【プロのプロットで小説を書いてみる企画】

川並もも

【プロのプロットで小説を書いてみる企画】放課後にダブチを ~素人とランカーさんが邂逅する編~

 狼の群れに追われて、長身の乙女が森をひた走る。

 それが危険であっても危機ではないとわかるのは、乙女がなめし革をしっかりと重ねた鎧を身につけ、手に安価ではあるがよく研がれた長剣を構えているからだ。ほどなくして開けた草原に出たところで、乙女は亜麻色の髪をひるがえして群れに正対した。

「せいっ!」

 気迫のこもった声で剣を振るえば、最前の一匹が倒れ伏す。そのリズムは素早く、次から次へと襲い来る狼をばさばさと斬り落としていった。

「せい、せいっ、っ」

 しかし、時間と共に長剣は血と脂で切れ味を落とし、剣を振るう回数は増え続ける。それはとりもなおさず隙の増加であり、そのうちに手負いの狼が革鎧に食らいついた。振りほどこうとすれば動きがさらに鈍る。

「――あっ!」

 無傷の狼の群れが最後尾から現れ、なだれ込んできた。乙女はとっさに顔をかばう姿勢を取るが、腕に牙が食い込み、じり、と肌に傷が増えていく。


 だが、膝が地に着くことはない。

「この〈無頼漢〉レッドアイが助太刀するぜ、レイナお嬢さん!」

 口上とほぼ同時に、乙女レイナに噛みついていた狼たちが鮮やかな二刀流の露と消えた。そのまま狼の群れを挑発し相手取る隻眼の壮年に、マゼンタ100パーセントのツインテールがぎらつく少女の黄色い声援が飛ぶ。

「きゃー、がんばれレッドアイさま~!」

「ソアラよお、心にもないこと言ってんじゃねえ! 強化頼むぞ!」

「いひひっ、はいは~い!」

 ソアラと呼ばれた原色の少女はレッドアイの軽口をいつものことと流し、〈詩の子〉として手にしたワンドを振って強化呪文を歌った。赤色のきらめきがレッドアイの刀に集まり、ばちりと爆ぜる。レッドアイがそれを確かめて刀を振るえば、斬りつけられて吹き飛んだ狼は爆発し、他の狼を巻き込んでいく。

 剣の舞いがたちまちのうちにハリウッドばりの爆発芸に変じていくのをレイナが眺めていると、もう一人少女が駆けてきた。白銀の髪、白と淡い青でまとめられたシフォンドレスのやわらかな姿、携えているのは薬瓶を薬莢とした短銃と長銃。ソアラとはまた違う方向性で草原から浮いているが、それが〈癒し手〉であることはレイナにもわかる。

「傷は……うん、大丈夫。少しだけじっとしててね」

「すみませんサユリさん、お薬も安くないのに」

「大丈夫、効果増強と併せるからそんなに使わないし」

 サユリは短銃を操作して薬を組み合わせ、レイナの体に打ち込む。傷がきらめいて塞がれば、傷で思うように動かなくなっていた腕が軽くなった。よしきた、とレイナはレッドアイとソアラに加勢しようとするが、見れば狼との戦いはすでに終わっており、レイナのレベルでは到底太刀打ちできない巨大スライムを爆発炎上させているところである。

「うわぁー……」

「今日も火力に偏ってるなあ、二人とも」

「いいんですか?」

「ううん。だからトップ層になれないというか、一緒にやれてるというか」

 レイナとサユリがぼんやりした会話をしているうちに、スライムが燃え尽きる。その瞬間、草原が赤く染まった。

 [進行度:90% 最終ボス登場まであと10秒]

 システムアラートの機械音声が告げるのを聞き、レッドアイがちらりと視線を右下にやる。〈JST-23:48〉の表示を読み取って、胴間声ではるか後方に呼びかける。

「もうそろそろいい時間だぁ、一撃で決めてくれよ【金獅子】!」

「――当然です」

 ゆらりと、長剣を携えた騎士然とした男が現れた。金の巻き毛は二つ名の通り獅子のごとく、すらりとした四肢は鎧の重荷をものともせず軽く。ひと飛びで一同の最前に現れて攻撃態勢を取る動きに、ひとつの迷いもない。

 [ボス出現]とアラートが告げる。地面からせりあがるように現れたのは、それまでに倒した狼たちやスライムを合わせてもまだ足りない巨躯を誇る大鬼オーガ。レオは何一つ動じることなく、剣を抜き放って踏み込んでいく。

「レオくん!」

「レオっち!」

 サユリとソアラが己の持てる最大の強化魔法を振るった。剣とレオにそれぞれ施された強化は青白く輝き、そのシルエットを流星となさしめる。大鬼の攻撃を躱しながらもいっさい緩むことのないスピードは、そのまま剣の初速として振り抜かれた。レオの体が、大鬼の体の後ろに着地する。

 ぱちり、と綺麗に大鬼のポリゴンモデルが左右に割れた。ポリゴンはそのままさらさらとボクセル風味の崩れ方をしていき、最後はワイヤーフレームと化して消える。明るいホイッスルの音とともに、メッセージが表示される。

[ステージ〈ブロンズ3〉、クリア!]

 赤かった草原も、元の爽やかな青を取り戻した。皆がわいわいとレイナの元に集まって今のステージを解説する中で、レオはつかつかとその長身でレイナに詰め寄り、睨む。

「何か言うことは」

 レイナがぐっ、と顔を上げ、きらきらと憧れを隠さない声で言う。

「師匠が格好良かったです!」

「ああいやそれはどうも……ではなく! 先走るなと言われたのを即! 忘れましたね?!」

 叱責に、レイナの首がうなだれた。大丈夫だとフォローするサユリを横目に、レオは口を止めない。

「貴方の操作センスには驚くべきものがあります。おそらく、私やレッドアイにもひけを取らないでしょう。――で・す・が! センスの活用にはレベルも装備も足りません。それを忘れて群れに突っ込んだ結果、削られて倒れるところだったのは忘れないように!」

 一息にまくしたてるレオに。レイナの首が居住まいを正す。安手の機材を使っているのだろう、トラッキングが手と頭、そして視線にしかないレイナの動きだが、それでも実直なのが伝わってくる動きだ。

「はい! 今日もありがとうございます! 肝に銘じます!」

 おそらく操作側では頭を下げているのだろう、かくかくとレイナが大きく皆に頭を振っている。と、ぴたりと動きが止まり。また頭が振られた。

「それじゃすみません、おやすみなさい! 皆さん今日もありがとうございましたっ!」

 言うが早いかの勢いでレイナの姿が消えた。それぞれの画面に流れる[Reina-Libra0035-ログアウト]の表記を見て、やれやれとレッドアイが肩をすくめる。

「どんなときでも0時きっかり落ちだもんなあ」

 先程までの飄々とした色男ではない、低くはあるが端々に幼さの残る声。プライベートモードを起動した状態で聞こえてくるそれは、この四人にとってはもうひとつの聞き慣れたものだ。

「人には人の生活がある。しょうがない」

「そうそう! 明日は月曜なんだもんね~」

 レオもソアラも、キャラクターの装いを止めて喋る。相槌を打つサユリはそう変わらないが、やはり声はまったく違う。AIでの音声フィルターのことを知らない年配者が聞けば、アニメの登場人物たちが突然そこらの子供に入れ替わったように思うだろう。その筆頭であるところのレッドアイだった少年の声が、ややむくれたように返事をする。

「にしたってよお」

「こらっ、女の子の暮らしに口を出さない!」

「そ~かな? たぶん僕みたいなもんでしょ?」

「はいはいそこまでそこまで、俺たちも寝るぞ」

 じゃれあうように軽口を叩きあう三人をたしなめるレオの言に、異口同音で肯定が帰ってきた。世間ではこれからが真のゲーマーの時間だとうそぶくが、学生の身分ではそうはいかない。全員、一年生の頃でさんざ骨身に染みているのだ。お互いに軽く手を振ったあと、姿が消える。

[Redeye-Highrise-ログアウト]

[Sayuri-PetitPetit-ログアウト]

[Soara-Solaris-ログアウト]

 表示を見届け、レオも手元でログアウト操作を行う。

 耳元で、とろりとした響きのビープ音が鳴った。



 次の瞬間、温かな中間色で構成された幾何学模様、といった風情の画面が眼前に広がる。

 左上に[DoubleChainダブルチェインランチャーメニュー]と記されている見慣れた空間の中にぷかぷかと浮くコマンドを握りこめば、ソフトの終了と同時にヘッドマウントディスプレイHMDの電源が切れた。机に落ちないようしっかりと支え、バンドを緩めて頭を抜く。

「……結局“師匠”やってるんだよなぁ」

 レオとは手足の長さこそ少し似るものの、対照的な色彩で無気力そうな顔つきの少年が、肩を回してそう呟いた。ここ数年で急激に評判になったVRMMO、DoubleChainダブルチェインに誘われて一年。公式大会で栄えある【金獅子】の称号を得て四ヶ月。戦闘不能からの復帰方法がわからず行き倒れていた初心者の[Reina-Libra0035レイナ]に師匠と呼ばれ始めて二週間。退屈しないのはいいが、支援以上のことをするつもりはないと最初に断ったのを聞いていなかったのか、師匠扱いが続くのには辟易する。今日もかなりキツく言ってしまったが、元が脳天気なのか堪えていないようだし、と考えながら、天を仰ぐ。

「何かもう、全員そういうもんだと思ってるし」

 レイナ以外の仲間は、“レオ”のプレイヤーである少年“白神真央”のクラスメイト、いわゆる『リア友』だ。その中にネットだけの付き合いを入れるのは面倒の元だと言ったが、まあいい人そうじゃないか、と三人が口を揃えたのは一週間前。

「なんでみんな頑張るかな」

 出会いも熱狂も求めていない。安定した生活をして、ゲームができる余裕があればいい。楽しさや切磋琢磨なんてものは、ゲームのほうが面倒なく、時間に縛られず味わえる。それなのに、思い切りリアルできらめく友人達は、何くれとなくこちらに手を延べてくるのだ。

「……寝るか」

 面倒事を考えてもしょうがない、と頭を振る。DCダブチの遊びは幅広いから、そのうち他のことに気が向くだろう。そう結論づけて布団に潜り込み、今日になった明日のことを考える。

「(一限目が数学I、二限目が……)」

 授業を羊の代わりに数え上げていくうちに、意識はするりと溶けていった。



 火曜日の朝。

 そこまで学生生活に熱を上げてはいないがさりとて怠けるのも後が怖い、という層の学生がごったがえす校内を縫うように移動して教室に入れば、昨日別れた顔ぶれの“中身”たちがいる。

「真央くん、おはよー」

「おはようさん」

 眼鏡の赤が目立つ、おっとりした顔立ちの幼馴染み――”Sayuri-PetitPetitサユリ”の中身である“蒼井さゆり”に、真央は手を振り返して席に着く。ふぁ、と不意にでたあくびに、さゆりはむ、と眉根を寄せた。

「ちゃんとすぐ寝てる? たまには早起きして、同じぐらいに家を出ないと」

「寝てる寝てる。それに電車の遅延なら届ければいいし」

 少しばかりだらしのない返答に、さゆりが続けて何かを言おうとしたその時。がらりと引き戸が開く音がした。二人の視線が入り口に向かう。

「はよーっす」

「おはようございまぁっす!」

「おー。今日は二人とも早いな」

「遅いよ!」

 軽口をどちらの世界でもたたき合えるほどに見慣れたリア友たち。四角い輪郭によく整えたツーブロック頭がリアルでも格好付けである“Redeye-Highriseレッドアイ”を駆る“赤城 雄二”に、並み居る女子生徒を凌駕するかわいらしい姿形でぴょこぴょこと跳ね回っている“Soara-Solarisソアラ”の『魂』をやっている“紫苑 空”。二人とも先程の真央よりもっと大きなあくびをしながら少し緩慢に動いているところを見ると、ログアウトしてから何か夜更かしをしていたのだろう。

「徹夜か?」

 真央の問いに、二人はまさか、と笑った。

「雑談配信してからだからー、4時間は寝た!」

「オレもそんぐらい」

 ふああ、とまた大あくびをする空と雄二に、さゆりの眉間の皺が深くなる。

「また生徒会長さんに怒られるよ」

 頭に共通の人物がよぎり、三人の眉間にも皺が寄った。その時ちょうどチャイムが鳴り、がたがたと遅刻寸前の生徒たちも入ってきてにわかに騒がしくなる。

 そうして火曜日一限目、真央にとっては生徒会の顧問でもある老先生の授業が始まった。



 始まってしまえば終わるのは早い。放課後を告げるチャイムが鳴れば、皆は三々五々に散っていく。「んじゃ、オレたちは同好会を盛り上げますよっと」

「盛り上げ~!」

「優雅なもんだな、お茶とお菓子の買い食いで部活になるってのは」

「ちゃんと記事も書いてるってぇ!」

「知ってる。この前のところもいい店だった」

「あのパフェ、配信でも出したいぐらいなんだけどなー」

「迷惑になるだろ。それに身バレしたいのか?」

 へーい、と空が気の抜けた返事をしたあと、二人が連れ立って喫茶文化研究会、つまりは喫茶店巡りに出かけていく。真央がひらひらと手を振ってそれを見送っていると、

「うんっっしょ!」

 背後で気合いが入っているらしき細い声がする。振り返ると、さゆりが紙束をぱんぱんに詰めた袋を抱えて奮闘している。真央は何を思うでもなく呼びかけた。

「途中まで持つぞ」

 ううん、とさゆりは首を横に振る。

「部室棟じゃないの。文化祭の打ち合わせで、近くの公民館に全員集まって資料配りと説明」

「早くないか」

「全然? 手芸って完成まで時間かかるし、遅いぐらい」

 そうか、と返して、真央は天井を仰ぎ見る。

「文化祭……文化祭か。文化祭か……」

 唸り声が漏れ出ているのを見て、さゆりが眉根を寄せた。視線を周囲に走らせて二人以外に残っている者がいないことを確かめ、そっと尋ねる。

「そんなに生徒会、イヤ?」

「……他より面倒は少ない。内申も良くなる」

 天井から視線を離したはいいが微妙に噛み合っていない返答に、さゆりは深く追求しなかった。代わりに袋を一度机に置いてからサブバッグを探り、未開封のシリアルバーをすっと真央に手渡す。

「これ食べて頑張って、気のいい書記さん」

「んー」

 気のいいつもりはないけど、と真央は口の中でつぶやきながら封を切ってバーをかじった。


 生徒会室に向かう道すがら、学年もクラスも関わりなく真央に言葉が飛んでくる。

「あ、白神くんこの前ありがとうね~」

「どういたしまして」

「先輩、これどこに持っていけば……」

「この届けならまず担任の先生行きかな」

「おう白神! 階段の件どうなってる?」

「今度の会議で業者さん決まるそうですー」

 物覚えはいいほうだから苦にはならないが、どうして自分なのかとも思う。人の好さそうな顔なら雄二のほうに軍配が上がるし、身長以外に特筆すべきこともない。これが運というやつなら少しは他に分けてみたいが――と真央がつらつらと現実逃避代わりに考え事をしていると、


「止まれ! そこの一年ッ!」

 聞きたくない声がした。


 廊下で起こっている言い争いは一対一。

 片方は中肉中背、髪を脱色し靴のかかとを潰して履いているいかにもな不良。

 対するは、日焼け止めを塗っていてなお微かに焼けた肌と硬く真っ黒な短髪が嫌でも印象に残る、150cm足らずの小兵。

「夏前からその体たらくは何事だッ!」

 小兵からキン、と高音の怒号が出るが、不良は意に介さない。

「別に何もしてないでしょおー?」

「何もしてないのが問題なのだ! 部活はどうした!」

「これから帰ってやるところなんでぇ」

「帰宅部は認められていない! 所属を言え所属をッ」

「同好会ですぅー」

「同好会ぃ? ならこの場で名と詳細な活動内容を「そこまで!」」

 真央が文字通り、間に割って入る。お互いに視界を遮られて一瞬動きが止まる二人を交互に見て、真央は視線を下に向けた。

「源治さん、またですか。生活指導は先生たちの担当ですよね?」

「しかしだな白神君」

「しかしもお菓子もありません! ……君も、部活動なら早めに移動するように」

 不良は舌打ちをしつつも、これ以上の面倒は利がないとわかって足早に去っていく。真央は廊下を足早に歩く不良を確認すると、視線をまた下に向けた。

 黒目の小さい凶暴な視線が刺さる。輪郭が丸いわりに切れ長の印象が強い顔、見目に頓着していないが規律は守るのだと四角四面な態度で着ている校則通りのシャツとスカート。毎度毎度の面倒を運んでくる、“源治まどか”で間違いなかった。

「白神君」

 うざったい中高年に似たアクセントの『君』付けに、真央がため息をつく。

「なんですか」

「君はサボりを認めるのか?」

「そうじゃなくて、源治さんの仕事じゃないでしょ。あいつのことは先生に伝えておきます」

「私は会長としてだな」

「それで喧嘩してちゃ世話ないですよ。というか、また一人でふらふら迷って! 俺と歩くのそんなにイヤですか」

「……迷っては、ない! 少し見回りをしていただけだ」

 はぁあー、と、剣呑なため息が真央から出る。この生徒会長どのは、入学当初からこうだ。文武両道の誉れ高き学年一位、いつも先生に付き添われて最後にやってくる方向音痴。真央にとっては道々で人に無用な喧嘩を売り歩く、正義漢だが躾のなっていない猛犬。正確に言えば〈漢〉ではないが、体の起伏やスカートを履いている程度のことで女子扱いをするには凶暴で強靱すぎる。

 真央にとって、不運とは発熱で休んだ隙に生徒会に入れられたことではない。なぜか毎日のように、この跳ね飛ぶ小鬼の面倒を見る羽目になることだ。

「とりあえず行きますよ。昨日のファイリングの続きからです」

 先に立って歩き始めると、まどかはむっすりと黙り込んだまま後ろをついてくる。このぶんだと今日もお互いに、他の面々や老先生の口を借りて仕事をすることになるのかと、真央は天を仰いだ。


 ――これだから、生徒会に行くのは気が重い。



 三時間半後。

 日付更新前のピークタイムを迎えてごったがえすDC内の露天商エリアの中を、レオは唸りながらさまよっている。

「暇だ……暇、やること、今から金ランク帯に行くのも……三人とも今日は来ないだろうし……」

 天を仰いで、周囲への発言とAIが捉えない声量で独り言をぶつ。【金獅子】の栄光を得てからというもの、レオだけがログインしているときの日常風景だ。道に迷っていたりクエストの進め方がわかっていなさそうな初心者を見つければ世話を焼くが、人気ゲームとなって数年が経つDCでは初心者はある程度自分で調べているか、詳しい知り合いを連れているのが常である。

 つまり、友人がいないときのレオは時間を持て余している。やりこみ要素エンドコンテンツに行く気分でもなく、かといって“真央”に戻ってログアウトして何かをやろうという気にもなれない。さりとてサユリのように製作スキル上げに邁進するのも、ソアラのように配信で耳目を集めるのも、自分の目指すところとは違う。であれば、やれることは初心者の手伝いぐらいなのだが、だいたいはこうしてだらだらと――

「師匠ー、レオ師匠ーッ! どこですかーっ!!」

 聞き慣れはじめたばかりの声に、思考が勢いよく断ち切られた。

 直接通話を使わないのは教えていないから仕方ない。だが声が大きすぎる。あまりの声量に、システムの音量処理が間に合わず若干音が割れている。どうしてそこまで、とレオは音のした方向へ視点を回し、手元にコンソールを呼び出して[スクリーンネーム表示]をスイッチした。現れる[Reina-Libra0035]の表記を頼りにキャラの人波を抜ければ、通りでも衝突判定コリジョンの甘い“裏路地”に、プリセットから多少いじっただけの見知った顔が見える。

「助けてくださいっ、この師匠のようで師匠でない人がしつこいんです!」

 レイナは自分の肩越しに後ろを指した。見れば、[Leon-Goldendragon]と書かれたネームに、自分とよく似た構成の顔立ち。DCで横行する〈なりすまし〉だ。

「えぇ、あんたもか?」

 AIフィルターのデータセットも同一とおぼしき声。呼びかけからして、自分も【金獅子】のなりすましだと思われている。声を荒げないように細心の注意を払って、発言した。

「はい、【堂々たる】レオと申します。この前からこの子を案内しているんですが、何かご用事が?」

 名乗りを聞いて、男は慌ててレオのステータスを確認する。正式名の欄にある[Leo-"GOLDEN LION"-dignified]の名を確認したとたん、その姿はかき消えた。

「逃げた! 追いましょう!」

「つきまといを追いかけてどうするんですか……名前は控えましたから、通報しておきます」

 その制止にレイナは不承不承といった手振りで男のいたほうを見ていたが、くるりとレオに向き直る。

「はーい。でもどうして、あの人は師匠にそっくりだったんですか?」

「あー……」

 適切な例えを探して、レオは天を向いて唸った。

「アイテムかポイントを盗もうとしたんでしょう。有名人と勘違いさせて正式な譲渡の手順を踏ませる、よくある初心者狩りです」

 女性型アバターを狙っているところからみて他の目的もあるはずだが、そこは伏せる。先に教えるべきは、危険の避けかただ。

「それに往来で呼ばなくても、名前を指定して相手と直接通話できるんですよ」

「名前で?」

「ええ。手元は専用コントローラーでしたね? コンソールを出して[スクリーンネーム表示]を押せば、名前がキャラの頭上に出ます。それをターゲットすればメニューが出ますね」

 レイナが手元でたたた、と操作するのを見下ろしていると、シャンシャンと着信ベルが耳元で鳴った。[承諾]のボタンを握り込み、通話を繋ぐ。

『もしもし』

『もしもーし! 本当だ、師匠が電話のポーズしてます!』

『こちらからも貴方がそう見えていますよ』

『じゃ、今日はどうしましょう?』

 ふむ、とレオは顎にもう片方の手をやった。

『せっかくですから、こういう細かい機能を覚えつつパラメータを上げていきましょう』


 レベリング用のフィールドに移動し、コンボとそれに関わる便利な機能を教えてレイナに動きを任せると、流れるようにスライムを叩いていく。そのたびに声が出ているのが、いかにも初心者といった感じだ。

「せい、せいっ、とーっ」

「戦闘中の声、敵の攻撃を知らせる時のために極力抑えましょうか」

「えっ、かっこよくありませんか?」

「スタイリッシュとはここぞの声出しに宿るものですよ」

 それでもなぜか出てくるレイナの掛け声を聞き流していると、“真央”の耳にぼたぼたと水音が響いた。“レオ”の画面にも、外で雨が降ってきたと通知が入る。そして、レイナも呟いた。

「あ、雨だ」

「おや、そちらも雨ですか」

「え?!」

 驚くレイナに、レオはああ、と額に手をやった。発言ではなかったらしい。

「失敬。ですが、独り言はけっこうな確率で拾われますので」

「拾われる?」

「AIが声を補正しているでしょう。検知の閾値しきいちがあるんです」

 レイナが無言で首を左右に傾げる。おそらく小声の限界を調べているのだろう。

「……あ、あー。聞こえますか?」

「ええ、そのあたりから周囲に届きます」

「難しい」

「まあオプションで調整は利きますが……呼ばれたときも音割れしていましたが、地声が大きいんですか?」

「中学まではそんなに。生徒会長に抜擢されて、高校デビューのつもりで声を張るようにしてたら癖になっちゃって。書記の子を見習って落ち着いた声を目指してても、なかなか……」

「お手本がいるんですね。指導を頼んでみてはどうでしょう」

「自分の仕事以外をやりたがらない子だから、言い出せなくて。でも、しっかりしてて人気者の頼れる期待株なんです!」

 素直だ、とシンプルに好ましく思う。それがだいぶ危険だ、とも思う。

「ふむ……とてもいい環境なのですね」

「えへへ」

「で・す・が」

「えっ?!」

 こちらが何も明かさずとも、同年代の先達として伝えておかねばならない。

「これはゲームの上達よりずっと重要なことです。誰が相手でも、むやみに自分の身辺を喋ってはいけません」

「え、喋ってましたかワタシ」

「そりゃあもう。今の時点で、貴方が高校生で生徒会長をしていること、少なくともこの瞬間、日本で雨の降っているところに住んでいることがわかりました。……いいですか、この時点で貴方の素性はかなり割れています」

「えっ?!」

「私は【金獅子】として正しい行いを心がけていますが、例えばあのなりすましに知れれば貴方の身辺が危険になる可能性は高い。それぐらい、この世界には潜在的な危険があるんですよ」

「き、肝に銘じます!」

「よろしい。これからは他人に身辺のことを聞かれても『32才男性会社員です』ぐらいのレベルで濁しておきなさい。DCのアバターから本当の貴方を知ることはできませんから、それで通ります」

「会社員です!」

「私はもう聞いてしまったので通りません。今以上のことを喋らなければよしとします」

 素直だ。最初はそれに苛立ってもいたけれど、長く顔を突き合わせてみれば印象は変わるものだな、とレオは少し思案した。手持ちのアイテムからいくつかをVR空間に取り出し、軽くこね合わせる。と、レイナが動きを止めてレオに手を振った。レオが作ったアイテムから視線を外すと、なるほど、画面端のデジタル時計が0時を指している。

「それじゃ師匠、おやすみなさい」

「おやすみなさい。ああ、その前にこれを」

 レオがVR空間のコンソールを数度叩くと、レイナの視界に[譲渡-友誼のリストバンド]とシステムメッセージが現れた。レイナの視線がメッセージとレオの顔を何度か行き来し、承諾のボタンが握り込まれる。レオの表情が、無邪気な笑みの形を取った。

「正式な師弟といきましょう。よろしく、レイナさん」

 わあ、と素っ頓狂な声を出してログアウトしたレイナのログを眺めて、“真央”の口からおもわずぼやきが漏れた。

「どこの高校だろ。源治さんにも見習ってもらいたいよ」


 このささやかな願望が壊れるのは、今週のことになる。


 木曜日。

「だからってなんで同好会を潰すんですか!」

 真央が人目をはばかることなく声を荒げるのを、生徒会室の面々が戦々恐々とした様子で見ている。動じていないのは書き仕事でそれを聞き流している老先生と、荒げた声の行き先であるまどかの二人。

「そもそもが不要な仕組みなんだ。議題に上がったから覚えていると思うが、帰宅部まがいの雑な申請が多く、先生方は毎年対応に苦慮している」

 〈部活動入部の推進〉と大書されたホワイトボードを背に、まどかは努めて冷静に、しかし圧をかけるように言い切った。動じていないし折れる気もない、という態度に、真央の声はいっそう鋭く、荒くなる。

「実績のあるところにまで『解散してどこかの部に入れ』は乱暴すぎます!」

「部活動への昇格申請をすればいい。何が問題なんだ」

「……部になるには人数が足りない、それでも活動ができるのが同好会でしょう。俺はそういうのをよく知ってます」

「例えば?」

「喫茶文化研究会とか」

 するりと、雄二と空がそれなりに謳歌している活動の名が出た。まどかは少し視線を揺らして記憶を辿っているようだったが、やがてふん、と鼻を鳴らす。

「あの自堕落を正当化しているところか。友人たちだからと庇い立てるのか?」

 か、と真央の喉から単音が出た。あの二人ことを何も知ろうとしないで、ただ自分だけの正当性を確信している態度。今日という今日こそ反吐が出ると返答を探して口を開く。

「そこまで」

 静かな声に遮られた。老先生――活動にアドバイスすることはあれど口を挟むことは滅多にない、ぼんやりとした印象の人。それが書き物の手を止め、見定めるような視線をこちらに向けている。

「そのままやり合えば個人攻撃、なんの解決にもなりゃしませんよ。今日は帰んなさい。あと、源治さんにはちょっとお話しがあります」

 そうして、老先生はまどかを連れて生徒会室から出て行く。真央はそれを棒立ちで見送ったあと、憮然とした表情で通学鞄を引っ掴んだ。


 ――四時間後。

「くだらなさも、人生には必要でしょうが」

 レイナのレベリングを眺めながら呟いた“真央”の声は、少しばかり大きく明瞭に過ぎた。AIに発言として拾われフィルターを通した“レオ”の言葉が、閑散とした初心者向けのフィールドに響く。

「何かありました?」

 首をかしげてこちらを向かれたことでレオは失言を悟り、身が竦んだ。だが、まだどうにかなると気を取り直す。

「あ、いえ、上司と仕事の方針で対立していまして。守秘義務で話せないのが歯がゆいのですが」

 他の三人がログインしていないことを確かめて、細かい事情をぼかして言う。複数相手の会話で細かな嘘を通せるほど、レオは器用ではない。それでもなんとか誤魔化せたようで、レイナは大きく頷いた。

「どこも一緒なんですね。ワタシも生徒会がうまくいかなくて」

「予算ですか?」

「いやだなあ師匠、学生にお金をいじる権限なんてありませんよ! おじさんの発想ですねっ」

 がくり、とレオの肩が落ちた。年齢を上と思わせるためにわざと言ったこととはいえ、おじさんと言われるのは予想外にこたえる。とはいえVR上でそうした表情は見えないので、レイナはその動作を相槌とみなして話を続けている。

「文化祭を盛り上げる準備案を、今のままでいいって書記の子に突っぱねられたんです」

「ああ、前に言っていた人気者の」

「で、今日は喧嘩別れしてしまいました。今考えるとワタシだって悪いんですが……なんて言えばよかったのかと」

 問いに、レオは今日の“真央”を記憶から引き出した。そこから、レイナの実直さに則した返答を口にする。

「まずはお詫びをして、それからまた話せばいいんですよ。対立はしていても、相手のことを貶めたいわけではないのでしょう?」

「……はい! もう一回、誠心誠意説得してみます!」

「その意気ですよ。……私の方も、どうにかしなければいけませんね」

 少し気が晴れた気はするが、そのぶん余計に記憶が苦く沁みてくる。せめてあの爆竹会長がこれぐらい話を聞いてくれれば、という無い物ねだりが、レオに大きなため息をつかせた。

「貴方がもう少し早く生まれていれば、私のいい仕事仲間になっていただけたんですが」

 誤魔化しつつも告げた切なる願いに「いいえ!」と返事が返ってきて、レオの視線がレイナに改めて向いた。レイナはいつの間に覚えたのか、コマンドを組み合わせて楽しげに踊っている。

「師匠がもっと遅く生まれて、ワタシと同じ学校に行くんです! あの子と師匠は気が合いそうだし、毎日楽しいだろうなぁ」

 くるくると回るレイナの姿を見ていると、今日の憂鬱がほどけていくな、とレオは思う。しかし視界の隅に映った時刻を見て、もうそんな時間かと天を仰いでから告げる。

「0時を回りましたよ。おやすみなさい」

 笑顔で軽く手を振るレオを見て、レイナは動きを止めて少しうつむいた。プレイヤーが逡巡しているとおぼしき左右の揺れが少しあったあと、顔が上がる。元気よく腕も上がった。

「今日はあと少しだけ、ここにいます!」



 浮き上がってきた意識に映るのは、ベッド脇の窓ではなくシステム画面。ぽっかりと[眼球の状態から睡眠と判定、自動ログアウトしました]というウィンドウが浮いているのを認識して、真央はのそのそとHMDの電源を切り、頭から外す。

「……久しぶりに寝落ちたなー……」

 スマホの連携アプリを起動してログアウト地点を確かめると、駅馬車の待合で寝てしまったらしい。『あと5分で花火イベントのフィールドに行く馬車が来ます接続できますよ』と、船を漕いでいるレイナに呼びかけた記憶がよみがえった。

「大丈夫かな……学校なんて休んでもいい、ぐらい言えばよかった」

 レオであるうちは、酸いも甘いも噛み分けた大人の男だ。たとえ自分にはできないことであっても、それがいいと思えばやってのけられる。嫌なことのある学校を、気分で休むことを必要だと言い張れる。そう、嫌なことのある……


 「……学校?」

 恐怖が真央の背をつたう。

 画面を再度見る。

 いつもなら家を出ている時刻。

 希望を求めて運行情報のアプリを起動する。

 無情にも、すがすがしいほどに乱れのないダイヤ。

 音なき叫び。


 両親に詫びを入れ、ついでに己を呪い、家を飛び出す。駅につながる最後の直線を疾走しつつ、これだけはとDCの公式アプリを起動してレイナにメッセージを送る。ぽん、と軽い音で返ってきた文字を読もうとして――

「「あだっっ!」」

 誰かの腕と足がしたたかにぶつかって、二人ともスマホを取り落とす。よろけながら脇の小路を見ると、この時間帯と場所にいるはずのないまどかが尻もちをついていた。ひょいと立ち上がったのを見て怪我はなさそうだと思う反面、あるはずのない激突に真央は怪訝な顔になる。

「なんでここに? 交差点三つ全部間違えました?」

「ぶつかっておいて言うことがそれか?! しかも歩きスマホ!」

「そっちもでしょうが! ああいやそれより電車――」

「着いたら先生に――」

 言いながら両者ともスマホを拾い上げようとして、手が止まる。

「「――ん?」」

 どちらの画面にも、たった今送ったメッセージと、その返信が新着として最下段に映されている。

[寝落ちてしまい面目ない。今夜こそ花火をお見せします]

[こちらこそごめんなさい! 楽しみにしてます!]

 たった今交わした約束。

 一拍置いて、まどかが先に叫んだ。

「これは師匠のなりすまし! 見損なったぞ白神君ッ!!」

「俺は本物だっ! お前こそレイナさんのなりすましだろうが!!」

 絶対に現実を認めたくないあまりに、無理筋にもほどがある罪を押しつけあいはじめる。その100メートル先では、目指していた電車の次発が発車ベルを鳴らしていた。

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【プロのプロットで小説を書いてみる企画】 川並もも @river_momo

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