第02話 砂の王国


 虹鷹の聲が頭上より砂の王国へ降り注がれた。昊を見上げれば、群青の上で虹鷹が白の大翼を広げて悠々と旋回し、色鮮やかな長い飾り尾で昊に浮かぶ白星しろほしへ虹の環を掛けている。――あれは雨の予兆だ。この砂の地の王が虹鷹を遣わして雨雲を呼んだのだ。

 

 ラーミウは背に頭陀袋を携え、ガイム河沿いの大通りをひとり歩行いていた。

 其処は都で最も大きな市場街である。幾人ものの赤銅の肌に砂色の眼と髪を有する男女おとこおんなが往来し、常に賑やかである。だが華やかさはない。それはひとえに、人人が皆一様に襟の詰まった丈の長い土色の衣を纏っている所為かもしれぬし、建物も路も砂色をしている所為かもしれない。

 されどそれも致し方のない事である。彼らジャウハラの民は昊に浮かぶ白星が照らし映した砂土すなつちより象られ、虹鷹の雨で生を成す者たち。それ故に砂土すなつちの色をし、街並みを色褪せたものとしてしまうのだ。


 無論、今年三十を迎えたラーミウとて例外ではない。

 質素な旅装束で腕を除く身體をすっぽり覆い隠し、頭は柔らかな砂色で縁取っている。周囲の者たちの視線を引き付けるとすれば、それは彼の眼と若々しく見える貌造りである。爛爛と輝くその砂色の眼には、周囲にはない力強さと魅力があり、その丸さを帯びた輪郭は彼を二十程度の若い優男に見せる。


 ラーミウはふと果実屋の前へ立ち止まると、店棚に並ぶ品々を見た。どれも艶があり、大きさも申し分ない。ラーミウは店棚の奥に腰掛けていた女主人へ聲を鳴らした。

 

「もし、椰子はよく実をらしますか」


あゝ、勿論さ。どうだい、乾燥椰子デーツ買っていかないかい?」

 

 女主人は体格の良い中年の女である。並びの悪い緑ばんだ歯を見せて赤銅の貌を明るくしている。ラーミウは懐から銭を数枚取り出すと、そっと女主人へ手渡した。

 

「じゃあ、一袋いただこうかな」


「毎度あり!あんたあんまり見掛けない貌だね。旅人さんかい」


「そのようなものです。都には十年ぶりですね」

 

 苦笑いを浮かべてラーミウは応えると、女主人から小さな麻袋を受け取った。中にはたっぷりの緑色い実が詰まっている。其処から一粒だけ取り出して口へ放ると、舌の上で甘みがじんわりと広がる。ラーミウは貌を綻ばせると「うん、美味しい。お店頑張ってくださいね」と云って店を後にした。

 すると、ラーミウの視界の端が砂土色の中で鮮やかな色を見た。その方角へ視線を向けると、路端で数人の男たちが長布や板を白や赤、青、緑の塗料で塗り上げている。その傍らでその妻や娘たちが塗料と同じ色をした睡蓮の花を編んで花飾りを作っている。

 

(そうか、そろそろ建国祭か)

 

 ラーミウは貌を曇らせ、ついと祭り支度をする景色から視線を逸らした。通り掛かった児童たちはラーミウと反対で、目を輝かせながら珍しい色を眺めている。その内のひとりの幼児は花飾りを編む母親へ駆け寄って甘い聲を鳴らした。

 

母様おっかさん、何をしているの?」

 

「お祭りの準備だよ。建国祭には民も街もおめかしをするからね」


「どうして?」


「昊と一体になって、昊の白星や虹鷹に感謝をお伝えするためだよ」


 ふうん、と幼児は語を零し、指をしゃぶって小首を傾いだ。母親の横で手伝いをしていた娘は棒立ちになっている幼児の手を引くと、厳しい口調で云う。


「あんたも手伝いな。建国祭の日は白鏡しろかがみさまと三珠さんじゅさまに代わってお昊にお礼をするんだから」


「しろかがみ?さんじゅ?」


 幼児は大きな砂色の眼をきょときょとさせている。娘は呆れたように大きく嘆息を零すと、幼子を坐らせて、矢張り厳しさの伴った語を加えた。

 

「馬鹿ね。この王国の王さまと王さまにお仕えする三人の巫子さまに決まっているじゃない。白星の化身である白鏡しろかがみさまと、虹鷹の化身である三人のぎょくさま」

 

「巫子さまは三人いるの」


「虹鷹の尾っぽが青、赤、緑の三色なのだもの。当然でしょう」


 母親は仲の良い姉弟に苦笑を零しながら、路に積み上げた睡蓮の花へ視線を戻した。建国祭まであと数日であり、手を休めている場合ではない。母親は「御前たちも手を動かしなさい」と云ってまたせっせと花を編み始めた。

 ラーミウはその母子からずいぶんと離れた場所まで歩行き進んでいた。時おり足を止めては果実屋でしていたように店に並ぶ品々をじっと眺め、茂みがあれば其処に生える草や生きるものをその眼に留めていた。

 

「おい其処の金持ちそうな兄ちゃん、何してんだい?」

 

 矢庭に鳴らされた聲へ、ラーミウは貌を顰めた。ラーミウは丁度屈んで、河辺に咲くスカシタゴボウの緑色の花を手に取っていた。

 かぶりだけで振り返ると九、十の屈強な男たちがぞろぞろとある。下卑た嗤いを浮かべて、ラーミウを見ている。どんなに質素な着物を纏っても、育ちの良さは髪や肌の色艶にでてしまうというものだ。ラーミウは小さく嘆息するとやおら立ち上がった。


「何か僕に用事ようですか?」


「おうおう、兄ちゃんの財布用事ようがあるよ。悪いことは言わねえ。有り金全部、寄越しな」


 男のうちのひとりが応じると、残りの男たちがげらげらと肚を抱えて嗤った。分かりやすい恫喝へラーミウは呆れ顔で深く嘆息し、冷たい聲音で云い放つ。


「厭に決まっているでしょう。僕は忙しいんです。さっさと消えてください」


 ラーミウは呆れた風に目を据わらせている。ラーミウの様子に男たちは一寸眼を丸くしたが、直ぐさまどっと嗤い出した。何が愉快なのか解せずラーミウが眉根を寄せていると、男のひとりがラーミウの腕を強く掴んだ。


「威勢張って恰好つけるのは無駄だぜ、兄ちゃん!」


 残りの男たちはににたにた顔で、ラーミウを逃がさぬとばかり後方へにじり寄っている。ラーミウは青筋を立て、今にも舌打ちをしたい衝動を抑えた。そしてその代わりに大きく息を吸い、聲を轟かせた。


「消えろって言っているでしょうが!」


 それと同時に、ラーミウの足が腕を掴んでいる男の股間を的確に蹴り上げた。男は白目を向き、泡を吹いてその場に転がる。周囲の男たちは突然のことに茫然とし、転がった同胞を見た。そしてはっと我に返り、ラーミウを睨め付けた。


「こんの、糞野郎!下手に出てりゃ生意気な!」


 ラーミウの背後にいた男ふたりが飛び出し、拳を振るった。するとラーミウは軽々と躱して往なすと、ひとりの男の頸に手刀を下ろし、直ぐさま振り返ってもうひとりの顎下から拳を振り上げ、張り飛ばした。ラーミウは残りの男たちへ向き直ると凛とした聲を鳴らした。

 

「そんなこと、頼んでないですよ。それに兄ちゃん兄ちゃんって……僕は三十です!」

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