第3話 天下五剣の極、数珠丸

 四阿あずまやの松月亭に桜花の花びらが舞い込む。

 目の前には、日蓮宗大本山池上本門寺の名庭、松涛園がひろがる。

 小坊主が運んできた宇治茶を喫し、紀州徳川家の家老安藤直次が語りはじめた。

「この豊後国行平は、ご存じのとおり我が紀州家伝来の宝刀。これを浅右衛門殿にお預けいたす。もしお気に入れば、差し上げてもよい」

「………!!」

 浅右衛門は内心驚愕した。千金の黄金を積んでも手に入らない天下の宝刀を一介の素浪人にくれるというのだ。まさかであった。 


 このとき浅右衛門が初めて口を開いた。

「再度、拝見してよろしいか」

 もう一度、行平を手に取って、じっくりと真贋を見極めてみたいと思ったのである。

「ご遠慮なく改められよ」

 直次の言葉を受けて、浅右衛門がゆっくりと行平を鞘から抜き、春の陽にかざした。二尺五寸一分の細身の刀身、腰反り高く、直刃に小乱れの刃紋。地肌は女の肌のようにねっとりとし、小峰の切っ先。間違いない、これぞ、噂に聞く豊後国行平に相違ない。

 浅右衛門の双眸は、妖しい輝きを放って天下の宝刀に見惚れた。


「で、このわしに、何をせよと」

 浅右衛門は安藤直次に射るような視線を送って問うた。

 その視線に直次が容儀を正して応える。

「実は……我が殿の命により、伏してお願いがござる。また、ここから先の話は一切他言無用に願いたい」

「うむ」

「実は、女人にょにん一人の首、刎ねていただきたい」

「………!!」


 無言で腕を組み、半眼になった浅右衛門を見て直次が言う。

「女を斬る刀は持ち合わせておらぬと言いたいのでござろう。じゃが、その女は我が紀州徳川家から送った剣客七人をすでに仕留めておる。すこぶる付きの凄腕女剣士よ」

 浅右衛門が腕組みを解き、短く疑問の声をあげた。

「して何故に?」

「ご不審、ごもっともでござる。そこまでして、何故にその女剣士を闇に葬らねばならぬのかとお思いでござろう」

 浅右衛門がかすかに首肯した。


「これには、仔細がござる」

 と直次は言葉を継いだ。

 聞けば、紀州徳川家の藩主徳川頼宜、及び正室の八十姫は、日蓮宗に帰依すること篤く、鴛鴦のごとく仲睦まじく過ごしてきたが、突如、八十姫が病の床に臥し、今なお気息奄々の最中という。

 その病床にて、熱にうなされつつ八十姫曰く、

「日蓮上人様のご佩刀、数珠丸をわが枕頭に置くべし。さすれば、その宝刀の霊力により、わが病は平癒するであろう」


 この八十姫の言に、矢も楯もたまらず動いたのが、八十姫の夫である徳川大納言頼宜であったことは申すまでもない。

 藩主頼宜は家老の安藤直次に命じた。

「至急、数珠丸の在り処を探索せよ」

 というのも、天下五剣の宝刀たる数珠丸は、日蓮宗総本山の身延山久遠寺にあったが、日蓮入滅後、忽然として行方不明になっていたのである。


 直次が家臣を動員して、数珠丸の行方を必死になって探したところ、鎌倉時代の御家人の血をひく土豪南部三郎実長の末裔、波木井はきい三郎の手にあるらしいと判明した。

 波木井三郎は土豪といえば聞こえはいいが、その実、山賊まがいの男で甲斐南巨摩郡の奥深い山中に山城のごとき砦を築いて手下数十名を擁して蟠踞しているという。


 甲斐は天領である。

 亡き徳川家康の十男頼宜を藩主とする紀州徳川家とて、幕府の許可なく踏み込むわけにはいかない。

 直次は徳川家康の従弟であり、幕府の重鎮水野勝成に相談した。

 勝成は、八十姫の養父であることから、直次に一も二もなく肩入れし、咆えた。

「今すぐ、波木井三郎とやらの砦を攻め、ことごとく根切り(皆殺し)の上、数珠丸を取り返すべし」


 水野勝成は、徳川家臣団の中でも荒武者として知られ、勇猛さが際立つ。しかも、宮本武蔵から剣術の奥義を伝授され、「鬼日向」の異名を持つだけに、老境に至っても血気盛んであった。

 直次は勝成の短兵急な提案に困惑して、頭を掻いた。

「あいや、まずは波木井三郎とやらと談義の上、わがほうに戻していただくということではいかかが」

「ふむ。金銭で解決されるというか。なれど、向こうは山賊まがいの男。千両の金を積んでも、それでは足りぬ。万両欲しい、と言えばどうなされる?」


 結果は勝成の言うとおりとなった。金銭で片がつかねば、次は力ずくとなる。

 しかしながら、大事おおごとにするわけにはいかない。たかが土豪相手に軍勢を動かせば、紀州徳川家の体面にかかわるのだ。また万一、不首尾となり、それが幕閣の耳に入れば、藩主頼宜の顔に泥を塗ることになり、最悪、一藩取りつぶしの口実にもなりかねない。


 安藤直次と水野勝成は、それぞれの家臣の中から剛の者を選りすぐり、合わせて精鋭十名をひそかに甲斐南巨摩郡に送った。相手は土豪とはいえ、しょせん実態は山賊の類。そのような野卑な匪賊風情にひけを取るなど思いも寄らぬ、気鋭の強者つわものばかりであった。

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