第7話 小仏の関所に血椿、散る

 山田浅右衛門が率いる悪党集団は、甲州街道を西に征く。めざすは、見延山久遠寺の南にある鷲取山。そこに、波木井三郎の根城たる砦があるという。

 とりたてて急ぎ旅ではない。所詮、山賊の類の土豪やその手下どもをすべて血祭りにあげ、天下の名刀たる数珠丸を取り戻すだけのことなのだ。


 一行はゆるゆると西上し、まずは武蔵府中宿で足をとめた。この宿場には本陣、脇本陣を含めて旅籠が三十を超え、百人余の一行でも宿には不自由しない。

 本陣の高安寺の門を浅右衛門とお菊がくぐり、小坊主が携えてきた茶を喫していたとき、宿場役人が浅右衛門の前に這いつくばり、卑屈な面持ちで辞儀に及ぶ。

「これは、これはお役目ご苦労様にございます。ご老中の水野勝成様から早馬が参り、皆様を手厚くもてなすようにと承っておりますれば、何なりとお申しつけの程を」

 ここまでは、江戸にも近く役人に手違いや遺漏はないが、問題はこの先の気の利かぬ田舎役人であった。


 翌日の昼、八王子宿に着いた。八王子には古くから小仏の関所がある。

 関所門前の柵木に差しかかると、案の定、百姓同様の小穢い顔をした関所役人が泡をくったような表情で、浅右衛門の前にすっ飛んできた。

「ま、待たれよ。どこへゆかれるのか」

 浅右衛門は口を利くのも面倒とばかりに、馬上、無言で木っ端役人に一通の書状をハラリと投げ渡した。それは、関所通行証として幕府老中から与えられたものだ。無論、紀州和歌山藩家老の安藤直次が、徳川家の重鎮であり、幕府老中水野勝成を介して手配したものであった。


 関所役人はその書き付けを披見し、

「こ、これは!」と驚愕の目をみはるとともに、改めて一行の姿に目を走らせた。

 いずれも幕府老中お墨付きに似つかわしくない面々であった。

 しかも、先程から誰一人言葉を発しない。無言でこちらを睨んでいる。

 不気味かつ胡乱な徒党であったが、幕府の通行許可がおりているのでは、通さないわけにはいかない。

 

 ところが関所番所の前に差しかかったとき、女の声がした。

「お待ち!女子おなごが駕籠に乗ったまま関所を通るとは前代未聞。あってはならぬこと」

 見れば、白髪まじりの改め婆が、お菊の乗った駕籠を指さして、非難がましい目を向けているではないか。

 浅右衛門が傍にいた破戒坊主の浄心に向けて顎をしゃくった。


 浅右衛門に一揖した浄心が、改め婆にずかずかと近寄った。その初老の女は、卑しげな目つきで背の高い浄心を見上げた。お目こぼしの金でも袖の下に入れてくれると思ったのであろう。

 ところが、浄心はその婆の顔を無情にも足蹴にした。改め婆が番所前の地面に「ひえええーっ」とひっくり返った。

 泥にまみれた改め婆に向かって、優男やさおとこの浄心が薄い唇を歪めて咆える。

「うるさいっ!腐れ婆ァ。このお方を誰と心得る。かの東照大権現様ご側室、阿茶の局様のご養女、お菊様であらせられるぞ。その首を刎ねられたいか」


「おのれっ。あまりに無体むたい!」

 浄心の人もなげな狼藉に激昂した若い武士が、腰のものを鞘走らせ、袈裟切りにしてくれんとばかりに太刀を振りかぶった。

 それと同時に、留吉が二尺の長ドスを抜いて、若い武士に体当たりしたかと思うや、次の瞬間にはその刃の切っ先が武士の背中に突き出ていた。

「へへっ」

 留吉が冷酷な笑いを浮かべて、長ドスをすっと抜くと、武士の腹から血が噴いた。

 地面に赤い椿の花が散りしいた。


 だが、関所役人は手出しができない。この一行は公儀御用の儀で見延山久遠寺へ向かうと書状にあるのだ。

 しかも、小仏の関所には役人が四人しかおらず、到底、太刀打ちできるものではない。

 狼狽する木っ端役人の前に、女駕籠の中から小判が五枚、投げ与えられた。

「これで供養いたせ。かみのほうには病死と届け出るがよい」

 無論であった。関所役人が公儀御用の一行に刃を向けたとならば、本人の切腹だけでは免れず、一族の者にまで累が及びかねない。


 屈辱にうなだれる関所役人らを尻目に、浅右衛門らは再び甲斐へとめざした。やがて一行は甲斐の初宿である上野原に着いた。この宿場には本陣、脇本陣を含めて旅籠は十軒ほどの小さな宿場で、飯と酒がまずい以外はさしたることもなく一夜を過ごした。

 三日目は、この上野原宿から大月に至る行程である。大月の宿場で宿をとり、四日目はいよいよ甲府柳町の宿場に入ることになるが、途中に、鶴瀬の関所がある。


 この関所は「鶴瀬口留番所」とも呼ばれ、主に米、木材などの闇取引、すなわちこの当時の課税対象となる産物の横流しを主に監視する番所でもあった。

 鶴瀬の地は、武田勝頼が重臣小山田信茂から裏切られ、死出の旅へと向かった縁起の悪い場所である。

 浅右衛門は、馬上、北や山々に閉ざされ、南には日川にっかわが流れる山峡の狭隘な空を見上げた。叢雲が西から東へとたなびく。

 何事にも動じず、生死すら顧みぬ浅右衛門の胸に、珍しく不吉な翳がよぎり、そのような自分を思わず笑い捨てた。

「ふふっ。何やら、面白いことがあるのやもしれぬ……それもまた一興」


――つづく

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