銀茶師〜伯爵令嬢は紅茶を飲みたい〜

入江 涼子

第1話

  私はタランティーノ王国のとある伯爵家に生まれた。


 特に秀でた所もなく平平凡凡な茶色の髪に榛色の瞳の当年取って18歳になる伯爵家の次女だ。両親に3歳上の長女である姉と2歳上の長男の兄と1歳下の次男である弟の6人家族で。

 4人兄弟の3番目に生まれたので両親の関心は程々だった。どちらかというと美人で魔術や武芸が得意な姉のシルビアや頭脳明晰で武芸もできて同じく美男の兄であるエレンの方に関心はいきがちだ。

 まあ、末っ子の弟――オリバーも顔がいいし頭もいいのだが。やはり兄のエレンには負ける。私は家族で唯一何でか普通の人として生まれついた。顔は人並だし頭もそこそこ。魔術や武芸も十人並みだし。なんにもかも他の兄弟達には及ばない。幼い頃から「頑張ったって努力したって。勝てないなあ」と思っていた。そうして悟ったのだ。

 私は目立たず騒がず、静かに生きていくしかないのだと――。


 そんな私だが。母方の祖母は私を可愛がってくれていた。そんな祖母からある事を教えてもらっていた。


『……エミリア。あなたは銀茶師になったらいいわ』


 穏やかに笑いながら紅茶の種類、淹れ方にブレンドのやり方などを丁寧に教えてくれる。銀茶師というのはこの国――タランティーノ王国の紅茶や他のお茶に関しての専門家を指す。私の祖母の姉も銀茶師だったらしい。そう祖母は言っていた。だから今日も銀茶師を目指して頑張っていたが……。


「……エミリアお嬢様。紅茶のお勉強もいいですけど。婚約者探しもなさってください」


「嫌よ。お祖母様と約束したの。銀茶師になるって。婚約者なんていらないわね」


「お嬢様。それではイーラル伯爵家の名に傷がつきます」


 そう目くじらを立てるのは私付きの乳母であるアリサだ。もう今年で50代前半くらいになる。元は父方の祖母付きのメイドだったらしいが。母が私を生んだ時に乳母になったとか。父の依頼だったようだ。けどアリサは私というよりは両親の味方だった。私が銀茶師を目指すと言った時も兄弟達が賛成したのに両親とは反対した。

 これが今から4年前――14歳の頃であった。


「……アリサ。私は本気よ。銀茶師になるには秋に行われる王宮の試験に合格しなければならないの。それの試験対策や勉学に励みたいのに。何で父上も母上も反対してくるのかわからないのよ」


「お嬢様。それはあちらの大奥様の勧めですか?」


「そうよ。母上のお母様――先代リーブル侯爵夫人の勧めにはなるわね」


 アリサは「そうですか」と言うと黙り込んでしまった。そのまま、私の部屋を出て行く。何故か胸騒ぎを覚えたのだった。


 翌日も銀茶師になるための勉学に励んでいた。そうしたら若いメイドが声をかけてくる。


「……お嬢様。旦那様と奥様がお呼びです」


「父上と母上がね。わかったわ。もう少ししたら行くと伝えてちょうだい」


「わかりました。お伝えします」


 メイドは頷き、部屋を出た。私はもしや縁談話でもあるのかと思う。仕方ないので教科書やノート、筆記用具を片付ける。鏡台に行って髪や着ていたワンピースを軽く整えた。そうした上で父の書斎に向かった。


「……エミリア。急に呼び立ててすまんな。ちょっと話したい事があるんだが」


「はあ。メイドからはお二人が呼んでいるとしか聞いていませんが」


「いや。母上は後少ししたら来る。それでなんだがな」


 父はそう言いながら執務机備え付けの椅子から立ち上がった。私に応接セットのソファーを勧める。


「……エミリア。もうお前も18歳だ。そろそろ婚約者を決めてもいい頃合だと思うんだが」


「アリサにも言われました。けど。私は恋愛する気も結婚する気もありません」


「エミリア。そう言わずに……」


 父が困り果てたように言うが。私は無視してこれで話は終わりだと言わんばかりにソファーから立ち上がった。ところが書斎のドアが開き、遅れて母がやってくる。


「旦那様。遅くなりました。あら。エミリア!」


「……母上」


「あなた。アリサから話は聞いているでしょう。縁談が来たのよ。お相手はアンダーソン公爵家のご子息でね。エミリアより3歳程上だけど。良い方なの」


「アリサからは何も聞いていません。それと。アンダーソン公爵家でしたか。縁談が来たのなら。すみませんけどお断りしておいてください」


「……なっ。エミリア。あちら様は乗り気になっているの。それをお断りするだなんて。慰謝料を請求されるかもしれないわ。お願いだから顔合わせだけでもしてちょうだいな!」


 私は冷ややかに母を見た。何で私がという気にもなる。


「……エミリア。お前が銀茶師になりたいのはわかるぞ。けど。せめて身は固めておくれ。でないと私や母上は心配でならないのだ」


「そうよ。アンダーソン公爵のご子息は嫡男でいらっしゃるけど。名前をイーラン様と言ってね。性格が穏やかな方だから。銀茶師にあなたがなりたいのもきっとわかってくれるはずよ」


「……わかりました。顔合わせはします。けど。婚約はしませんから」


 両親は理解できないという表情になった。けれどいつもの事だ。私は言いたい事は言ったので軽くお辞儀をして書斎を出た。


 あれから半月が経ち、結局アンダーソン公爵家の跡継ぎらしいイーラン様と婚約の前段階である顔合わせを我が家でする事になった。イーラン様はこの日の3の刻に来るらしい。私は当日になったらまずはお風呂に放り込まれた。髪や身体を隅々まで洗われてピッカピカに磨かれる。そうした上で身体のマッサージだ。

 後はコルセットでギュウギュウに締め付けられ、パニエを幾枚も重ね、淡い藍色のドレスを着せられる。次にお化粧だ。派手な感じにされて余計に嫌になった。髪も香油を塗り込まれ延々とくしけずられる。はっきり言って首が痛くなりそうだ。それくらい、強い力で髪をブラシで引っ張られた。そうした上でアップにされる。幾つものヘアピンで髪を上げ、ぐるぐるとお団子にした。いわゆるシニヨンだ。

 サファイアが散りばめられたヴァレッタで留めてからやっと身支度は完了したらしい。


「……できました。お嬢様。エントランスにお急ぎください」


「……わかったわ」


 頷いて言われた通りにエントランスホールに速足で急いだ。階段を降りると既に両親がいて客人の応対をしている。


「あら。エミリア。お支度はできたのね。見違えたわ」


「お母様。お客様の前でしてよ」


「まあ。そうだったわね。旦那様。お客様のご紹介をした方がいいですね」


「そうだな。あの。こちらが娘のエミリアです」


「……ああ。こちらがご息女の。初めまして。私はイーラン・アンダーソンと申します。以後お見知りおきを」


 低めの穏やかな声でお客人――アンダーソン公爵令息はにこやかに笑顔で自己紹介する。淡い黄金の真っ直ぐな髪を短く切り揃え、深みのある紫の瞳は神秘的で。肌はあくまで白くきめが細かい。目鼻立ちも凄く整っていて眼を見張る程の超絶美男だ。はっきり言って女として完璧に負けた気分になった。すぐに可能なら逃げ出したい。けどそれはできないので腰を落としてカーテシーを丁寧にした。


「……こちらこそ初めまして。わたくしはエミリア・イーラルと申しますわ」


「ああ。今日は婚約のための顔合わせとの事で来ました。よろしくお願いします」


「はい」


 頷くとアンダーソン公爵令息は笑みを深めた。けど目は笑っていない。値踏みするような視線を向けてくる。嫌だな。そう思いながらも両親の勧めで応接室に向かった。


 アンダーソン公爵令息は向かい側に座る。両親は正面のソファーに私は右斜めにあった一人がけのソファーに落ち着く。4人でしばらくはメイドが淹れた紅茶を飲みながら歓談した。


「……まあ。その。イーラン様は武芸がお得意だとか。何が好きでいらっしゃいますか?」


「そうですね。馬術や剣術が好きです」


「ほう。そうですか。私めも昔は馬術が好きでね。よく友人と一緒に遠乗りに行きました」


 父と公爵令息は意気投合したらしく武術談議を始めた。私は母と目を見合わせる。どうしたもんやら。そう思いながらも話が終わるのを待った。


 30分程して母がしきりと父に目配せをした。それにやっと気づいたらしく咳払いをする。公爵令息もはっとしたような顔をして居住まいを正した。


「……旦那様。あたくし達がいるのも何ですし。もうそろそろ行きましょう」


「そ、そうだな。イーラン様。申し訳無いですが。我らはこれにて失礼します」


「……わかりました。では。エミリア嬢。庭園を案内していただけませんか?」


「え、ええ。行きましょうか」


「イーラル伯、夫人。私達もこれにて失礼します」


 公爵令息はそう言うと立ち上がり両親に軽く礼をした。私も後を付いて行ったのだった。


 庭園に出ると公爵令息は立ち止まる。後ろにいた私を振り返った。


「エミリア嬢。君は銀茶師を目指しているとか。私はその。協力したいと思っていてね」


「……はあ。協力ですか」


「あ。初対面の君にいきなり言ったってわかりにくいか。私は君の祖母君と昔に会った事がある。その際に紅茶をご馳走になってね。とても美味だった事を覚えているよ。そしたら祖母君がこうおっしゃっていたんだ」


「祖母はどう言っていたんですか?」


「……「いずれは孫を跡継ぎにしたいと思っています。エミリアと言うんですけどね。あの子は見込みがありそうだから」と。祖母君はそうおっしゃりながら私にこれをくださった」


 公爵令息は着ていたジャケットの胸ポケットから何かを取り出した。チャラと金属が擦れたような音が微かに鳴る。彼の手のひらには金色に光る懐中時計が乗っていた。


「これは」


「紅茶を蒸らす時間を測るためにと祖母君――先代リーブル侯爵夫人が所持しておられてね。紅茶をご馳走になった際にいただいた」


「……そうなんですか。でもどうして私にこれを見せてくださったのですか?」


「……私は。祖母君から頼まれたんだ。「エミリアは銀茶師に必要な几帳面さや真面目さを持っている。素質がある。もし本気でなりたいと言っていたら助けてやってほしい」とね。そして君に会えたらこれを渡してほしいとも言われたんだよ」


 公爵令息はそう言うと私に懐中時計を差し出す。恐る恐る受け取った。令息の綺麗な長い指が少しだけ手に触れる。ドキリとしながらも時計を見た。


「……確かに祖母の持っていた懐中時計です。わざわざ、ありがとうございます」


「……礼には及ばないよ。君に返せたからね」


「そうですか。協力の件についても了解しました。銀茶師を諦めなくても良いと思わせてくださっただけでも嬉しいです」


 私が笑いながら言うと。アンダーソン公爵令息は少し目を見開いた。


「……いや。エミリア嬢。明日もこちらに来てもいいかい?」


「それは構いませんけど。よろしいのですか?」


「私は良いと思っている。時間が空いたらまた来るよ」


 私は仕方ないと頷く。公爵令息は腕を差し出す。それに手を添えて屋敷へと向かった。


 公爵令息はエントランスホールにて両親に帰る旨を伝える。私にも近づいて声をかけてくれた。


「エミリア嬢。明日も来るから」


「はい。お待ちしています」


「ああ。じゃあ、さようなら」


 私も「さようなら」と言った。公爵令息は軽く手を挙げるとエントランスホールを出ていく。両親と後を追った。


 小さく手を振りながら見送る。公爵令息も馬車の窓越しで手を振り返してくれた。馬車が見えなくなるまでそうしていた。


 あれから、2日に1回は公爵令息が訪ねてくるようになる。最初はアンダーソン様と呼んでいたが。本人からイーランで良いと言われたので名前で呼ぶようになった。顔合わせの後婚約式を行い、私は正式にイーラン様の婚約者となる。あれから、2ヶ月は経っていた。


 相変わらず、銀茶師を目指して勉強の日々だ。イーラン様は「諦めろ」というどころか淹れた紅茶を味見してくれたりと協力的だった。最初の宣言――約束を守ってくれている。今は初秋だが。王宮の試験までもう1ヶ月を切っていた。私がそれを話すとイーラン様は驚きの表情になる。


「大変じゃないか。今年に試験を受けたら君は晴れて銀茶師になれる。わかった、私で良ければだが。王宮には同行しよう」


「ありがとうございます。けど。兄が同行すると言っていますし。イーラン様はお忙しいでしょう?」


「忙しくても君を送り届けるくらいの時間は取れるよ。大丈夫だから」


 それならばと私は了承した。イーラン様はにっこりと笑ったのだった。


 季節は初秋から秋本番となっていた。今日は王宮試験の当日だ。私は身支度をしてあまり目立たない濃い藍色のタートルネックの長袖のドレスを着ている。髪はシニヨンできっちりと纏めた。自身でしているとドアをノックする音が部屋に響く。


「……お嬢様。アンダーソン様がお越しになりました」


「……あら。早いわね」


「お支度ができましたらエントランスホールにお出でいただきたいとの言伝です」


「わかったわ。後少ししたら行くとお伝えして」


「かしこまりました。ではそのように」


 ノックをしてきたのは若いメイドだ。以前に父や母の言伝を伝えに来てくれたのも彼女だったか。名前はなんと言っただろう。思い出したくてもできない。仕方ないので髪結いに集中した。


 半刻もしない内になんとか髪結いはできた。持って行くものも確認をして。衣服に乱れはないかとかも確認した。そうしてから自室を出る。廊下に出て階段を降りた。エントランスホールに向かうとイーラン様と兄の話す声が聞こえる。


「……なあ。エミリアはまだかな」


「……そうだな。女性の身支度は時間が掛かるものだし。といってもそろそろじゃないか」


「だろうな。私はよく姉と一緒に夜会に行ったが。そのたびに待たされたよ」


 意外な姉君との話に少し驚く。イーラン様の新たな一面がわかったというか。そう思いながらも足は止めない。階段を降りて最後の1段を越えた。息を切らせながらも兄とイーラン様の元に急ぐ。


「……待たせてごめんなさい。エレン兄上、イーラン様」


「……ああ。エミリア。身支度はできたみたいだな」


「はい。兄上、イーラン様のお相手をしていたのですね」


「まあな。イーランとは爵位こそ違うが。王立学園で知り合ってな。あの頃から友人関係なんだ」


「そうだったんですか。それは知りませんでした」


 私が素直に驚くと兄は苦笑いした。


「それよりも。王宮での試験に行くんだろう。急いだ方がいいんじゃないか?」


「あ。そうでした。教えてくれてありがとう。兄上」


「うん。頑張ってこいよ。エミリア」


「はい!」


「……いい返事だ。エミリアの事を頼んだぞ。イーラン」


「……ああ。エレンに言われずともちゃんとエスコートするさ」


 兄に言われてイーラン様は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。兄はちょっと悔しそうだ。不思議に思いながらもエントランスホールを出た。


 エスコートされながら馬車に乗る。ここからはイーラン様と2人きりだ。流石に緊張する。


「エミリア。そんなに緊張することは無いよ」


「……私はイーラン様みたいに慣れてないんです」


「……私も慣れてないよ。今もどうしたら君が喜ぶかわからないんだ」


 イーラン様は不意に真面目な表情で言う。私はちょっと見惚れてしまった。美形、恐るべし。そう思いながらも答える。


「そ、そうですか。イーラン様は十分私を喜ばせていると思いますけど」


「ならいいんだけど」


「銀茶師になる事を反対せずに応援してくれているじゃないですか」


 私が言うとイーラン様は目を見開いた。少し考え込んでしまう。そうしてから彼はこう言った。


「……エミリア。銀茶師になれたら。私と婚約を解消してくれないか?」


「イーラン様?」


「君が銀茶師になったら。滅多に会えなくなる。それに」


 イーラン様は言葉を切った。切なげな表情になった。


「……私は祖母君との約束があったから君と婚約しただけだ。君は結婚しなくてもやっていける女性だしね」


「……そうですか。私、あなたとなら上手くやっていけると思っていたのですけど。残念です」


「すまない。君が当分は困らないように慰謝料はちゃんと支払うから」


 慰謝料と聞いてすうと心が冷えていく。なんだ。私はイーラン様に期待していたのか。この人なら大丈夫だと。結局、彼も他の男性と一緒だったのに。つきりと胸が傷んだけど。それには気づかないふりをした。


 馬車が進んで王宮へ到着した。扉が開かれて先にイーラン様が降りる。次に私がエスコートされながら降りた。今日は銀茶師になるための試験日だ。頑張らなきゃ。ぐっと両手に力を込めた。背筋を伸ばして会場まで歩こうとする。そしたらイーラン様が何でか私に手を差し出してきた。


「……イーラン様?」


「……会場が何処かわからないだろう。案内くらいはするよ」


「はあ。ありがとうございます」


 訳がわからないながらも素直に差し出された手に自身のそれを乗せる。ギュッと握られた。イーラン様の考えている事が今ひとつわからない。頭一つ分は高い彼の横顔を見つめたのだった。


 王宮の門をくぐり幾つかの廊下を通る。イーラン様は勝手知ったるかのように迷いなく歩いていく。そうして20分くらいは経っただろうか。1つのドアの前に到着した。イーラン様がノックをすると中から返答がある。ドアが開けられるとそこには机とソファー、棚などの必要最低限の調度品に毛足が長い茶色に幾何学模様が施された絨毯が敷かれた応接間と思しき部屋になっていた。


「……王妃殿下。銀茶師候補生を連れてきました」


「……そう。ご苦労だったわね。イーランさん」


 ソファーには白いものが混じった淡い金の髪をきっちりと纏め上げて濃い藍色の瞳が美しい老婦人が深く腰掛けている。深みのあるタートルネックのイブニングドレスをきっちりと着込み、その背筋はしゃんと伸びていた。老婦人の前には空のカップとソーサー、スプーンなどが置かれている。……これは一体どういう事?!

 軽くパニックになった。それに目の前の老婦人が王妃様?!

 あまりにあり得ない展開に私はイーラン様を見た。


「……私は。こちらの王妃殿下の甥っ子でね。君を王宮に連れてくるように命じられていたんだ」


「……そうですか。王妃殿下。初めまして。銀茶師候補生のエミリア・イーラルと申します」


「ええ。イーランさんから話は聞いています。わたくしはここの王妃であるバネッサ・タランティーノです。では。早速ですが。試験を始めましょう」


「わかりました」


 頷くとバネッサ王妃殿下はまずはと2枚組の紙を出してくる。


「……これは紅茶についての産地などが書かれた問題用紙と答案用紙です。まずは筆記試験からしますので。心してください」


「はい」


「制限時間は1時間。時間が来たら答案用紙をこちらに渡してもらいます。これが終わったら次は実技試験です」


 私は頷いた。そうしたらイーラン様は部屋を出ていく。

 バネッサ王妃がドレスのポケットから懐中時計を出した。時刻を確認したらしい。


「では。筆記試験を開始します。始め!」


 私はカバンから筆記用具を急いで出した。筆記試験を始めたのだった。


 最初は良かったが。途中から難易度が上がる。それでも解答欄を埋めていく。


「……そろそろ1時間が経ちますかね。終了です」


 バネッサ王妃の声が聞こえて問題用紙を見ながら解答欄を埋めるのをやめた。黙って用紙を王妃に差し出す。王妃は手ずから受け取る。答え合わせを始めた。

 30分は経っただろうか。添削が終わったらしい。


「……まずまずといった所かしら。頑張りましたね。次は実技試験になります。早速だけど。ティーセットを持ってきてちょうだい」


「かしこまりました」


 壁際に控えていたメイドがテキパキとあらかじめあったワゴンからポットなどを出す。それらを私の前に置いた。


「……では。イーラル殿。こちらで紅茶を淹れてみてください」


「わかりました」


 私は立ち上がるとまずは置かれたポットを手に取る。逆さになったティーカップをひっくり返す。適温のお湯を注いだ。こうする事でカップを温めるのだ。

 祖母の懐中時計を見ながら時間を測る。そうした上で1度注いだお湯を銀製の容器に捨てた。次に茶葉が入った缶を手に取り適量を匙で出す。茶漉しを取って入れる。カップの上に置くとお湯をゆっくりと再び注ぐ。手早く陶器製の蓋をして1分半程蒸らした。

 1分半程経ってから蓋を取る。ふわりと芳醇な香りが鼻腔に届く。最初はストレートで王妃の前に置いた。何も注意はされなかった。


「……淹れました」


「……ご苦労さま。良い香りですね」


 カタカタと手が震えたが。何とか表には出さないように注意した。王妃は無言でソーサーにあるカップを手に取り一口含んだ。香りを片手で扇ぎ、確かめるような仕草をした。


「……味もなかなかです。香りも良い。合格点ですね」


「……合格ですか?」


「ええ。今日の試験結果は明日にお知らせします。もう帰って構いませんよ」


 バネッサ王妃は優しく笑いながらおっしゃった。私は深々と礼をして応接間を出た。


 イーラン様は廊下で待っていた。ちょっと近寄りがたい。私がそう思っていると向こうから近づいてきた。


「……エミリア。試験は終わったのかい?」


「はい。たった今、終わりました」


「そうか。良かった。今まで気が気じゃなかったよ」


 イーラン様はそう言うと安堵したのかにっこりと笑う。私の肩に触れると軽く叩いた。


「お疲れさんだったね。さ、帰ろうか」


「はい」


 行きの時とのあまりの違いに戸惑いながらも頷く。そのまま王宮を出たのだった。


 馬車にてイーラン様は「銀茶師に私がなったら。婚約解消したい」と言った事について説明してくれた。何でも祖母はイーラン様に孫の私の応援や支援を頼んだだけで婚約までは望んでいなかったらしい。ところが祖母の話を聞いた父君――アンダーソン公爵は支援や応援だけでは生ぬるいと婚約もしたらいいとイーラン様に提案したとか。

 仕方なく彼は婚約した。もし私が銀茶師になれたらこの婚約は解消するつもりだった。反対に不合格だったら。婚約を継続して婚姻となるはずだったとか。


「……本当にすまない。君を試すような真似をしてしまった」


「いえ。イーラン様は悪くありません。元はと言えば、私の単なる我儘ですから」


「エミリア……」


 イーラン様は悲しげな顔でこちらを見つめる。


「……エミリア。もしよかったら。婚約を継続してもらってもいいか?」


「え。イーラン様はそれでいいのですか?」


「いいんだ。君を裏切るような事を仕出かしたのは私だ。償いとまではいかないかもしれないが。婚姻した後も君を大事にすると約束する」


 彼の真剣な申し出に私は目を見開いた。けれど答えは決まっていた。


「……わかりました。ふつつか者ではありますが。こちらからもよろしくお願いします」


「……エミリア。ありがとう」


 イーラン様は真面目な顔から一変して優しげな笑顔を浮かべた。そっと手を握られる。彼の手の大きさや温もりに驚いたのは内緒だ。


 翌日に正式に試験結果が書かれた手紙が王宮から届けられた。それには「試験は合格。正式に銀茶師に任ずる」と綴られている。私は真っ先に長兄のエレンや姉のシルビア、弟のオリバーに報告した。3人共に驚きながらも「おめでとう!」と喜んでくれた。

 次に両親にも報告する。父は固まり母は「嘘でしょ?!」と呟き、気を失ってしまう。周りが大騒ぎする中、私は自室に戻る。イーラン様に合格の旨を手紙で知らせたのだった。


 あれから私は銀茶師として王宮と婚家であるアンダーソン公爵邸を往復する生活を送っている。やる事は沢山だが。婚約者から夫となったイーラン様と2人で協力し合いながら日々を過ごしていた。

 彼との間には既に息子が生まれていた。ウィルバートと名付けられる。私は公爵夫人となってから今年で3年目に入っていた。


「……リア。今日は元気そうだな」


「うん。ウィルと今日は庭を散策したわ」


 頷くとイーラン様は私を抱きしめる。私は現在、2人目を懐妊中だ。予感としては女の子のような気がする。まあ、イーラン様には言っていないが。


「リア。無理はしないでくれよ」


「ええ。イーラン様もね」


 私は自室のソファーにイーラン様と隣り合って座りながら。少し膨らんできたお腹を擦った。銀茶師としての仕事は出産まではお休みだが。今は生まれくる子の事を考えたい。

 イーラン様は私の髪を優しく撫でた。窓から春特有の穏やかな日差しが差し込む。しばしの幸福を噛みしめるのだった。


 ――The end――






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