第6話 数珠丸奪還の手荒い策謀
さて、波木井三郎から数珠丸を取り返すとしても、多くの
山田浅右衛門は、妓楼「童子切屋」の若衆頭である留吉を呼んで告げた。
「近日、甲斐へと発つ。手下にその旨、伝えよ」
短兵急な命令に、留吉が驚きの声をあげた。
「えっ。では、この遊女屋はどうするんですかい」
その刹那、留吉は足蹴にされ、音を立ててひっくり返った。
「うるさいっ、わが犬のくせに吠えるな。右耳も斬られたいか」
「か、かっ、勘弁してくだせえよ。旦那の言うとおりにいたしやす」
留吉の左耳は、かつて浅右衛門に反抗して酒席で斬られ、片耳となっていた。
その翌日、童子切屋二階の広間に、獣臭のする強面の
留吉を先頭に、破戒坊主の浄心、盗人の八十吉、ふてぶてしい悪相の力蔵は、駕籠舁きを束ねる雲助頭だ。いずれも左耳がない。浅右衛門に酔余の一興で斬られて、以来、片耳の「飼い犬」となった面々である。
浅右衛門の代わりに、お菊が美しく整った
「聞くがよい。近々、甲州見延山へと赴き、匪賊の砦を急襲する。手下の悪党どもを集めよ。頭数は多いほどよい。その山賊の砦には、見延山詣での善男善女から奪った金銀が山と積まれておる。一人残らず殺せ、奪え。奪い足らぬときは、行きがけの駄賃に日蓮宗の総本山たる見延山久遠寺を襲うがよい。生臭坊主らが、お宝をごっそり溜め込んでおるであろう。それを根こそぎ奪うのじゃ」
ここで留吉が上目遣いで訊ねた。
「で、姐さん。その砦や寺に火をつけてもよろしいんで?」
「火を放つのは、ほかの人間の役目といたす。そのほうらは、火の手が上がるのを見届けてから砦に踏み込め。よいか。追剥ぎの山賊や、女色に溺れる生臭坊主相手に容赦は要らぬ。ことごとく引導を渡してやるがよい」
「へいっ」
全員が同時に頭を下げるのを見て、お菊が申し渡した。
「追って、甲斐へ発つ日を指示する。その日の早暁、悪党どもを日本橋の
「へえ、わかりやした」
留吉以下の者が踵を返そうとしたとき、お菊が力蔵を呼びとめた。
「姐さん、なんでござんしょう」
「日本橋から見延山までは五十里ある。屈強な駕籠舁き十名と女駕籠を用意するがよい」
「えっ。もしかして姐さんも行かれるんで?」
「左様じゃ。これは当座の駄賃にせよ」
そう言って渡したのは、小判二十五両をひと包みにした「切り餅」である。
手下どもが立ち去り、広間に残るは浅右衛門とお菊のみとなった。
ややあって、童子切屋で女郎どもを監督する
その萩緒がお菊の前に容儀を正して這いつくばり言上する。
「お菊様、
「左様なるか、ご苦労であった」
「口八丁手八丁、手練手管にたけた
「それは重畳。では、出発は三日後とする。萩緒が女郎どもを先導し、諸事抜かりなく指揮・監督せよ。よいか。抜かるな」
「はい。この萩緒、甲府生まれにございますれば、あの辺りの土地勘は十分にございます。道中、女郎どもはきつく締めあげますので、ご安心召されませ」
お菊は萩緒に切り餅ふたつを与えた。五十両である。
萩緒が広間を去ると、広間には再び浅右衛門とお菊が残るのみとなった。
がらんとした広間でお菊が浅右衛門に向き直る。
「旦那様、これでよろしゅうございますか」
「うむ」
「わが童子切屋の女郎は、閨の技も腕っこき。山賊どもを酒色で誑かし、骨抜きにすることは造作もございませぬ。野盗どもが正体を失くすや、萩緒が砦に火を放ちますれば……」
「それを合図にとな」
「はい。
旅芸人に
その騎馬のすぐうしろには、白い死装束をまとったお菊の乗る女駕籠。
酷薄を絵に描いたような悪相の破落戸ども、それを馬上率いる浪人者に、臈たけた美女という奇妙で不気味な取り合わせの一行が、無言で見延山南巨摩郡をめざす。
甲斐の山に血煙りが噴き、血風が吹こうとしていた。
――つづく
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