平和主義国家

九重智

第1話

 何かと話題のD国に訪れた。もちろん仕事である。もとの仕事を辞めてブログで生計をたててはや三年、順調ではあるがここらのうちにD国の記事で注目を一挙に集めよう。そういう狙いである。


 なぜD国を選んだか。それは私のブログが主に陰謀論を取り扱っているからだ。陰謀論ではその事実や証拠の緻密な検証より記事のインパクトが重要だ。ではどうインパクトを与えるか。いかにも怪しい事柄のことに突っ込んでもおどろきはないし、そもそもそういう話題はすでに多くが投稿されていて競争にも負ける。それよりも、あたかも清廉潔白な国や組織についてめちゃくちゃに書いたほうがいい。


 D国と言えば平和主義、永世中立国、非武装、高水準の技術として名が知れている。しかもそうなったのは現政権になってからたった三十年間のことだ。それ以前は内戦の尽きない国で、市民による大規模のデモでいまのような優等生的な国になったのだ。デモの指導者であり現D国のラセン大統領はこう宣言した。


「私の願いはこの国を平和の国とすることです。平和であるというのは傍観者であることではありません。戦争に金は出し、口も出すが、兵は出さないというものでもない。我々はどの陣営にも属さないし、兵も持たない。そういった真の平和主義国家のもとで発展するのです」


 実際、ラセン大統領の発言は見事に達成された。陣営どころが国連にも加入せず、兵どころか武器のひとつも持たない。しかもその技術力は群を抜いていて、とくにAIの計算能力は約一年間の未来をほとんど正確に予測できるらしい。有言実行のラセン大統領はノーベル平和賞を受賞し、いまやD国は世界の理想だ。だからこそ、私の記事も書きがいがある。平和主義、永世中立の国家が世界の裏幕など考えただけで興奮する。


 私がD国を訪れてまずおどろいたのは中心駅の凄まじさだった。なるほどたしかに最先端の科学の国と言われても頷ける。中心駅はその規模がひとつの町ほどもあり、とくに高速の鉄道が幾百もの地下に張り巡らせていた。そうなるとそもそも構内の移動が面倒そうだが、しかし何万ものロボットが巡回し、そのロボットに話しかけると車型の乗り物に変形して、自動運転で目的地まで連れて行ってくれる。


「やっぱり東口へ行く前にパンを食べたいな。出来立てのクロワッサンがいい」


 私はロボットに乗りながら、ちょっとしたいじわるでそう言った。


「了解しました。予約なさいますか」


 ロボットはなんでもないようにそう返した。私がお願いすると乗り物は踵を返し、二階のパン屋に着くころにはクロワッサンを買えた。クロワッサンはオーブントレイのままカウンター横に置かれ、「焼きたて!」と書かれたポップがかけられていた。


 私はおもしろくなってほかにも無理難題をつきつけた。野球が観たい、恋人につかえるジョークを教えてくれ、ラーメンのようなうどんを食いたい……。ロボットはこんな無茶な頼みにほとんど応えた。この画面からいま行われているプロ野球を観戦できます、ふたりで夜景を観ているときにシャンパンを掲げこう言ってください、ラーメンではありませんがパスタ風のうどんならあります。


 結局、私は待ち合わせに一時間遅刻した。無論、案内人はすでに私を待っている。私はロボットから降りるとすぐに謝った。


「すみません、このロボットについ夢中になってしまって」


 案内人はかぶりを振った。


「いえ、大丈夫ですよ。私もさっきついたところですから」


「ついさっき着いた? 約束は一時間前でしょう?」


「ええ。しかしこのロボットからあと一時間は遅れるだろうという予測が届いたんです」


 案内人は微笑んでそう答えた。


 案内人の名前はガゼルと言った。みるからに平和主義の国民らしい名前だ。またその容貌も平和的で、垂れた細目ですこしふくよかであり、まるで布袋のような顔立ちだった。


「さて、今回は我が国のAI技術を知りたいとのことでしたね」


 ガゼルはおだやかな口調をした。


「ええ。行きたい博物館がいくつかと展示会をひとつ」


「ではこちらの車に……」


 私はガゼルの車に乗り込んだ。もちろん自動運転で、車内のなかで私たちは色々と話すことができた。


「いくつか質問をいいですか」


「ええ。どんなことでも」


 ガゼルが手元のボタンを押すと私たちの席は回って向かい合わせになり、厚手のテーブルがその間に差し込まれた。またそのテーブルからお茶も出された。ガゼルはそのお茶をすすって、いかにもリラックスしている。


 私は取材メモを取り出した。経歴によるとガゼルは元技術開発局員のお偉いさんらしく、いまはボランティアで案内人をしているのだが、私からすればこの男から根ほり葉ほり聞き出すのも大事な目的だった。


「ではまず、D国の平和主義に関してです。個人的な意見で構いませんから、自国の外交路線についてどうお思いですか」


 平和主義、という言葉を聞いた途端、ガゼルの布袋顔はよりほころんだ。


「平和主義というのは我が国の唯一の長所であり、我々の誇りです。これは個人的意見ではなく、我々国民の総意でしょう。こう言っては失礼かもしれませんが、戦争をする、もしくはその準備がある国は単純に野蛮です。なにひとつ文明的でない。その野蛮さという汚点によって各々の歴史が作り上げた見事な芸術や風景や建築物を精神的にこなごなに崩していると言っていい」


「これは耳が痛い話ですな。しかしD国のAI技術はあなたたちの誇りではないのですか。うちの国ならそちらのほうに誇りというか自尊心のようなものが傾きそうではありますが」


「技術は平和を達成するためのものです。人を幸福にする、そのためには平和が必要である、そのために技術がある。決してその逆ではありません。……先ほどあんなことを言いましたが、あなたたちの国の考えもまったくわからないわけではない。誰も戦争などしたくない。しかしされたときのために兵や武器があるのでしょう。また戦争を仕掛けられたときのために自ら仕掛けるのでしょう。我が国においてはその戦争にたいする手段が平和的技術のみで賄えるようにしたのです」


「AIで自衛するということですか」


「自衛なんてとんでもない。我が国は自衛権を放棄しています。我々の解釈では自衛でも戦争なのです」


「じゃあいったい……」


 話はここで途切れた。車がゆるやかにブレーキし、停止した。どうやら目的地に着いたらしい。


「観覧しながら話をしましょう」


 そこはAI技術についての展示会をしていた。私たちは再び駅にいたようなロボットに乗って館内を回った。


「ほらどうでしょう、我々の科学の平和さ。知っていることばかりですが、やはり興奮するところがありますね」


 ガゼルは細い目を見開いてそう言った。頬も紅潮し、口角はありえないほど上がっている。


「いやたしかに……」


 たしかに展示された技術はどれも平和的で、また限りなく未来的だった。世界中の人間の性格をシュミレートしそれに合わせて会話してくれるもの、テレビ番組の自動作成してくれるもの、高精度の自動翻訳。


「この自動翻訳AIは私もいまつけていますよ」


「つけてますって、どこに?」


「喉と舌と脳です。脳機能を拡張して翻訳し、喉と舌がそれに合わせて発音してくれるんです。ほら、言語によって口や舌の動きもちがうでしょう。それをよりナチュラルにしてくれるんですね」


「いや、それはすごいですが……」


 たしかに素晴らしい技術であるが、脳にまでAIを移植するとは。


「大丈夫ですよ、あなたが思うような電脳とかそういう類じゃありません。いわば細菌的なAIを入れているんです。注射をしてそれを注入し、脳を補完するんです。そうやって脳をアップデートしていくんですよ」


 説明をされてもまったくイメージが湧かない。わかったことといえば我が国も先進国であるはずなのに、とてつもない科学力の差があることぐらいだ。しかしそれだけだ。我が国でこれほどの技術に行きつくのにどれほどの年月が必要なのかも予想できない。


 ふいに、私は身震いした。


「そもそもですねこの翻訳機は我が国のいちばんはじめの技術なんです。ラセン大統領がかの『平和国樹立宣言』をしてからD国には様々な偉大な科学者が移住しました。世界で有数の頭脳を持ちまた平和を心から願う人たちです。その彼らがまずつくったのがこの翻訳機のオールドタイプなんですね。真に平和の国をつくりたい。そのためには技術が必要だ。しかしそのあいだに攻められたらいけないから、まず加速的に技術を進歩させる技術を生み出したんです。だってそうでしょう? 世界有数の科学者が言語の壁なしに協力できたらとんでもないものを生み出せますよ。しかしなんて言ったってすごいのはラセン大統領です。彼は……」


 私の身震いをよそにガゼルは喋り倒した。


 展示会のあとはレストランで夕食を食べた。一か所しか赴いていないが、仕方がない。その理由の三割ほどは私の遅刻であるし、また残りの七割はガゼルの熱弁のせいだった。


「いやあ、すみません。つい気持ちがこもりまして」


 ガゼルはD国の名物料理をほおばりながら言った。こういう人の良い顔で謝られるとどうも強く言えない。


「まあ、いいです。そのかわりまた質問をいいですか」


「ええもちろんですとも。私が答えられるものなら何でも」


 ガゼルはまた海老を一尾フォークで刺して食べた。ただ焼いた海老に見えるが、メニュー表曰く『逆エビフライ』で、海老の内側だけを衣で揚げたものらしい。おいしいかどうかは知らない。


「……車内のつづきの話です。さっきの博物館でも思ったんですが、あれほどの技術はたしかに素晴らしい。しかも平和的だ。けれどもあの技術が他国に渡ることで強大な武力に変わりませんか」


「それはそうです。そのために我が国は技術を他国に提供しない法律がありますし、そもそも我々は食物にせよエネルギーにせよ自国だけでまかなっています。輸出入はなく、それ故に厳密に取り締まれるのです」


「ですが盗まれる可能性はゼロではないでしょう? いや技術を盗まなくても、ほんとうにその技術が平和的なら、いちゃもん吹っ掛けられて、技術目的で戦争を起こされますよ」


 一日目の旅を終えかけて、これが私の率直な感想だった。いくら平和的と言われても、それをすべての人が信用できるわけではない。残酷だが、これが世界の現状なのだ。能天気に見るよりも疑ってみたほうが当たりやすく、平和的と見るよりも武器を隠し持っていると思ったほうが理解しやすい。またこれは言わなかったが、そもそも自分には扱えない、あまりにも卓越した技術を人間は怖がるものなのだ。子供が大人にたいする潜在的な恐怖とおなじだ。


 私は期待した。いわばここでのガゼルの回答次第で、私のD国への見解、もとい記事の質も左右されるのだから。そう読者が読みたいのは「D国がどのようにして自国を守るのか」という部分だ。どっちにせよ私はD国を世界の悪玉にしたてあげるつもりだが、この回答でどんな悪玉にするかがはっきりと決まる。戦争になったときのための兵器化の準備をしているとか、AIで各国政府の弱みを掴んでいて、外交交渉で切り抜けるのか。


 しかしガゼルが実際に答えたのは、私の期待したどれでもなかった。


「そうですよ」


 それだけだった。


「え? じゃあ戦争を止めるすべは?」


「ありません。努力はしますが究極的にはね」


「じゃあ戦争起こされたら……」


「もちろん負けますよ」


「滅びの思想というやつですか」


「いいえ、そうではありませんよ。いわば私たちの技術はその滅びの思想にいかないためにあるのです」


 私はつい大声をだした。


「何ですか、それは」


 ガゼルはふくよかな微笑みのままピクリとも表情を変えない。そしてそれだけは教えられない、それだけ返した。またガゼルはこうも残した。


「まあ見ていてください。いつかネタばらしがありますよ」


…………


 私がD国を訪ねてからはや十年経った。結局、ガゼルはあの日以降もどうやって戦争からD国を守るのか何も教えず、私はD国についての記事を書かなかった。しかし今になるとやはり陰謀論じみた内容でなくともD国の記事を書こうと思い、わざわざ当時の取材ノートを引っぱりだしたのだった。


 あのD国への訪問以降、私にはいささかショックすぎることがあった。ひとつは戦争だった。D国は五年前、隣国から戦争を仕掛けられ、そしてたった一日で滅んだのである。D国の滅亡はまったくの無抵抗だった。いや無抵抗どころか自滅のような感じで、隣国が宣誓布告した瞬間、D国に国中を燃やすような爆発が起こったのだった。のちの国連の報告によると爆発は宣戦布告と同時に発射されたいくつものミサイルのせいではなかった。そうではなくD国のほうから自分たちのビルや国民を犠牲にしたらしい。隣国の陸軍がD国の国土に足を踏み入れて見たものはあたり一面の瓦礫と死体の山だった。D国にはあの発展的な技術も平和的な国民もほとんど残さずに滅んだ。


 また私におけるもうひとつのショック、それはD国を攻めた隣国というのが私の母国であることだった。度重なる大不況、国内の不満が重なりD国という禁断の果実に手を出したのだ。無論、母国は罪なき平和的な国家と国民を滅亡に陥れたとして国際世論から大バッシングにあった。母国が国際社会へ示した多数の「証拠」もほとんどが虚偽として認められた。我が国は望んだ技術のひとかけらも手に入れることなく、ただ悪者の国としての汚名を着たのだった。


 そして近年、また新たな潮流がこの国を突き動かそうとしていた。ついに自国民が良心の呵責に耐え切れず大規模なデモを起こしたのである。もちろん政府は情報規制をかけてD国への戦争を肯定していたが、いよいよそれも限界だったのだろう。いま国会議事堂は数百万単位のデモ参加者で溢れかえっている。


 私が再びD国の記事を書こうと思い立ったのは、とどのつまり私の記事がこの反戦運動の一助になればと思ったからだった。いままで陰謀論で飯を食い、そのうちのいくつかは敵国心を煽るものもあった。疑惑で平和を脅かした者の贖罪だ。


 記事はほとんど滞在日記に近かった。そしていくつか自分の意見も述べた。原稿はぐんぐんとすすみ、もうあと修正のいくつかというところまで来た。……


 インターホンが鳴った。時刻は夜の十二時にさしかかろうとしている。


『いったい、誰がこんな時間に』


 私は玄関の戸を開けた。開けるとおどろいた。私の眼前にあのガゼルが立っていた。


「なぜ生きているんです」


 私は思わずそう言った。失礼な言葉遣いだが、しかしそうとしか言えなかった。ガゼルは私の問いかけに答えず、懐かしい布袋顔で微笑んでいる。


 とりあえず私は彼を家に入れた。


 リビングのソファーに座るとガゼルは注射器を私に渡した。そして、あなたにこれを打ってもらいたいと言った。


「いえいえ、待ってください。その前に聞きたいことが山ほどあります。どうしてあなたは生きているんです。そしてこれは何なんです。どうやってここに……」


 ガゼルはまたしても私の質問に答えなかった。そのかわり、これを打てばすべてがわかる、と。私はテーブルに置かれた注射器を見た。注射器はキャップがはめられ、透明な液体が充たされている。


 私は記憶からすぐにあの自動翻訳AIを思い出した。あれはたしか細菌的なAIを注入して脳を補完するものだった。この注射器もその類のものだろうか。もし、注入されるAIが自動翻訳などではなく、洗脳やら気をおかしくさせるものだったら……。私はすこし怖ろしくなった。怖ろしくなったが、一方で自分が罪人であるという意識もまたあった。私が直接手を下していないにせよ、罪なきD国民を殺した国家の一員であることはたしかで、だとしたらこの罰を受け入れるべきではないか?


 私は結局、注射を打つことにした。そう告げるとガゼルは私のこめかみのあたりに針を刺し、ゆっくりと注入させた。


 注入が終わり針を抜いたが、はじめは何ともなかった。しかしガゼルが去り、朝目覚めると奇妙な感覚があった。この感覚をなんて表せばいいだろう。そう、忘れていたものを急に思い出したのと近い感覚だ。


 私はすべてを知った。D国は滅んでいなかった。いや土地は荒廃し、事実上滅んではいるが、国民は誰一人死んではいなかった。私がテレビや動画で観たあの死体の山は巧妙な偽造だった。あの爆発の直前、D国民はあの巨大な地下駅から他国に逃げていたのである。D国は我が国の戦争を予見し、準備していたのだ。世界中に散らばったD国民はそれぞれ偽造パスポートをつくり、各国の国民になりすましている。そして一年前、彼らは再び集まりだした。D国ではない。戦争をしかけたわが母国にだ。


 なるほどラセンは偉大だ。彼が真に望んだのは一国家ではなく世界単位での平和だった。いやというより一国家だけでの平和はありえないと考えた。それだから技術はあり、しかし無力なD国という餌をつくった。そしてその餌に食いついた国、つまり戦争に積極的な国をひとつひとつ平和主義にしていこうというわけだ。母国に潜入し、またその元の国民にも注射をすることで倍々ゲームに平和主義者が生まれる。いまの私だってそうだ。もう私は戦争を起こした母国が嫌いで嫌いで仕方がない。


 テレビには大勢の群衆が未だに機動隊と衝突している。私は記事のアップロードをして駆け足で家を出た。はやくあの平和主義者たちと合流せねば。

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平和主義国家 九重智 @kukuku3104

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