してはくれまいか?御前さんの望みを」

 ラーミウはじっとカリーマの年老いた手を見詰めると、その手に己の手を重ね、カリーマを見上げた。

「僕は宮より遣わされました、翡翠族ヤシュムのラーミウ。あなたの云う通り、悪兆の調査を行っております。それを未然に防ごうとも。そして――」

 ラーミウは一寸目を伏せ、ひと息つく。そしてまた真っ直ぐと鋭さのある砂色を向けて続けた。

 

「白銀の眼を持つ者を探しております」

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